東京オルタナティブ

  • 超短編 3,473文字
  • 日常
  • 2017年07月22日 23時台

  • 著者:1: 3: ヒヒヒ
  •  西暦2055年、日本の各地に東京都が5つ。

     大事なものには予備が要る。東京A、東京B、C、D、E、5つもあれば大丈夫。大地震だって怖くない。

     大事なものには予備が要る。親にとっては子供が大事。受精卵をコピペして、5つもあれば大丈夫。炭疽菌テロも怖くない。

     2055年、東京は5つあって、25歳の東雲アリサは、自分を5つ持っていた。

      

     A、東雲アリサはオリジナル。大切な5人の中で、最も大事。割れないよう、壊さないよう、お家の中で大事に大事に守ってる。

     B、東雲ベルはオルタナティブ。もしもアリサの心臓が、あるいは肺が、身体のどこかが壊れたとき、ベルが真っ先に部品を提供する。

     C、東雲カリンもオルタナティブ。別に壊れても気にしない。外に出してリスクとリターンを取らせ、消耗するまで働かす。

     D、東雲ドナもオルタナティブ。実験用。

     E、東雲エリナは逃げてしまった。1週間前のことだった。

      

     中央線Cのホームに立って、東雲カリンは汗をぬぐう。

     頭の中は仕事でいっぱい。メールを打って、会議に出て、クレーム受けて、上司に怒られて。それは楽しいとは言えなくて、だけどカリンはC、アリサの2つ目の予備だから、アリサのために金を稼ぐ。

     当然だ。それが自分の役だから。だけど時々考える。もしアリサが、ベルが、他の4人がいなくて、つまり、世界に私が自分一人しかいなかったら、それはどんな気分なんだろう。

    「自分が死んだら、この世から「私」が絶滅してしまう」って、それはいったいどんな気分だろう。

     わからない。

     カリンは駅のホームに立って、夏の日差しを額に受けながら、電車を待つ。「私たち」の中で一番小さかった子を思い出す。

     東雲エリナ、役目を捨てて逃げ出した子。同じ遺伝子、同じ顔、同じ身体を持ちながら、彼女が何を考えていたのか、全然わからなかった。

     私であって、自分でない。

     自分はいったい何なのか。そう問いかけると、いつも母親の声が聞こえてくる。

    「お前はオルタナティブ。大事なアリサの大事な予備」

     アリサは大事。だから予備がある。カリンに予備はない。だから。

     電車がやってくる。これに乗って大切な商談に向かうのだ。お金を稼げ。自分のために、私のために、大事な大事なアリサのために。

     カリンは電車に乗らなかった。鞄を捨てて、東京Cを飛び出した。

      

     高田馬場Bの喫茶店で、東雲ベルは涙をこらえていた。

     昨日、カリンが逃げ出した。仕事嫌さに、何も残さず逃げ出した。

    「ずるいよカリン。あんたがいなくなったら、誰が私たちを養うの?」

     ベルはアリサの世話役で、アリサは国のための「知的労働」をしている。ドナは一種の機械で、エリナは行方不明。要するに、誰もカリンのようにはお金を稼げない。

     ベルは自分が働くことを想像してみる。慣れないことをして、怒られて、お腹をきりきり、胸をずきずき痛める自分を。それはダメだ。

     父親がいつも言っていた。

    「健康でいることがお前の役目だ。お前の身体は、いつかアリサに返すもの」

     治安が良かったのは昔のこと。今ではそこかしこでテロが起きていて、いつ臓器移植が必要になってもおかしくない。

     アリサがダメージを受けた時、スペアとなるのが、ベルの役目だ。

     この肺は、心臓は、目は、耳は、私たちのものだけど、自分のものではない。

     でもそうだとしたら、自分とはなんなんだろう? この自分、東雲ベルは何なんだ。

     ベルはカリンの気持ちを理解した。誰だって、自分を大事にしてほしい。機械でもない限り、それは絶対にそうだ。自分はロボットじゃない。たとえスペアでしかないとしても、機械では、絶対ない。

     カリンとエリナを追って、姿を消そうか。

     ベルはアリサを思いだす。大事な大事な宝物。アリサは英才教育を受けて「知的労働」に従事している。だけどずっとお世話されてきたから、実は、ココアの入れ方さえ知らない。

     ベルまでいなくなったら、アリサは途方に暮れるだろう。

    「カリンの馬鹿」そう言って、ベルはカリンを憎もうとした。だけど憎めない。嫌えない。それはきっと、彼女が私たちの一人だから。私であって自分でない。そんな存在は、どれだけ憎んだって憎み切れない。

     私って本当に厄介だ。そうぼやいて、ベルは家に帰った。

      

     東雲ドナは箒を握って、玄関前を掃く。機械でもできる単純なことが、ドナの仕事だ。

     彼女はオルタナティブで、実験用。

     例えばアリサに、ワクチンが効くかテストしたい。だけど、そのテストをすると体調を崩すことがある。大事な大事なアリサに、そんなテストはさせられない。そこでドナの出番。

     同じ遺伝子、同じ顔、同じ身体。都合がいい。

     どうしてアリサがAになり、ドナがDになったのか、ドナは知らない。両親が「お前はDだから」と言った。ドナにはそれで十分だった。両親がありふれた炭疽菌テロであっけなく死んでからも、ドナは言いつけを守り続けている。

