東京オルタナティブ

  • 超短編 3,790文字
  • 日常
  • 2023年02月26日 20時台

  • 著者:1: 3: ヒヒヒ
  •  西暦2055年。日本の各地に東京都が5つ。

     大事なものには予備がいる。東京都A、東京都B、C、D、E、5つもあれば大丈夫。大地震だって怖くない。

     大事なものには予備がいる。親にとっては子が大事。受精卵をコピペして、5つもあれば大丈夫。感染症だって怖くない。

     2055年、東京は5つあって、25歳の東雲アリサは、自分を5つ持っていた。



     A、東雲アリサはオリジナル。大事な5人の中で、最も大切。おうちの中で、大事に大事に守ってる。

     B、東雲ベルはオルタナティブ。もしもアリサの心臓が、あるいは肺が、身体のどこかが壊れたら、ベルが真っ先にスペアを渡す。

     C、東雲カリンもオルタナティブ。別に壊れても気にしない。社会に出して、リスクとリターンを取らせ、消耗するまで働かす。

     D、東雲ドナもオルタナティブ。実験用。

     E、エリナは逃げてしまった。1週間前のことだった。



     東京都Cの西東京市にある六都博物館北口で通勤用ドローンを待ちながら、東雲カリンは汗をぬぐう。

     頭の中は仕事でいっぱい。メールを出して、会議に出て、クレーム受けて、上司に指導されて。それは楽しいとは言えなくて、だけどカリンはC、アリサの予備の2つめだから、積極的にリスクを取る。

     墜落事故に遭うリスク、心を病むリスク、テロリストのナノマシンに"感染"して倒れるリスク。それらを全部取って、生活費を稼ぐ。

     当然だ、と、カリンは自分に言い聞かせる。それが自分の役割だから。だけど、と、ふと思う。もし、アリサが、あるいはベルが、他の私たちがいなかったら? 世界に"私"が自分独りしかいなかったら、それはどんな気分なんだろう。

     自分がいなくなったら、この世から"私"が絶滅してしまうっていう、そういうのは。

     わからない。

     カリンはビルの合間を縫って飛ぶドローンを見上げながら、エリナのことを思い出す。

     東雲エリナ。役目を捨てて逃げだした末の子。同じ遺伝子、同じ顔、同じ体を持ちながら、彼女が何を考えていたのか、全然わからなかった。

     私であって、自分ではない。

     では、自分とは? そう自問すると、いつも母親の、低い声が聞こえてくる。

    「お前はオルタナティブだから。大事なアリサの大事な予備だから」

     大事なものには予備がある。

     アリサは大事。だから予備がある。

     カリンに予備はない。自分に予備はないのだ。

     地面に濃い影を落として、ドローンが降りてくる。これに乗って大事な商談に向かうのだ。生活費を稼ぐのだ。自分のために。いや違う。5人の私のために。大事な大事なアリサのために。カリンは言い聞かせる。

     ドローンがドアを開く。カリンが乗るのを待っている。

     彼女はそれに乗らなかった。そのまま行方をくらました。



     スーパーマーケットの中をとぼとぼと歩きながら、東雲ベルは涙をこらえていた。

     昨日、カリンが逃げ出した。

    「ずるいよカリン。あんたがいなくなったら、誰が私たちを養うの?」

     アリサは国のための「知的労働」をしており、家からは出ない。ベルはアリサの世話役で、ドナはからくり人形みたいなものだし、エリナは行方不明。要するに、誰もカリンのようにはお金を稼げない。

     ベルは自分が働くことを想像してみる。慣れないことをして、怒られて、お腹をきりきり、胸をずきずき痛める自分を。それはダメだ。

     父親がいつも言っていた。

    「健康でいることがお前の役割だ。お前の体は、いつかアリサに返すもの」

     日本の治安が良かったのは、もう35年くらい前のこと。今ではナノマシンを用いたテロが毎日のように起きていて、いつ臓器移植が必要になってもおかしくない。目に見えない極小機械が人体の中に入り込んで、大事な血管を切り刻んだりするのだ。

     アリサがダメージを受けたとき、スペアとなるのが、ベルの役目だ。

     この肺は、心臓は、目は、耳は、私たちのものだけど、自分のものではない。

     でもそうだとしたら、自分とは何なのだろう? この自分、東雲ベルは何なんだ。

     ベルはカリンの気持ちがわかったような気がした。誰だって、自分を大事にしてほしい。機械でもない限り、それは絶対にそうだ。自分はロボットじゃない。たとえスペアの一つでしかないとしても、機械では、ない。

     カリンとエリナを追って、姿を消そうか。

     ベルはアリサのことを考えた。国に貢献すべく英才教育を受けてきた子だから、頭は抜群に良い。だけど、ずっとお世話をされてきた子だから、セルフレジの使い方すら知らない。

     ベルまでいなくなったら、アリサは途方に暮れるだろう。

    「カリンのバカ」そうごちて、ベルはカリンを憎もうとした。だけど憎めない。嫌えない。それはきっと、彼女が私たちの一人だから。私であるけど自分ではない。そういう存在を憎んでも仕方がない。

