考えるのはもうやめた

  • 超短編 1,530文字
  • 同タイトル
  • 2018年07月27日 06時台

  • 著者: 20: なかまくら
  • しゃりん、と鈴の音がひとつ。
    ある男がいた。髪は伸び、皮膚は裂け、非道い匂いを漂わせていた。足取りはおぼつかず、腕はバランスを取るために左右に揺れていた。
    「おい」 ふいに声がして、男は足元に目をやった。目は爛々と輝き続けており、口はヌラリとして開いていた。
    「おい、と言っている」
    男は応える。「なんだ」
    「お前じゃない。お前の節々に呼びかけている」
    「なんだそれは」
    男は声の出所を探そうと、腰の巾着を探り、胸のすっからかんの財布を探り、仕舞いには草履の網の目まで探り当てようと、踊り回ったものの、とうとうその声の主を見つけることが出来なかった。
    「なんだ、お前も男なら、正々堂々と姿を見せてみろ。もしもお前がその野太い声で女子供なら、黙って顔色でもうかがってれば良いんだ」 男が腹立たしげにそう言うと、遠目に男を見ていた女共が、子共を隠し、一斉に長屋の戸を閉めた。
    通りには男しかいなかった。男は辺りを見回し、不意に本当に薄気味悪い心持ちになって、
    「なあ、“おい”よ」と、声の持ち主を連れにしようとする。
    「お前は今日まで散々っぱら、俺たちに迷惑をかけてきた」”おい”は応える。
    「俺たちって何さ。確かに、俺は貧乏で、嫁っこにも愛想尽かされるし、ええところはねぇ。けどな、人様には迷惑かけちゃいけないって、母ちゃんに、そう育てられてきた。それは、ない」
    男は、肋骨が浮かび上がる胸を張って見せた。誰一人、その姿を見てはいなかった。
    「俺たちは、そのきれい事をやりがいにやってきた。それぞれが考えた。効率の良い動かし方を。怪我をしない方法を、怪我を早く治す方法を」
    ははーん、男には次第に今起こっている事のあらましが読めてきた。俺のこき使っている四肢たちが、訴えてきているというわけだ。そんなものは、自分の感情から生まれる単なる幻惑、気の弱さから生まれるって魂胆だ。。
    男は強気に言い放つ。「考えなくて良いんだよ。考えるのはこっちの仕事だ。それぞれが考えなしに動いたんじゃあ、船は山に登っちまうさ!」
    「ああ、そうかい」 しゃりん、と鈴の音がひとつ、真っ昼間の長屋通りの静けさに響いた。
    男は恐ろしい感じがして、一歩二歩と後退る。
    「あんたが考えないからだ。あんたが全部悪いんだ」 右手が言って、
    「うるさいな」 左手が頬を張った。左右の足が、鈴の音を鳴らす浪人風情に一歩二歩と身体を近づけていく。
    「おい、よせ」 ヌラリと開いた口がカサカサとしぼんでいく。
    振りかぶった刀は、男から四肢を解放していく。それぞれに異様な細い半透明の脚が生え、その場で飛び回る。
    「やったーー! 自由だー!!」
    浪人は、無表情にしばらくそれを見てから、
    「それで、どうやって生きていくつもりだ、お主達は・・・」そう問うた。
    「さあね。とりあえず、生きていれば、生きているのさ。求められてもいないことを考え続けることは、何よりも苦痛だった。考えないで、男の四肢として生きるのも命かと思った」
    浪人は、話の相手、切り落とされた手首を、その止めどなく流れる血を追いながら話を聞いていた。
    「だけども、それじゃあ、生まれてきた意味が分からない」
    手首はそう言って、ぱたりと倒れた。
    足が生え、ばらばらになった男の肉体は散らばっていく。脳が心臓を引き連れて、どこかへ飛びたとうとしていた。
    浪人は思わず聞いた。「どこへ行く?」
    「さあね、考えるのはもうやめたんだ。求められてもいなかった。エネルギーばっかり喰ってね。良いことなんて無かったよ」 脳がそう言い、
    「心はここに置いていく」 心臓が晴れ晴れと言った。
    「もうドキドキすることもないのだろうな」 浪人が手向けの代わりにそう言って、
    「これからだろ?」 心臓がそう言って、脳は無邪気に頷いて、空高く舞い上がっていった。

    【投稿者: 20: なかまくら】

    あとがき

    すごく考えて書いてしまいました。

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    コメント一覧 

    1. 1.

      1: 3: ヒヒヒ

      恐ろしい話ですね。手足の反乱、五臓六腑もそれに雷同して、しかもそれを可能にする謎の浪人がいる。
      「私は日ごろ、手足の忠誠を得られるような暮らしをしているだろうか?」と脳が自問した時に
      なぜか手が止まりまして……おっと。


    2. 2.

      20: なかまくら

      >ひひひさん
      感想ありがとうございます。
      手足とは、我々労働者を思ったのです。
      謀反、おこしたい!