強い東風が吹くころに

  • 超短編 2,934文字
  • 日常
  • 2017年04月23日 17時台

  • 著者: 爪楊枝
  •  今日は東風が強い。そんな日は彼のことと、それにまつわる日々を思い出す。

     田畑の世話をするとーちゃんとかーちゃんの手伝いをして、今日もきっと終わるのだろう。そう思っていた。その日がいつもと違っていたのは、乳白色の濃い霧が辺りに立ち込めたことだ。強い風が東から吹いて、霧を運んで来たんだ。一寸先も見えないから、もうすぐ収穫でも畑仕事なんて危なくてできない。とーちゃんは一日中ゆったりしていた。かーちゃんは一人で筵を織っていたけど。
    翌日がいつもと違っていたのは、サヴォラーナ族の人たちのテントが、村からほど遠くない場所に設営されてたことだ。彼らはひとところに留まらない。「風のような人々(サヴォラーナ)」という呼名の由来通りに。世界中を巡るから、なかなか会うことはできなくて、一生に一度か二度くらいだという。彼らが来ると豊作になるという伝説があるから村人も彼らを歓待した。

     数日後、祭りがサヴォラーナ族のテント周りでとり行われることになった。僕ら村人たちもお呼ばれして、一日中宴を催した。サヴォラーナ族の人たちは細長い葉っぱを編んだ様な不思議な着物を身にまとっている。腰周りにはきらびやかに彩色した丸っこい石が麻紐でぶら下がっていて、踊るたびに軽快な物音をたてた。土色に染まった裸足の踏み足は楽しげで、赤々とした炬火に照らされた彼らの顔は、満足そうな笑みに彩られていた。旅芸人の一座でも見たことがない不思議な楽器を、子供たちは楽しそうに鳴らしていた。笛を鼻に押し付けて、顔を真っ赤にさせて鼻息で鳴らす子もいれば、木枠にぶら下げた薄くて幅の広い太鼓をバチで叩く子もいる。しっちゃかめっちゃかに見えるその祭りに共通することはみんな笑顔だと言うことだ。僕も行った祭りのことを他人事のように思い出しているけど、あの時は何も考えずに楽しんでいた。あんなに気持ちが沸き立って短い夜は初めてだった。

     それから、彼らの子供たちと遊ぶことがちょくちょくあった。祭りの日に仲良くなったある男の子とは特に遊んだ。サヴォラーナ族は、何代か前まで先祖の名前を引き継ぐらしくて「アフォ・ガスツゥァナ・ヘベステロ・ツァツェガイうんちゃらかんちゃら」という呪文のような名前だ。覚えられないから僕は単に「アフォガナ」と呼んでいけど。彼もそれに笑顔で応えてくれた。僕らはお手伝いのない日に森で合流して、散歩するのが好きだった。アフォガナは森の草木のことにとても詳しくて、これは危ない、これは美味しいと色々教えてくれる。もしゃもしゃと草や実を口に入れながら、歩いているだけで楽しかった。二人で罠を作って、兎を捕まえたこともある。家に大威張りで持ち帰って、シチューにしてもらった。アフォガナも一緒に食べて、嬉しそうにしていた。

     たくさんの子と一緒に遊ぶのも楽しかったけど、僕にとってはアフォガナと二人でいる時が一番楽しかった。彼は他のサヴォラーナ族の人たちと同じように、いつも楽しそうだった。特に森へ入るときょろきょろ周りを見渡して、屈み込んだりして、突然顔をほころばせたりする。
    「アフォガナ。何が楽しいの?」最初はすごく不思議だった。
    「見てよ。セスク。リュウノウキクの花が昨日より大きく開いているよ」白い花弁を指差すのだ。それは森の中でよく見かける野菊だった。よく見るので、特に気にとめたことがなかった。昨日はどうだったっけ。
    「覚えてないや。大きくなってるの?」
    「うん。つぼみが開き始めてるんだよ。今日は天気がいいからかなぁ」確かに冬晴れの今日は、太陽がさんさんと輝いて、温かい。
    「すごいね。僕には違いが分からないや」
    「みんな全然違うんだよ。村の近くのリュウノウキクの花は一週間前には咲いてただろ?」そう言われてもサッパリだ。よくよく聞いてみると、彼には道すがらの草木を全部正確に見分けていて、その成長や移り変わりを楽しんでいるようだった。信じられない。サヴォラーナ族の人たちがいつも楽しそうな理由がわかった気がする。その日から僕もいろいろ教わるようになって、二人できょろきょろしてた。

