今日も1人病室に向かう。
妻は、えーっと、風邪だっけ?
子供たちは、誘っても来ない。
義母は私が分からないらしい。どんな気持ちだろう? 誰だか分からない男だけが、たまに見舞いに来るのって。
「どうしてこんないじわるするんですか?」
今日のお義母さんはブルーだった。「いじわる」っていうのは、娘と会わせてくれない、ってことなんだろうなぁ。その娘は、母に風邪をうつしたくないと言って、心を痛めながら、家でガーガー寝ているよ。
お義母さんが病院で寝たきりになるまでは、昼まで俺が一緒に過ごした。一緒に昼飯を食べて、俺は仕事に行く。定時制高校なので、出勤時間は午後1:25だった。
ある日、お昼のオカズに素晴らしくおいしそうな串をイオンで見つけた。しかしそれだけでは足らなそうなのでそこそこおいしそうな串と2本ずつ計4本買って家に帰った。
さて、昼になって、例の串をオカズに昼飯を食おうと思ったら、素晴らしくおいしそうな串が2本ともない。
「お義母さん、ここにあった串2本知りませんか?」
「知らない」
「じゃあ、お昼ご飯にしましょうか?」
「要らない。お腹いっぱい」
「犯人はお前だっ!」
と叫んだのは、もちろん腹の中である。ボケてしまっているのだしょうがない。
昔は、厳格な母だった。妻はそれが忘れられなかった。ボケた母がじれったくて、手を挙げてしまったことがあると、何かのときに妻が打ち明けてくれた。私が寛大でいられたのは他人だと思っていたからかもしれない。
ある時、見舞いに行くと、お義母さんは、やたらポジティブだった。俺を誰だと思っているかは、面倒なので確かめなかった。1人だった。義母の死の半年前くらいは、ずっと1人だった。
「土鍋を出してくれ。壊れやすいから気を付けて」
何を作る気だったんだろう。長いこと立つこともままならず、物を口から食べる事すら、年単位でしていないのに、そればかりを何度も繰り返した。
お義母さんが家にいたころ、ゴミの出し方が滅茶苦茶になった。
「2日も続けてゴミ収集車が来るわけない」とか、
「燃えないゴミだって、燃えるごみの袋に入れて出せばいい」とか、
独自理論を展開し始めた。
家族のいう事は聞かない。
唯一の救いは、ご近所さんのいう事は聞くこと。
聞くだけじゃなくて、ご近所さんに怒られると、少し凹むこと。
お医者さんに相談したら、一旦捨てさせて、こっそり回収するのが一番ですと言われた。
言うは易し、行うは面倒臭し。
その日の見舞いも一人だった。
でも、ちょっと違った。
「あんな嫁で、ごめんねぇ」
お義母さんは確かにそう言った。
カミさんの悪口なんてどうでもいい。
俺が娘の婿と分かった?
俺が誰だか分かった?
嬉しいじゃねぇか、オイ!
それから、そう日は経たなかったかな?
お義母さんは危篤状態になった。
家族で駆け付けた後、意識は戻った。
話せるようにまではならなかったが、明らかに目は見えているようだった。
妻は枕元で顔を見せた。
病気をうつすといけないから。どうしても仕事が忙しかったから。
一片の嘘もない。しかし、悔いは残る。
妻は顔を伏せた。
「顔伏せんな。顔が見えねーだろ」
俺にしてはきつい口調。
妻は顔を上げた。
幸い親戚たちともお別れができて、義母は安らかに息を引き取った。
妻はかなり悔いを残したようだ。
義母のお骨が家に帰ってから、毎日線香をあげていた。
俺は口には出さなかったが、腹の中でつぶやいた。
「遅せーよ」
あとがき
そんなこんなで、祭り作「月がきれいだ」は生まれました。
コメント一覧
生きていて後悔はできるだけしたくないですね・・・。
そう思っていても、なかなかうまくいかなくてもどかしいものです。
「月がきれいだ」は確かに、そう言う背景があったのですね。まるで、文学の世界みたいです。
老いた人と付き合うのはなかなか大変なものですよね。
この作品を読んでほろっとしたのは私だけではないと思います。
娘さんには娘さんの優先事項があって仕方がなかったのだと思います。お母さんはそれもわかっていたと思います。その代り優しい娘さんのご主人がいたし。
うーむ、誰しも呆ける可能性はある。
そして、必ず死ぬものだ。
それは受け入れるしかない。
そのように考えると、日々の些細な悩みなど、軽く感じられる。
また、看る立場からすれば、イライラしたり、見るに忍びなくなったり、疲れたりすることでしょうね。
私小説は、大好きです。
ぐっと来ました。
頼れる人がいるって
一番の幸福だと思います。
頼られることも
それは名誉な事であります。
文節に言葉には表せない
感謝の気持ちが…ふと
読み取れました。