人形峠という峠に人食いの鬼が出るという噂である。
一寸の先も見えぬ夜にこの人形峠を登ろうとすると、後ろから
「そもさん…」と低い声で話しかけてくる。そしてこの声を聞いてしまったら口が勝手に「せっぱ」と返してしまい、問答がはじまる。
その問答の内容は
「ある侍が悪党を捕まえた。しかし悪党は必死に命乞いをする、侍は不殺を信条としていたが、悪党は心(芯)から穢れておりここで見逃せばまた悪事を働くことは必定である。
さぁ、この悪党を見逃せばよいかそれとも命乞いする者を殺せばよいのかどちらか答えよ」
というものだった。こんなもの正しい答えなどあるはずも無く、答える者は適当に答える。
もし、「悪党を殺せばよい」と答えれば「そうか、しかし信条は曲げられるのだ」と返され、そのまま頭を喰われる。
もし、「見逃せばよい」と答えれば「そうか、ならば次の悪事を見逃すのだな」と返され心の臓を抉られその血を吸われる。
ただ、その問答から生きて帰ってきたものもいる。問答にどう答えたのか村の人が聞くと、その物曰く「ただわからない」と答えたと言った。
そうすると鬼は「そうかそうか、わかるまいわかるまい」と満足そうに消えたというのだ。
それ以来人形峠で喰われるものはいなくなった。
ある日、一人の僧が峠の近くの村に訪れた。そしてそこで人形峠の話を聞いた。村人は必ずわからないと答えなさいと忠告した。
その夜、僧が人形峠に行くと後ろから「…そもさん」と声がかけられた、「せっぱ」と返し僧は後ろを向いた。
そこにいたのは、白髪ざんばら髪で角は無いが目が赤く身の丈6尺ほどの鬼だった。
鬼は僧にあの問いを聞いた。僧は鬼の赤い目を、ハシと見つめこう答えた
「悪党を助けてやるのが正しい道だろう」と
鬼は悲しそうな顔して「そうか、ならば次の悪事を見逃すのだな」とい僧の心の臓を抉ろうと構えた。
「悪事を見逃すのではない、言ったはずだ悪党を助けるのだと、救いを与えるのだ。その悪党の心を救うのだ。それができないのなら殺せばよいのだ」
鬼は構えをとき「そうか、なるほどなるほど」といい僧をみて
「もう一つ問いがある、お前は知っていただろう、わからないと言えば逃げれたのだぞ、なぜ危険を犯して、答えたのだ」
僧は鬼をみて自嘲気味に笑い「お前さんにはわかるまい」と答えた。
鬼はニヤリと笑い満足気に頷きそれから猛然と己を喰い始めた。そしてついに首だけになった。そして僧を見て「礼を申す」と言い、果てた。
僧はその場所に首塚をつくり経を唱え「できればお前さんに殺されたかった」と言葉を残しその場を去った。
人形峠から少し離れた村にさる話がある
ある時、一人の侍が悪党を捕まえた。悪党は必死で命乞いをしその場を逃れた、悪党は反省しまっとうになろうとしたが、世間がそれを許さなかった。
いつしか悪党の心にはいなくなったはずの鬼が住み着いた。そしてある時、ひとつの母子を殺してしまった。
食べ物をくすねようとしたのが見つかり脅そうとして殺してしまったらしい、殺す気は無かったのだが己の中の鬼に喰われてしまったのだ
悪党は己の罪から逃れようとその場から逃げた、その哀れな母子の主人は悪党を捕まえた、あの侍だったという。
真にいみじき話である。