階段を下り始めて三日目になる。さびた手すり越しに下をのぞき込んでみるが、黒々とした都市の「地階」は一向に近づいたように見えない。濃い闇の中、オレンジ色の灯りが大通りを縁取っているのが見えるが、あれは幻なのかもしれない。どれだけ近づこうとも大きさと強さを変えない灯りとは……。
それともひょっとして、あれは星なのだろうか? そんなはずはない、と思いたい。「空に向かって階段を下り続けている」なんてことを信じたくはないが、しかし、三日降り続けても地階にたどり着けない階段を下っている今、どんなことだって起こるような気がしている。
階段は愛想のない鉄でできていて、その周りを腰ほどの高さの手すりがぐるりと取り巻いている。三十七段降ると踊り場につく。そこで百八十度向きを変えて、また三十七段を下る。すると次の階につく。
どの階も同じに見える。階段と同じ黒い鉄でできた廊下に、これまた黒い扉が並んでいる。階段をずっと降るうちに、ひょっとして、おかしくなったのは自分の目ではないかと思うようになっていた。色覚が失われているのでは? そう思うたびに手すりから顔を出して下をのぞく。オレンジ色の灯りが道に沿って伸びている。
人の姿はない。時折、絶壁のようにそそり立つ建物の表面を、壊れかけたエレベーターが滑っていくのが見える。あれに乗れればさぞ楽だろうと思ってかなり探したのだが、しかしエレベーターホールがなかった。
手すりから身を乗り出して見上げると、そこには星のない真っ黒な空が広がっている。いいや、あれが空であるはずがないことを、おれは確かに知っている。あれは天井だ。俺はあの天井の上から降りてきたのだ。街のおきてを破って、年寄りの言いつけに背いて、友が止めるのも聞かずに、街の端にあいた穴を抜けて、階段を降りてきた。
まさか、三日三晩歩き続けて、それでもまたどり着けないほど深い穴があるなんて。いいや、穴なんかではない。ここはどうやら渓谷のようなのだ。深い闇が分厚いベールとなって隠しているが、どうやら向こう側にも絶壁があり、その表面をエレベーターが上下しているらしい。時折その機械の筐体に何かの光が当たって、俺の気を引く。
いったいどれだけ歩けば、向かい側に行けるのだろう。
いったいどれだけ歩けば、底につくのだろう。
帰ろう、引き返そう、街へ戻ろう。そう呼びかける理性の声が聞こえる。だが、こうしてやっと来た道を、何の戦利品もなく戻るだなんて。
もう少しだ。あともう少し。
いや、底につく必要はない。ただ、「このために来たんだ」と言える何か、きらりと光る小さな何かを見つけたら、帰ろう。
あともう少し。あともう少しだけ。
亡者のように呟きながら、俺は階段を下り続けた。
あとがき
こんなんできました。途方もなく、表現のしようもなく広い都市が好きです。
コメント一覧
弐瓶 勉が描くような世界観! 無骨で、ロマンがありますね。
上手く小説に落とし込んでいるなと思います。
底につく必要は無い、と主人公が言い出すところ、少し切ないですね。
大きな希望を持って、降り始めたはずなのに。
地獄へ落ちるってこんな感じなのかもしれないですね。