新月の夜。街は、燃え盛る炎に照らされていた。
勇は妻の瑞葉を背負いなおすと、倒れたビルを迂回して、進んでいった。
「日本は負けたのね」瑞葉が言った。
「たぶん共倒れだ。敵の攻撃も止まった」
「宇宙に逃げた奴ら、堕ちたみたいね」
「だが、俺たちは生きてる」
勇は歩き続けた。
丘の上に立つと、壊滅した都市が見下ろせた。
力なくあたりを見回していた勇は、ある一帯に目を止め、叫んだ。
「見ろ、街だ」
見下ろす先に、無傷の街があった。
高い壁に守られたそのエリアの中では、ビルが立ち並び、工場が稼働している。
炎が空を暗く焦がす中で、その街だけは煌々と輝いていた。
勇の背中で、瑞葉が息をのんだ。
「あの攻撃に耐えたの?」
「違う、たぶん、蘇ったんだ」
「蘇った?」
「聞いたことがある。
戦争に勝つために、自己再生能力を付与された都市があると。
爆撃されて焦土になっても、中心核さえあれば、そこから都市が再生する」
「そんな馬鹿な」
「とにかく行ってみよう」
その街は周囲を高い灰色の壁に覆われており、中に入るには門を通らなければならないようだった。
「誰かいますか」
勇が門の前で呼びかけると、どこからともなく柔らかな声が答えた。
「こちら横浜市です。担当者不在のため、行政用AIが回答致します。ご用件は」
「中に入れてほしい」
「戦時中のため、市民以外の入市を制限しています」
「避難民だぞ」
「横浜市への転入手続きは可能です」
「それをしたい」
「それではあなたの転出届、指紋、マイナンバーを提示願います」
「転出届はない。マイナンバーも焼けてしまった」
しばらく間があった。
「戦災を理由とする書類の省略が認められました。
マイナンバーは口頭でおっしゃっていただければ結構です。どうぞ」
勇の顔が不安で曇った。
勇は、12桁の数字を言い切ることができなかった。瑞葉も同じだった。
「本人確認ができません。情報を揃えた上で、またお越しください。
こうして夫婦は、壊滅した都市のさなかに取り残された。
新月の夜のことだった。街を焦がす炎に照らされて、あたりはどうしようもなく暗かった。
勇と瑞葉は、大地が放つ毒を避けるために海へ出て、2人の子をもうけた。
それから十数年後。
両親が亡くなった後も、子供たちはたくましく生きていた。
船の上で星を数えて眠り、魚を追う暮らし。
ある日、漁をしていた2人の近くに、オレンジ色の救命ボートが漂ってきた。
「捕まえよう!」
妹の瑞希に急かされて、姉の泉は帆を張り直した。
ボートに人は乗っていなかった。
「食べ物の箱だ。空っぽだ」
「靴だけ置いてある」
「こっちはリュック」
泉が中を漁ると、いくつかの日用品、小さな指輪と一緒に、カードが出てきた。
泉はカードを読んだ。
漢字はいつか必ず使うからと、両親から徹底的に叩き込まれていた。
「氏名、あかばねみつき」
「呼んだ?」瑞希が手元をのぞき込んでくる。
「違うよ。月がきれいって意味の美月。お前はみずき。瑞々しい希望だってさ」
「えーっと、仮発行。要、指紋と写真再登録。マイナンバー通知カード」
二人はその瞬間、顔を見合わせて叫んだ。
「マイナンバーだ!」
父親が事あるごとに言っていたのだ。
「マイナンバーさえあれば、お前たちをもっと幸せにしてやれたのに」
二人は横浜市へと船を走らせた。
傾いた日に照らされてキラキラと輝いているのは、横浜ランドマークタワー。
その足元に見えるのは、巨大船と見間違うような大さん橋。
それをよけて南へ進むと、公園が見えてきた。
海を見渡せるようにベンチが置かれているが、人間がいたことは一度もない。
街路樹にクワガタが張り付いているのが見える。整備用ロボットだけが周回する公園。
人の腰までしかない低いフェンスの上で、たくさんの海鳥が羽を休めていた。
「ここから市内へ入れればいいのにね」瑞希が呟く。
昔、ここから侵入を試みた勇は、左足を撃たれて帰ってきた。
遊覧船乗り場の隣に、臨時入管が設置されていた。
小さな部屋の中に、市内への立ち入りを制限するゲートがあり、その前に受付機がある。
機械の前に立つと、AIの優しい声が聞こえた。
「ご用件をどうぞ」
泉はマイナンバー通知カードを握り締めながら、震える声で答えた。
「転入手続きがしたいです」
もう何度も試した手続きだった。いつも「書類不足」「保証人不足」で却下された。
「マイナンバーはお持ちですか?」
「あります!」
『みつきさん、勝手に使ってごめんね』
泉が胸中で呟きながらカードを掲げると、AIは言った。