     両親には予備がなかった。だからすぐ死んだ。

     アリサには予備がある。ベル、カリン、エリナ、そしてドナがいる。腐る前に処置すれば、アリサは4回までは生き返る。

     それでいいと、ドナは思う。

     あるとき、エリナにこんなことを聞かれたことがある。

    「オリジナルになってみたくない?」

    「きっと面倒だろうな」と思った。

    「大事にされてみたくない?」とも聞かれた。

    「別に」と答えた。「別に」と答えて、そのままにしていた。

     ドナは箒を動かす手を止めて、空を見上げた。

     

     大事に大事にされた女の子、東雲アリサ・オリジナルは死んでいた。道の途中に倒れて、誰にも知られないまま、ゆっくりゆっくり腐ってく。

     エリナから借りた赤いスカートが、花びらのように広がっていた。

      

     東雲エリナは窓の縁に腰かけて、夕方の風に髪をなびかせていた。

     穏やかな、とても穏やかな気持ちだ。

     見下ろすと、庭でドナが花に水をやっていて、街へと続く道の向こうからベルを乗せた車が戻ってきた。

     手を振ると、ベルも手を振りかえす。エリナのことをアリサと間違えているのだ。

     可愛い私たち――姉妹とはちょっと違う。姉妹だったら、みんな別々の人間で、妹が姉の予備であることはありえない。だけど、私たちはみんなアリサの予備だ。

     エリナ。戸籍上の名前は、アリサ・E――役割は、オリジナルが開花させられなかった役割を開花させること。

     それがE。

     もしAが政治の才能を発揮したら、Eは例えば音楽の才能を開花させる。Aが経営の能力を見せたら、Eはまた別の分野で活躍する。それが理想のAとEだ。Aが徹底的な英才教育を受けて「国を創る人材」になり、B、C、Dが支援して、EはAと異なる形で自己実現を果たす。

     それが理想のA、B、C、D、E。

    「くっだらない」エリナは叫びたくなる。

     どうしてどうして、自分の意見も言えないうちに、未来を定められなくちゃならないんだろう。

     亡き両親は言った。
    「お前はオルタナティブだから、アリサと違う道を行きなさい。頑張りなさい。それがアリサの名誉になる」

     どうして私はAになれないの?

     そのことが、ずっとずっとわからなかった。

     だから1週間前、東雲アリサに言ったのだ。

    「オリジナルになってみたい」

     アリサ、ずっと宝物扱いされていた娘は「自分もEになってみたい」と答えた。

     嬉しかった。やっぱり私たちは同じ人間だった。もしオリジナルとかオルタナティブとか言う役目さえなければ、きっと仲良くなれたのに。

     アリサとエリナは、一時的に立場を交換した。エリナは家に留まり、アリサは旅に出た。オリジナルであることを忘れて、広い世界を端から端まで見て回りたい――そう言って笑ったアリサの顔を、エリナは鮮明に覚えている。

     オリジナルになって、宝物として扱われる。それはとても素敵なことだった。だけどいつまでもオリジナル面することは気が咎める。だからもう少しだけ遊んだら、正体を明かすつもりだった。

     気になるのは、アリサから全然連絡がないことだ。毎日連絡すると言っていたくせに、ちっとも音沙汰がない。

     死んだのかも、と考えてから、エリナはその想像をかき消す。きっと浮かれて連絡を忘れているのだろう。あるいはわざと連絡しない。

     ……それとも、本当に死んでいるのだろうか。25年間、ずっと大事に大事にされてきた子が、人知れず死んでいる。その想像は――自分でも意外なことに――面白かった。でもたまには、こう言う不埒な想像だって許してほしい。自分はずっと、代替品だったのだから。

     アリサが帰ってきたら、なんて言ってからかおう。

     エリナ、大事にされなかった子はちょっとほくそえんで、遠くの街並みをみつめた。

     日がだんだんに暮れつつあった。空が暗くなってゆく。

    【投稿者:1: 3: ヒヒヒ】

    あとがき

    2015年に投稿したものです。SFが好きなので「そんなことあるかい」を突き詰めて考えてみたらこうなりました。
    楽しんでいただければ幸いです。

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    コメント一覧 

    1. 1.

      キノ

      あ、これ読んだ事ある!みんなすごい楽しんで読んでましたよね。今読んでも面白い。ひひひさんのは、読みやすいです。過去作読むと、なんだか胸が熱くなりますねぇ。


    2. 2.

      1: 鉄工所

      ラッキーマザーのDNAは一つと聞きます。
      即ち全人類がオルタネイティブと考えると…
      それは、それで楽しくなります
      今のところ地球はひとつですからね。


    3. 3.

      1: 9: けにお21

      これは名作ですね。

      役目がアバウトなエリナがオリジナルにとってかわるとこが面白い。

      5人が一塊となり、主人公になっているところも面白い。

      世界観としては、ならではの淡々とした冷たい世界。

      あ、でも、最後の方の「不埒な想像」ってところで、人間味を少しだけ感じました!

      さて、チャットで本作完成するまでの苦労話を聞いて、名作の裏には苦労があるのだなあ、と思いました。

      苦労のお陰で、面白い!!


    4. 4.

      1: 3: ヒヒヒ

      コメントありがとうございます。

      キノさん>昔書いた小説って、たまに見直してみると面白いですね。
      こんなこと考えてたんだーって、写真とも日記とも違う記録になります。

      鉄工所さん>その見方で言うと、みんなある種のコピーなんですよね。

      けにおさん>恐縮ですー。一つの世界を作るのには時間がいるんだなぁ、ってことを学べました。