Sin tu dolce locura.

  • 超短編 2,147文字
  • 日常
  • 2017年11月10日 18時台

  • 著者: zenigon

  •   Sin tu luna, Sin tu sol, Sin tu dolce locura. 
    ( あなたという月、あなたという太陽、あなたという甘い狂気がなければ )

     デリー、インディラ・ガンディー国際空港発の深夜便にて経由地のタイ、バンコク・スワンナプーム国際空港にたどり着く。二十四時間稼働しているとは聞いていたけれど、大半のお店は、夜が連れてきた闇を崇拝しているかのごとく、ひっそり、明かりを消していた。時は午前三時を通り越しており、明け方の、日本行きのフライトまでの時間、つかの間の休息とばかりに、壁際の、ひんやりとした床に座り込んだ。

     目を閉じると、夜が連れてきた闇は空港の音や光りを吸いこみながらも、投影されるであろう記憶から製造された光りを待ち構えている。すると、得たいの知れない何かが白い壁を伝い、ぼくのそばにたどり着く。得たいの知れない何かは、透明な腕をそっと伸ばして、その、ほっそりとした、きれいな指さきがぼくの腕時計に触れる。時間は停止、時間はゆるりと逆行を開始する。

     < 闇に第一シーンが投影される >

     夜、眠りに支配された村をいくつも通り過ぎる。何もない道を走り続ける長距離バス。音を吸いこむインディアの夜に染められて、バスのヘッドライトに照らされた前方の道先のみが許可された未来みたい。マンガロールまでは、さほど遠くはない。マンガロールで七時間待ってデリー行きのバスに乗るか、はたまたホテルに一泊して翌日のバスにするか、そのようなことに思考を巡らせながらも、窓を流れる闇は、ひどく疲れたぼくをどこか遠くの夢へと誘う。

     気づくとバスは停車していた。

     乗客が用をたすための一時停車かと思ったが異常に長い。運転手は座席にもたれて、心地良く眠っている。前の座席の老人は、カバンから長い帯状の布を出して、ていねいにしわを伸ばしながら、ターバンを忍耐強く巻いている。ぼくは彼の耳もとで、小声で質問をした。

     ” ここはマンガロールではありませんよね。なぜ、バスは止まっているのですか? ”
     
     老人が振り向き、意味もなくにっこりしたので、英語が通じていないことがわかった。いたしかたない。ずっと運転し続けた人を起こすのは申しわけないと思いながらも、停車の理由がわからないままがつづくよりましだ。

     ” なぜ、バスは止まっているのですか? ”

     あくびをしながらも、運転手は当然のように答える。

     ”あなた方、乗客の安全のためです。ご理解してください。このバスは神の、特別な施しがなされているので安心して、お待ちください ”

     運転手は言い終えると、再び眠りの世界に旅立ってしまった。


     < 第二シーン、魔女のささやき >

     待つあいだの退屈しのぎとばかりに、バスを降りる。湿り気のある、おだやかな夜で、草の蒼い匂いが強く、ときおり、風が草木をゆらして小さな音をたてていた。二十メートルほど先の古びた平屋のバラック、停留所の待合室らしきに、ほんのり明かりが見えた。光りに吸いよせられるかのように、歩を進めて入り口、待合室に入る。入り口には石油ランプが灯されており、ドアの上には見たことのない、不気味な、石膏の神像が祭られていた。奥の、壁際のベンチには、二十歳前かと思われる女性がひとり、息を潜めてすわっていた。女性の肩には、小さな、緑色の猿がしがみついていた。猿の頭は、女性の長い髪に隠れていて、小さな手を女性の喉のところで組み合わせていた。猿は、どこか遠慮がちに、でも、女性から離れてしまうと深い闇の底に落ちてしまう、そのような気配を醸しだしている。

     女性はすばらしくきれいで、ぼくと目があうと、にっこりしたので、ぼくもにっこりと返す。そのとき、女性にしがみついているのが猿ではなく人間であると気づき慄然(りつぜん)とする。緑色の、ざらざらの皮膚と深くきざまれたしわが、猿のような容貌をつくりあげていて、それが全体の輪郭とともに誤解をまねいたのであった。
     
     ” わたしの兄です。あなたは、どちらまで、行くのですか "

     女性は、ぼくの驚きを静かに観察しながら、よどみない、かなり上手な英語で話しかけて来た。

     ” マンガロールまで行き、あとはデリーに行きます " と答えた。

     ” このように見えても兄は、たくさんの物語りを書いていて、それを生業(なりわい)としています。もし、よろしければ、あなたを、物語りの登場人物として描きたいと、兄は言っています "

      女性の兄と称する生物の、唯一、人間らしい要素は目であった。非常に小さい、するどく、かしこそうな目が差し迫った危険か恐怖にとりつかれたかのように、あらゆる方向に、ぼく以外の方向に視線を放っていた。

     ” あなたのひたいに触れてもいいですか "

     女性からの唐突なささやき、翻弄されつつあるぼくがうなずくと、女性は両手を顔の前であわせて目を閉じたあと、手のひらをぼくに近づけてくる。ほっそりとした、きれいな指さきがぼくの視界を覆い尽くそうとしている。と、そのとき、緑色の猿が叫んだ。

     ” 逃げなさい。直ちにこの場から離れなさい! "

     夢から引きずり出されたようなぼくは慌てて停留所の待合室から飛び出し全力疾走、バスに乗り込んだ。

     運転手がバスのエンジンを始動させながら、ぼそっとつぶやく。

     ” 猿にされなくて、よかったですね "

     バスは、再びインディアの深い闇を、走りはじめる。

    【投稿者: zenigon】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      参謀

      夢と現実の中間の世界の曖昧な世界での話に感じました。そして女性が怖さがあります。


    2. 2.

      1: 3: ヒヒヒ

      異国の夜に出会った怪奇な存在。ひたひたと迫ってくるような怖さがありました。猿が叫んでくれなければ物語の登場人物にされていたわけですが、危機一髪、それは避けれたわけですね。

      ん? 物語の登場人物にされてしまったのは彼女の方だった。と言うことは、ゼニゴンさんもしかして••••••


    3. 3.

      zenigon

      夢うつつ、の、世界観を感じていただき、ありがとうございます。あ、そうか、しかし魔女にとりつかれて、この投稿に及んだ、かもしれません。(嘘!)


    4. 4.

      20: なかまくら

      疲れてしまって見た空港での夢、なのでしょうか。
      初めに空港のシーンがあることで解釈が広がりますね。