     その日は雲行きが怪しかった。でも気にしないで、二人で森の奥へ入っていった。森の奥へ行くと上へ登っていく。そこに高めの丘があって、下を見降ろすと爽快な場所がある。よく遊びに行っていた場所だ。二人で寝そべって話していると、厚い雲がかかってなんだか暗くなってきた。嫌な感じだねと話しているうちに、どしゃ降りになって、風が強くなってきた。急いで降りようとしたその時。すごい突風が吹き荒んだ。あっという間に僕とアフォガナは飛ばされて、丘から転がり落ちた。

     気が付いたら、森の中に倒れていた。横にアフォガナも倒れている。丘から飛ばされて、来たことがない場所に落ちたみたいだった。丘はさほど高くないから身体は痛いけど、何とか歩けそうだ。ただ、問題は丘へは上がれなさそうだということ。崖のようになっていて、登れなさそうだった。そして、どうやって帰ったらいいかわからないということだ。
    「アフォガナ。大丈夫?」声をかけても、彼は唸るばかりで返事をしない。足を押さえたまま苦しそうな顔をしている。
    「骨を折った……かも…しれない」切れ切れに彼はそう言った。確かに彼の足は腫れあがっていた。助けを求めたいところだけど、ここがどこかわからなかった。びしょ濡れになりながらうろたえていた。
    「背負ってくれ、帰り道は……たぶんわかるから」アフォガナは苦しそうだったけど、慌ててはいないようだった。僕は彼を背負った。僕の方が、体が大きくてよかった。木々を見ながらアフォガナは指を差す。僕はその方向へ歩いていく。雨で視界は悪くて、何度も転びそうになったし、そもそも道があっているのかわからない。でも、進むうちに見たことあるところへ来た気がした。そして、ボロボロになりながらも村の近くまで戻ってきた。知り合いのおじさんが気付いて助けてくれたから、なんとか家まで辿りつけたんだ。

     とーちゃんには叱られた。こんな日にあそこに行くなんて、危ないじゃないかと。返す言葉もなかった。かーちゃんがアフォガナの両親を呼んできて、とーちゃんと一緒に謝った。さすがに楽しそうでは無かったけど、頭をなでて許してくれた。よく連れ帰ってきてくれたね、と。

     その日からアフォガナとは会えなかった。気まずかったし、手伝いが忙しかったから。あっというまに数カ月たって、とうとうサヴォラーナ族が旅立つ日が明日に迫った。その夜。アフォガナが訪ねてきた。
    「セスク。会いに来れなくてごめんね。」彼は泣いていた。僕も胸が苦しくなって、涙が流れた。彼が好きだったから。気にしないで僕こそごめん。みたいなことを言ったと思う。
    「僕らの旅は風任せなんだ。よい東風が吹いたら、またここに来るかもしれない。その時を祈っているよ。また会えるといいね。さようなら」そう言って、彼は去っていった。次の日、テントはなくなった。

     以来、草木の成長がふとした時に目につくようになった。それは、ごくわずかで着実で、気がつくようになると毎日が愉快に思えてくる。そして、風。強い風が東から吹くと、ついついテントがある気がして、気分が沸き立ってくるんだ。

    【投稿者: 爪楊枝】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      爪楊枝

      過去作の投稿ですが、以前と題名が変わっています。
      理由は昔のタイトルを忘れてしまったためです笑