「こちらは仮登録カードです」
「え」
「指紋登録が必要です。機械の前に立って、手を広げてください」
「あたしじゃま?」
脇に避けようとした瑞希を、泉が止めた。
「お前が登録しろ」
「え、あたし?」
「カードは一枚だけだ。横浜市民になれるのは一人だけ」
「姉さんはどうするのさ」
「お前が市内に入って、何か探せ」
「何かって」
「何かだよ。予備のカードとか、市長の許可証とか」
「そんなのわかんないよ。姉さんが行ってよ」
「バカ。ろくろく船も動かせないくせに」
「漁ならあたしのほうがうまいけど」
「いいから言うこと聞け」
泉はそう言って、機械の前に瑞希を押し出した。
「あっ、ちょっ」
フラッシュが光って、写真撮影が終わる。
「本登録完了。転入手続きを再開します。
転入が認められました。赤羽美月様、横浜市へようこそ」
機械から発券された市民証を、泉は瑞希へ押し付けた。
「行け、行けったら」
妹の背を押し、入管ゲートへ押し込む。
「姉さんはどうするのさ?」
「私は、海鳥でも捕まえながら待ってるよ」
ゲートが作動し、妹の姿が境界線の向こうに消える。
「大丈夫、絶対大丈夫だから!」
そう叫ぶと泉は背を向けて、建物を飛び出した。
船に戻ると、日はとっぷりと暮れていた。
暗い水面に、横浜市の落とす光が揺れている。
見せるものとて誰もいないのに、この街は、いつも夜になると明かりを灯すのだ。
「これでよかったんだよね、父さん」
それから7日が経った。泉は横浜市の近くで漁をしながら、妹の連絡を待った。
妹はちっとも姿を見せなかった。
8日目の夜、泉が船を公園の側に寄せると、背の低い柵の向こうに人影が見えた。
「姉さん!」
「瑞希!」泉は叫び返した。「何やってたんだ、さすがに心配しただろ?」
「ごめんごめん」と言って頭をかく瑞希の様子は、普段と少し違う。
新しい服に着替えていたのだ。海水に汚れたぼろ布とズボンではなく、真っ白なブラウスに綺麗なスカート。
「すごいもの手に入れたよ」
と言って彼女は、銀色の身分証を捧げた。
「横浜……市長!?」
「ええっとね、市民が1名以上になったため、臨時市長選を開始します。
候補者一名のため、自動当選と致します。って、AIが言ってた。
待たせてごめんね、市長ってめちゃくちゃ書類書かなきゃいけないんだよ」
おかしいね、と言って笑う瑞希。
「ってことは、お前」
おほん、と瑞希がもったいぶって咳をする。
「AI、いいよね」
公園のどこかから、あの優しい声が聞こえてきた。
「どうぞ」
瑞希は言った。
「申請に基づき、転入手続きを行います。市長権限により、各種証明書は省略!
それでは、お名前をどうぞ」
苗字は私のと同じにしてね、とほほ笑む瑞希を見て、泉は涙をこらえられなくなった。
父さんたちの夢が、叶うんだ。
「あかばね、いずみです。希望が泉のようにあふれてくるからって、父さんがつけてくれました」
「涙しか出てないじゃん」
「うるさい! 今それ言うか?」
泉が怒鳴ると、瑞希は笑った。泉も笑った。
笑いあう姉妹の上で、満月が輝いている。
その日はとても、とても明るかった。
あとがき
ま、間に合いました…
コメント一覧
マイナンバーと言えば ほみち さん
でも、攻撃と言えば けにおさん
しかし、この流れはでんでろさん
あれ?どちらだろうー
ヒヒヒさんのような気がするんだけれども、よくわからない。
スズメノテツパウです。
これは、SF! いいですねー。SFはどれを読んでもワクワクしちゃいますね。都市は蘇っても、人は蘇らなかったってことなんですね・・・。どこか悲しい未来で、現実の未来をも暗示している気がします。
作者さんは、この展開、構成はでんでろさんか、けにおさん・・・でんでろさんかなぁ。
「この作品好きですアメジストです」
「この作品のせいで予想がくずれましたガーネットです」
「さて消沈しておりますがガーネットさんお願いします」
「はい。この作品はまずけにおさんかでんでろ3さんさんで間違いないでしょう。会話が文章の主体であり、それにもかかわらず大変に読みやすく世界観を理解しやすいです。マイナンバーさえあればというワードは面白く気の利いた風刺ですねこの感覚はでんでろ3さんの感じにすごく近いですし、唯一無二だと思います」
「なるほど、さていよいよラストが近づいてきました。皆さま次の作品でお会いしましょう」
これ好き!
まじすか!?
ヒヒヒさんかあ・・・
そう言われてみれば、姉妹の話で、なんかそんな気がするのでした。。