ウミガメのスープ

  • 超短編 1,658文字
  • 日常
  • 2017年04月08日 19時台

  • 著者: 高幡あや
  • 男がそのレストランに立ち寄ったのは偶然だった。

    その晩はひどい嵐で、どの店も早々と閉めてしまっていた。

    暗い街の中を歩いていると、ぽつんとした明かりが見えた。

    近づいてみるとそれは、こじんまりしたレストランだった。

      

    ドアを開けると、カランカランと、ベルの軽やかな音が響いた。

    「いらっしゃいませ。」

    耳もとで声がしたので男は驚いた。ドアのすぐ側にウェイターが控えていたのだ。

    ウェイターはこれといって存在感がなく、まるで影のようだった。

    「ご注文は。」

    そう話しかけられて男は、自分がテーブルに案内され、

    目の前にメニューが広げられていることに気付いた。

    彼は何を食べたいのか、どれくらい空腹なのかもあやふやだった。

    しかし、気がつくと口がひとりでに開き、言葉を発していた。

    「…ウミガメのスープを。」

    「かしこまりました。」

    ウェイターは軽くお辞儀をし、吸い込まれるように店の奥へと消えていった。

      

    男以外に客はなく、店内は古ぼけてはいたが、とても手入れが行き届いていた。

    暖炉の上には飾り物のお皿が並べられているが埃を被ったものは一つもなく、

    どのテーブルにも小さい花瓶が置かれ、花が丁寧に活けられていた。

    彼は少しぬるくなった水を流し込みながら窓の外を眺め、料理が運ばれてくるのを待った。

     

     

    注文をしてからしばらく経ったが、料理が運ばれてくる気配は一向になかった。

    それどころか、料理を作る音もしなかった。

    ウェイターに文句を言おうと立ち上がった時、男はあることに気が付いた。

    ドアがない。

    店内に入る時に使ったはずのドアがどこにもなかった。

    ドアがあった痕跡すらも残っていなかった。

    店内にあったはずの厨房に続くドアも、お手洗いも、ドアというドアが一切消えていた。

    ウェイターは、と思って必死に探したが人の気配すら残っていない。

    男は四角い空間に閉じ込められたのだ。

      

    「悪い夢を見ているのだ。」

    そうだ。悪い夢を見ているのだから、きっと醒めるはずだ。

    男は自分にそう言い聞かせながら自分を落ち着かせようとしたその時、

    ぱさりと音がして彼の足元に何かが落ちた。

    それは、見覚えのある字で丁寧に書かれたレシピノートだった。

    開かれたページの料理は「ウミガメのスープ」。

    ノートを拾い上げ、彼はレシピを読んだ。

    かつて一緒に暮らしていた女がよく作ってくれたメニューだった。

     

    …彼女は生きている?

    そう思った瞬間、男は急に眩暈がするのを感じた。

    そんなはずはない。あの女は、彼女はもういないはずだ。

    あの晩、酒に酔った勢いで突き飛ばした時。

    彼女は強かに頭を打ち付けてピクリとも動かなかった。

    それに。俺は彼女に関するものを全て処分した。

    服もアクセサリーも本も、手紙も、何もかも。あのレシピノートだって。

    それなのになぜ。

     

    突然、男の視界がぐにゃりと揺れた。

     

    「お客様、お客様。」

    耳元でささやくような声が聞こえ、男はビクッと身体を震わせた。

    ウェイターがぴったりと張り付くように立っていた。

    「大変お待たせいたしました。ウミガメのスープでございます。」

    ウェイターは静かに料理を置き、去って行った。

     

    男は辺りを見回した。

    店内は四角い閉じられた空間ではなく、すっかり元に戻っている。

    男は狐に化かされたように呆然としていたが、正面に置かれたスープに目をやった。

    かつて、彼女がよく作ってくれたスープだった。

    男は震える手でスプーンを持ち、ゆっくりと一口啜った。

    紛れもなく、彼女のスープだった。10年の歳月を経てもなお、変わらぬ味だった。

    ひと口、またひと口と彼はスープを口に運んだ。

     

    女は、厨房からホールの様子を窺っていた。

    男の風貌はすっかり変わってしまっていたが、それでも面影は残っていた。

    お金を払い、そそくさと出ていく男の背中を、厨房の陰から彼女は見送った。

     

    男が店を出ると、嵐はすっかりおさまっていた。

    「さあ、ウミガメのスープよ。」

    鼻歌交じりにそう言いながら、彼女が食事の用意をしている光景が頭から離れない。

    男はしばらく立ち止まっていたが、微かに首を横に振った。

    全てを飲み込むような夜の闇に、男の姿が吸い込まれて消えていった。

    【投稿者: 高幡あや】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      20: なかまくら

      前読んだときと印象が違う気がします。ふぅむ、なんというか、逆ウミガメのスープって感じですね。


    2. 2.

      1: howame

      私も以前読ませてていただいたと思いますが、なかなか雰囲気のあるショートストーリーだとおもいます。題名もすてきです。
      ほかの人も確かこの題名で書いていましたよね。


    3. 3.

      1: 3: ヒヒヒ

      これは、ウミガメのスープのクイズが元になってるお話でしょうか。
      彼女が迎えに来たんですね。もの悲しくて恐ろしい。


    4. 4.

      1: 9: けにお21

      ホラー系だが、そんなにどぎつくホラーではない。

      彼女との回想もあり、ほんのりとラブも入っている。

      しかし、後に引きそうな最後ですね。主人公はずっと苦しみそう。

      彼女を殺した罪の意識が、主人公に幻影を見せたのか?

      ドストエフスキーの罪と罰を思い出しました。
      (ちなみに、ドストエフスキーは、僕のお気に入りの作家のひとりです。)

      殺人を犯した罪の意識が罰となり、主人公を精神を苦しめ続ける。

      それに通ずるお話で面白かったです。

      内容も文章も平易で読みやすく、描写や動きも分かりやすく書かれていました。
      好みですね。


    5. 5.

      参謀

       なんか不思議な感じですね。 


    6. 6.

      爪楊枝

      この作品は題名一緒ですけど、別の作品でしょうか?
      以前読んだ作品は普通のウミガメのスープのオマージュだった記憶があります。
      霧の中にいるような幻想的な感覚がありますね。
      ただ、読解力不足で申し訳ないのですが、一番伝えたいことが何か見えにくいと思いました。


    7. 7.

      高幡あや

      こんにちは。
      色んな方に読んで頂いてとても嬉しいです。
      一昨年の夏に書いたものを再投稿しました。
      当時、水平思考ゲームにはまっていて「自分だったらどういう話にするだろう」という
      ところから書き始めました。
      伝えたいこと というのは特にないのですが、自分が想像しうる怖いこと というのは
      書きながら悩んでた記憶があります。