アンドロメダ銀河行きの宇宙旅客船に、ジョイスはこそこそと乗り込んだ。決してまだやましいことはないのだが、気分はすでにそぞろだったからだ。
船は大小百以上の区画に分かれている。ジョイスがパンフレットに従って、チケットに書かれたコンパートメントに向かうと、そこには穏やかな顔をした老人が座っていた。大切なものを待ち焦がれる人特有の希望に満ちた佇まいだった。老いの中にも力強さを感じる目の光があった。ジョイスは一目で、その男を気に入っている自分に少し驚いていた。
コンパートメントに入ってきた男性は目尻に優しさが出ているが、どこか鋭い雰囲気を漂わせていた。しかし、ビリーはとても好ましく相手を感じた。おそらく、四十年来の友人だったジェームズと似た雰囲気を感じたからに違いない。ジョイスと名乗ったその男と、発進を待つ間、ついつい話し込んでしまっていた。
コンパートメントに置かれたテレビが、ニュースで巷で話題の痴情のもつれで人を殺した男の話を報じると、
「こういうニュースを見ると虫唾が走る。ありとあらゆる殺人は全て弁解の余地のない悪ですよ。特にこんなくだらない理由は他にない」と吐き捨てた。理知的だが、情熱的。若さゆえの威勢のいい正論が、とても羨ましかった。
「確かに殺人は悪だ。決して許されない罪だ。ただ……」ビリーが異論が有り気な肯定を述べると、ジョイスは少し鼻白んだ顔をした。あなたの考えは間違っていると言いたげた。
「少し昔話をしてもいいかい。老人の戯言として聞いてもらって構わないから」ビリーは自分が会ったばかりの男にそれを話そうとしていることに、内心驚いていた。ジェームズを感じさせる雰囲気が舌を不用心なまでに柔らかくしているのかもしれなかった。
あれは、私がまだ三十手前頃のことだった。両親を事故で失った私は、必死で働いて、どうにか妹を養って生きていくだけの余裕が生まれ始めていた。妹のマリアは両親を幼くして失った反動か、私に甘えてばかりいた。料理一つ作れない。掃除もできない。でも、私はそんな彼女を心から愛していた。
私の趣味は釣りだった。近くの川べりでぼんやりと釣り糸を垂れるのが休日の日課だった。ある夏の日、ジェームズは私の隣に座ったんだ。麦わら帽子を被って半袖のシャツを着た彼は優しそうだが、どこかに影のある男だった。私より一回りは年上に見えたが、その影がもっと彼を年上に見せていた。餌を買い忘れてまごついているジェームズに、私が餌を譲ったことで、彼とは友人になった。
彼とは毎週一緒に釣りをした。最初は何を話すでもない。ただ横に座って釣り糸を垂らすだけだった。ポツポツと互いのことを語り、なんでも語り合える仲になった頃には、季節は冬を迎えていた。
あの日、マリアが釣りをしている私の元に来たのは偶然だった。彼女は待つことが苦手で、釣りが嫌いだったからだ。作った弁当を忘れた私に、友達の家に行くついでに届けてくれただけだった。ただ、それは運命だったのかもしれない。ジェームズはマリアを見、マリアはジェームズを見た。多分、彼らにはそれで十分だったのだろう。
その日から、マリアは釣りにちょくちょく顔を出すようになった。結構面白いんだものとマリアは言っていたが、私には理由が明白に思えていた。彼らは時々、二人で出かけ、遅くまで楽しそうに遊んでいた。ふた回りも離れた二人だが、私にはお似合いに思えていたよ。
ただ、ジェームズには秘密があった。彼が真剣な顔で私を呼び出した日を、今でも覚えている。月がきれいな秋の夜だった。
「私はマリアを愛している。ただ、私の手は真っ赤に汚れている。彼女を傷つけてしまうかもしれないから、君にだけは、先に知っておいてほしい。そして、全てを彼女に伝えてほしい」ジェームズは顔面蒼白で、地面を握りしめるように力を込めて立っていた。そうでもしなければ今にでも倒れてしまうかのごとく。悪夢を見ているようだった。それほど、彼は鬼気迫っていた。
ジェームズは二卵性双生児だった。彼の兄はジョナサンと言った。彼らは二卵性でありながら、一卵性双生児よりもよく似た兄弟と評判だった、いつも気の合う二人の不幸は同じ女性を愛したことだった。二人は壮絶に争った。その争いがどれほど激しかったものかは私にはわからない。ジェームズは過程を話したがらなかった。
