その日、俺は自分の育った村を前かがみに歩いていた。五年ぶりに帰ってきた村は何も変わっていなかった。俺は世界を救って帰ってきた勇者だというのに、笑ってしまうくらい村人たちはそのことに無関心で、それでも五年も行方不明になっていた俺を生暖かく出迎えてくれた。無理もない。俺が、いや俺たちが立ち向かった世界の危機は一般人が認識できないほどまだ芽生えたばかりで、だからこそ俺たちだけで抑え込めたのだから。それに、「俺たち」と言ってもあの場にいて生き残ったのは俺一人だけだ。つまり、誰も俺を勇者として語るものも、俺と共に戦った喜びを分かち合ってくれるものももうこの世にはいないのだった。俺は世界を救った優越感と仲間を失った喪失感を一人で背負ってこれから生きていかなければならないのだろう。そう考えると、やはり気分は重かった。
この小さな村では村はずれの自分の家からでも、ゆるい坂道を十五分も登れば村の中心にある村の長の家の横を通ることになる。彼は帰ってきた俺に対し、しばらくして落ち着いたらまた共同体の一員として仕事についてくれと言っている。聞こえはいいが、要は俺がいなかった間に死んだ親父の畑を引き継げということなのだろう。仕方ない。きっと仕事をしなければそのうちまた君は勇者だという程のいい言葉で村から追い出されるのだろうから。五年も外に出ていてわかったが、村とは誰かが仕事をしないとそこから綻びが生じるものだし、長は村を守らなければならないのだから、俺への対応がどうしても厳しくなることはしょうがないと俺も割り切っている。だが、それがわかっていても彼の家を通り過ぎる時はどうしても足早になってしまった。
そこからさらに十分も歩くと俺の目的地にたどり着く。だが、その間に俺は村の市場を通らねばならない。俺の家は今何も耕していない状態なので、夕飯になるものを買わなければならないのだ。それに、紫陽花の花もだ。旅を共にしたうちの一人が気に入っていた花だが、悲しいかな自分の街には自生していなかったのだ。市場に行くと、見慣れた顔がいた。父の友人で、各地を渡り歩く行商だ。おそらく異郷の花も売っているだろう。実はこの男とは俺が勇者として旅に出ていた間に一度会ったこともある。だからだろうか、彼は俺をみてどこか安心したような表情を浮かべた。案の定彼が持っていた紫陽花を買い、軽く世間話をして別れようとしたらふと彼が顔を俺の耳元に寄せて言った。
「お前、帰ってきてから不便してないか。」
俺は薄く笑って大丈夫ですよ、なんでそんなことを聞くんですかと問う。
「いや、ならいいんだ。ただ、この村ではどうもお前のことをよく聞かないんでな。不思議だよな、お前も本当は勇者だぜ。お前らが奴と戦った土地の周りではもう感謝の嵐だぞ。向こうに移住すりゃいいんだよ、なんなら連れていってやるぜ。」
本当にこの人はいい人なのだろう、それは知っている。だが、おそらくその土地に行っても同じことだろう。外にいるぶんには英雄だが、一度共同体の中に入ると俺はただの厄介者だ。だから、俺は曖昧に笑って会話をごまかした。
そこからはもう目的地に向かって一本道だった。道中もほとんど誰とも会わなかった。それもそうだろう。こんな晴れた絶好の種植え日和に共同墓地に墓参りに行く呑気なやつも俺以外にいるまい。もちろん、俺も何のわけもなくこんなところに来る酔狂でもない。畑仕事を始める前に一度父親の墓参りをする必要があった。昔、父親と母親の墓参りに来た時に言われた手順で、手際よく墓掃除をすませると墓の前で手を合わせた。父親が生きていたら帰って来た俺を見て何といっただろうか。やはり家を飛び出した時のように難しい顔をしただろうか。俺にはもうわからない。五年は長すぎた。立ち上がると、次に俺はそこから離れたできたばかりの墓に向かった。幸い金はあったので、仲間の墓も作ってもらったのだ。本来ならば、彼らの生まれた村に作ってあげるべきかとも思ったが、しばらくすると、あいつらの墓を見舞ってやる人もいなくなるのではと思い、やめた。せめて、俺一人でも会いに来てくれるやつがいた方がいいだろう。そう思って新しく建てた大理石のモニュメントの前に立つ。