文学少女の手紙

  • 超短編 1,545文字
  • 恋愛
  • 2017年04月15日 12時台

  • 著者: 爪楊枝
  •  「彼女が死んだ」という知らせは、少なからず動揺を誘った。葬儀報告のハガキには、4日前に彼女が逝去したと記されている。

     彼女の控えめな笑顔が浮かんだ。大学時代に同じゼミに所属していた関係で知り合ってから、よく丁々発止の議論を交わしていたものだ。いつもはあれほどまでにおとなしい彼女が、文学のことになるとやたら饒舌だったのは文学好きたる所以だろうか。
     好意を持っていたし、あっちも好意を持っているように感じていた。でも、そこから進まなかった。お互いが奥手で、関係を崩したくないという気持ちがプラトニックな関係より先に歩む勇気を奪っていた。結局、就職後離れ離れになり、文のやり取りはしていたものの、お互いが所帯を持つに至って、そうしたやりとりも消えていった。手紙がこなくなったのはもう何十年前のことだろうか。お互い仕事をして、子供を育て、孫の顔を見て、忙しく暮らしていたことの証かもしれない。
     この頃は定年退職を経て、すこし生活も落ち着いてきた。久しぶりに手紙でも書こうかと思っていた矢先だった。だから、あまりにもあっけなく文通再開の見込みが断たれ、惚けていた。そうか、葬式は3日後か。行こう。直ぐに決めた。
     遺影の彼女は老けていたが、あの控えめな笑顔を浮かべていた。綺麗だった。何かほのかに香るかのような、何かさわさわ聴こえるような、そんな素敵さだった。
    葬式から帰ってくると、妻が封筒を渡してきた。どうやら僕宛らしい。とりあえず、仕事を終えてから見ることにした。
    ひと仕事終えて、書斎で封筒を開けると、中からは便箋が出てきた。それは彼女の字だった。

     あなたに頭語なんて使わない。それほど私たちの関係が離れているとは思わないから。この手紙を読んでいる頃には、私はもうきっと筆を取ることはできなくなっていることでしょう。最後に書く文字が、遺言書ではなくあなたへの手紙であることに甘酸っぱい幸せを感じている。そんな感性がまだ残っていることは嬉しい発見かもしれない。
     大学時代はあなたのそばが私の居場所だった。楽しかった日々、瑞々しかった日々、過ぎるのが怖かった日々。きっとあれは恋だった。今でもたまに夢みることがある。もしあそこでもう少し勇気があったならって。だけど、今の家族との暮らしも楽しかった。夫も息子も、信じられないくらいの恵みを私に与えてくれた。それはあなたもおなじなんじゃないかと思う。だって、手紙書く暇ないくらい、お互い充実していたでしょ?
     でもね。あなたとの大学生活が私に与えてくれたものは、それに勝るとも劣らないくらいだった。でも、その時間は短く儚い。渡り鳥が空で寸刻交錯するように、大海原で二船が束の間同じ方角に向かうように、流星群の星々がほんの一時共に旅をするように。
     あなたとの思い出はポシェットに収まるサイズだった。それは決して悪い意味じゃない。思い出は軽すぎてもつまらないし、重すぎたらつぶされてしまう。いつも持ち歩けて、旅路では苦にならなくて、迷子になったときは行く手を指し示す地図になってくれて。本当に深い愛情はまったく違う場所でまったく違うことをしているときにこそ発揮されるらしいけど。どうやら私たちはそうだったみたい。少なくとも私はずっとあなたと一緒に旅をしていた。

    ありがとう、希望をくれて。
    ありがとう、愛をくれて。
    ありがとう、出会ってくれて。
    次にあったときはもう少し長く二人旅をしたいな。

    あなたが大好きな文学少女より

     言葉がなかった。言い表せる言葉が存在しなかった。ただ熱い。何かがぽっかりと空いてしまったような気がした。そこにさめざめと雫をそそいだ。でも、深い深いそれは埋まりようもない。悲しかった。でも嬉しかった。愛しかった。

    グラスを取り出し、ウヰスキーをそそいだ。溢れるまで。

    【投稿者: 爪楊枝】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      爪楊枝

      これは祭りに投稿した作品です。
      逃げ切りには失敗しましたが、個人的にお気に入りの作品です。
      楽しんでいただければ、幸いです。


    2. 2.

      1: 9: けにお21

      途中の家族への想いと違うってところと

      最後の悲しかった、でも嬉しかった、てところが好きですね。

      見事に想いや機微を捉えていると感じました。


    3. 3.

      1: 鉄工所

      あの頃の年代の
      ウヰスキー未だ開けてないで
      サイドボードに眠っています。

      こう言う時に開けるのですね
      泪をチェイサーに…