     私って本当に厄介だ。そうぼやいて、ベルは夕暮れの道を急いだ。



     東雲ドナはホースを握って、家の前の花壇に水を撒く。機械でもできる単純なことが、ドナの仕事だ。

     彼女はオルタナティブで、実験用。

     例えばアリサに、最新のワクチンが効くかをテストしたい。だけど、そのテストをすると健康を害する恐れがある。そこでドナの出番。

     同じ遺伝子、同じ体、都合がいい。

     どうしてアリサがAになり、ドナがDになったのか、彼女は知らない。両親が「お前はDなんだよ」と言った。ドナにはそれで十分だった。両親がテロリストのナノマシンに感染して窒息死した後も、ドナは言いつけを守り続けている。

     両親には予備がなかった。だから救えなかった。

     アリサには予備がある。ベル、カリン、エリナ、そしてドナがいる。この東京都Cの中にいる限り、わずか十数分で臓器移植を受けられる。アリサは4回までは蘇生できるのだ、その脳が腐り果てる前であれば。

     それでいいと、ドナは思う。

     あるとき、エリナに聞かれたことがある。

    「オリジナルになってみたくない?」

     きっと面倒だろうと思って、答えなかった。

    「大事にされてみたくない?」とも聞かれた。

    「別に」と答えた。「別に」と答えたまま、そのままにしていた。

     ドナは水を撒く手を止めて、暗くなり始めた空を見上げた。黒くて大きな雲が一つ、浮いている。



     大事にされた女の子、東雲アリサ・オリジナルは死んでいた。郊外の道の端に倒れて、誰にも知られないまま、ゆっくりゆっくり腐っていく。

     エリナから借りた赤いスカートが、花弁のように広がっていた。



     東雲エリナは窓の縁に腰かけて、夕方の風に髪をなびかせていた。

     穏やかな、とても穏やかな気持ちだ。

     見下ろすと、庭でドナが花に水をやっていて、街へと続く道の向こうからベルが歩いてくる。手を振ると、ベルが手を振り返す。エリナのことをアリサだと思っているのだ。

     可愛い私たち――姉妹とはちょっと違う。姉妹だったらみんな別々の人間で、予備ではない。だから姉妹ではない。私たちはみんなアリサの予備だ。

     エリナ。戸籍上の名前は、アリサ・E。役割は、オリジナルが発揮できなかった才能を開花させること。

     それがE。

     もしAが政治の才能を発揮したら、Eは別の活動、例えば音楽に打ち込む。Aが芸術に秀でているのなら、Eは別の分野を目指す。Aが徹底的な英才教育を受けて「国を作る人材」となり、それをB、C、Dが支援して、EはAと異なる形で自己実現を果たす。

     それが理想のA、B、C、D、E。令和時代の五人組。

    「くっだらない」エリナは叫びたくなる。

     どうして生まれる前から、生まれた後のことを決められなくちゃならないんだろう。

     亡き両親は言った。

    「お前はアリサと別の道を行きなさい。頑張りなさい。アリサ・E、オルタナティブ。それがアリサの名誉になる」

     どうして私が5人もいるの?

     どうして“この私”がAじゃないの?

     そのことが、ずっとずっとわからなかった。

     だから一週間前、アリサに言ったのだ。

    「オリジナルになってみたい」

     ずっと宝物扱いされていたオリジナルは、驚きながらもこう言った。

    「私もEになってみたい」

     嬉しかった。やっぱり私たちは同じ人間だった。もし、オルタナティブとかいうくだらない区別さえなかったら、きっと仲良くなれたのに。

     アリサとエリナは、一時的に立場を交換した。エリナは家に留まり、アリサは旅に出た。オリジナルであることを忘れて、広い世界を端から端まで見て回りたい。そう言って笑ったアリサの顔を、エリナは鮮明に覚えている。

     オリジナルになって、宝物として扱われる。それはとても素敵なことだった。だけど、ずっとそのままでいることは気が咎める。アリサもきっと飽きるだろうし、何よりベルが可愛そうだ。だからあと数日遊んだら、正体を明かそうと思っていた。そしたらカリンも戻るだろう。

     気になるのは、アリサから全然連絡がないことだ。毎日連絡すると言ってたくせに、この3日間、ちっとも音沙汰がない。

     死んだのかも、と考えてから、エリナはその想像を振り払う。きっと浮かれているのだろう。

     ……それとも、本当に死んでいるのだろうか。25年間、ずっと大事にされてきた子が、人知れず死んでいる。その想像は――自分でも意外なことに――面白かった。だけどそれは、空想だとわかっているからだ。

     アリサが帰ってきたら、なんて言ってからかおう。ずっとこのままでいようと言ったら、どんな顔をするだろうか。

     エリナは、5番目扱いされていた娘はくすくすと笑って、遠くの街並みを見つめた。

     日が暮れつつあった。3番目の東京都、Cが、夜を迎えようとしている。

    【投稿者:1: 3: ヒヒヒ】

    あとがき

    2015年に書いたお話を書きなおしました。クローン技術って、今どうなってるんでしょうね。

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    コメント一覧 

    1. 1.

      20: なかまくら

      一人のヒトでオルタナティブのやっている全部をやろうとしているから苦しいのだけれども、役割を分割したら、それをやろうとすること自体に苦しみが生まれるのだなぁと思いました。自己犠牲は、ヒトには難しいのでしょうね。頭では分かっていたとしても。