墓に何を入れようかとここ2日ほど迷っていたが、とりあえず彼らの勇者の証だけを持って来た。ついでに俺の分も。勇者としての俺はあいつらとともにもう死んだと同然だろう。そうして墓の下にある空いたスペースに入れようとしたが、そこでふと手が止まってしまった。墓にまとめて入れようとするのに、どうしても俺の証だけ手から離れないのだ。それはもう俺の意志でもなかった。俺はよくわからなくなった。仕方なくポケットにしまう。しょうがない。父親の書斎の机の上にでも置こう。その父親が見ることはもうないのだろうけれど。そう思いながら、墓に手を合わせる。そうすると、どうしようもなく涙が溢れて来た。なぜだろう。もうあいつらが戻ってこないからなのか。死なせてしまったあいつらへの悲しみなのか。それとも、これから俺を待ち受ける陰鬱で平凡な日々のせいなのか。さっきから俺にはもうわからないことだらけだった。
共同墓地を離れてからも涙は止まらなかった。泣き顔で町を歩くわけにもいかないので、遠回りして一時間ほどかけ、山の裾を歩いて自分の家の近くまで帰って来た。その時、ふと俺はある爺さんのことを思い出した。俺の家の近くに住んでいていつも悲しいことがあると話を聞いてくれ、慰めてくれた人だ。もしかしたらあの人なら、と俺の足は自然とその爺さんの家へと向いていた。
彼の家の前に立ち、家の前の鐘を鳴らすと、爺さんの奥さんが出て来た。一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに思い出の中と同じように優しい声で俺に呼びかけた。
「あら、どうしたの?帰って来たとは聞いていたんだけど。ほんとよかったわ、帰って来てくれて。」
俺は素直に嬉しくなった。そして、期待を胸に尋ねた。
「おじいさんは元気にされてますか?」
すると、おばあさんは少し困惑したように目を伏せた。
「ええ、元気なのだけれど、ただ少しボケが入ってしまって。・・・きっとあなたのことも思い出せないかもしれない、残念なのだけれど。」
俺は呆然とした。何も言えないでいると、奥から声がした。
「どうしたんだい?お客さんかい?」
そして奥からこれまた俺の記憶と寸分違わぬ爺さんが出て来た。でも、俺を見ても何も思い出せないようだ。おばあさんは一生懸命説明してくれているが、多分ダメだろう。すると、爺さんは頭を掻きながら俺に向かっていった。
「すまんが、最近覚えが悪くての、お前さんのことも全然わからないんじゃ。でもよければ、わしと一緒に庭で土いじりをしてくれんか。一人でするのは辛いんじゃ。」
そういうと、爺さんは俺を裏庭に導いた。そこで、爺さんは自分の仕事の続きを始めた。俺は少し迷ったが、やがて腰を下ろし、爺さんの手伝いを始めた。
あとがき
初投稿作品です。実際のところ勇者が事を成し遂げて村に帰ってくると、その後はどういう扱いを受けるのかな、という想像から書き始めました。少し暗くなってしまいましたかね、、
コメント一覧
勇者と言うものになったことがないし、見たこともないため、分からないが、大事を成した後の勇者は結構厄介者されるものなのかな?
たしかに、危機には助けてもらわなければならないので、その時には勇者を重宝・英雄視するが、普段は波乱を呼び寄せる厄介な存在に思われている?
つまり、勇者とは大衆が作り上げた拳銃のような兵器になるのかな。戦争が終われば役立たず。そうなると悲しいですね。
>けにお21さんへ
コメントありがとうございます、そうですね、普段の勇者は特に共同体には利益を及ぼさないというか、むしろ浮いた存在になるというか。
それでも、その村で生きていくんだという決意をする主人公の姿を描きたかった感じですね。
おおお、これは面白いですね。
ファンタジーに違いないのですが、それを地に足のついたしっかりとした文章と描写で描ききっていて斬新さがありますね。
また新作が出来たら投稿してください^^!
>なかまくらさんへ
ありがとうございます!少しずつですが、投稿していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。