「私は自分で小さなダイアモンドの指輪を買った。そして彼女に、命がけの告白をした。私を選んでくれないのであれば、私は死ぬと迫った。彼女は私たちをどちらも同じくらい好きだったのだと思う。だから、選択したくなかったに違いない。ただ、彼女は私を選んだ。選ばざるを得なかった。」そう話すジェームズには深い悔いがあった。
「卑劣な手段で勝った私だが、結局彼女を幸せにはできなかった。事業に失敗し、酒に溺れ、暴力を振るった私を、それでも彼女は支えてくれた。彼女が子供を産んだのはそんな頃だった。私は我に返った。彼女と我が子のために全てを捧げようと心に誓った」ジェームズは寂しく笑った。
「楽しかったよ。全てが辛くなかった。なんでも乗り越えられると思っていた。あの日までは。」
「私の子供は、A型だと知らされた時だ。稲妻が走った。私はO型で、彼女もO型だった。A型は生まれるはずもなかった。何より辛かったのが、自分の面影を子供から見て取れたことだ。兄はA型だった。何も根拠はなかったが、私は確信していた」ジェームズは暗く瞳を光らせた。
「私は兄を殺した。そして、何もかも捧げると決めた家族から逃げるために、太陽系から逃げ出して、この星に隠れ住んだんだ。マリアには全てを伝えてくれ、そして、私に君を愛する資格はないと」ジェームズはそれだけ言うと足早に立ち去った。私は身動き一つ取れなかった。
私はマリアに全てを明かした。彼女は取り乱して、一晩自分の部屋で泣き続けた。
でも、翌日彼女は、真剣な顔で私にこういった。
「ビリー兄さん。今までありがとう。私は、ジェームズと一緒に生きていきます」と。甘えん坊のマリアはそこにはいなかった。彼女は一人の女性に成長していた。私にはそれを止める言葉がなかったよ。
ジョイスは次の言葉を促すように、目の前の老人を見つめた。しかし、ビリーは首を振った。
「話はそれで終わりだ。二人はそのまま結婚し、その星で子供を育て、幸せに暮らした。私は仕事の都合上で太陽系に戻ってくることになったが、彼らとの関係は何も変わらなかった」ジョイスはじっと押し黙っている。
「ジェームズは一昨年、亡くなったよ。私は未亡人となった妹に会いに行く予定だ。要するに私が言いたかったのはね。許しがたい罪を犯した殺人者が、私の親友であり、妹の夫であったということなんだ」ビリーは言葉を切った。
そのまま二人は押し黙ったままだった。宇宙旅客船は静かに発ち、そして到着した。二人は立ち上がり、そして、向き合って最後に握手した。そのままビリーが立ち去ろうとすると、ジョイスは右手を差し出した。
「私の旅の目的は図らずも達成されてしまいました。感謝すべきかどうかはわかりませんが……。これをおばさんにお渡しいただけますね?」ジョイスの右手の上には、古ぼけた小さなダイヤモンドの指輪が乗せられていた。
あとがき
間に合ってよかった。
コメント一覧
んー
この作風って3人ぐらいいるのですよね…
でも、投稿で2人と判明したので、ギリギリ投稿で一作目とするとヒントですね。
スズメノテツパウです。
おおおー・・・それで、ジェームズからのジョイス・・・いや、うならされました。西洋の名作と呼ばれる推理小説を図書室で読んでいた頃を思い出しました。
これは、爪楊枝さんでしょうね。
砂犬ですこんばんは。
ジョイスは母を置き去りにした父に復讐に来たんでしょうね。
自分の出生の秘密をすでに知っていたのかどうかでお話の解釈が変わりますが
父が晩年を過ごした惑星に立って、ジョイスはどんなことを考えたんでしょうね。
読み応えのある話でした。爪楊枝さんですね。
「最後の実況ですアメジストです」
「最後の解説ですガーネットです」
「それではガーネットさんお願いします」
「それではまず作品の感想を、ブラヴォー、傑作だと言わざるを得ません。最後のシーンへの展開が見事です。キーワードも違和感なく入り、ジョイスの心情が良い読後感を呼んでいます。なんというかあまり感想を書くのは野暮なような気さえしますね。この作品は爪楊枝さんですね。他の作品を読むたびに偽装を疑っていたのですが、一作しか投稿してないのであればこれが彼の作品でしょう」
「これで作品の予想を終わります。皆さまいかかでしたでしょうか?それでは私達の正体は作者発表後になります。それまでしばしのお別れを、さよなら」
アメジストさん、ガーネットさん、恐るべき洞察の数々!
コメント欄、大変楽しめました! お疲れ様でした!!
固茹でだねぇ。
うわーーーすごく素敵です!
濃密な物語に没頭しました。
登場人物それぞれの思いが切なく交差していて、とても悲しいけれどよかったです。