三月の彗星

  • 超短編 1,829文字
  • 同タイトル
  • 2022年04月02日 10時台

  • 著者: 20: なかまくら
  • いまから彗星を見に行こう!
    というから、「冗談じゃない」とぼくは吐き捨てた。
    異動が決まって、最後の出勤日のもうすぐ深夜になるという時間のことだった。

    入社したときにはもう既に会社の中核をなす女性(ひと)で、与えられた仕事に困っているとふんわりと現れて、励ましてくれたり、コツを教えてくれたり、実際手伝ってくれた。部署の長になった彼女は「この部署のみんなは私の家族みたいなものよ」と憚らずにそんなことを宴会の席で言い放った。有名なアニメーション映画の空賊を想像し、ぼくたちは笑った。

    楽しい日々がずっと続くと思っていた。けれども、ぼくの異動が決まって、最後にお別れ会をしよう! ということになった。ところが、半世紀前に猛威を振るったというウイルスの流行の兆しが見え始め、飲食を伴う集会の類いは自粛となる。ぼくは残務の処理と引き継ぎに追われ、同僚から掛けられる声に笑顔でうなずきながらも、鬱屈とした気分で仕事に区切りをつけていった。「良かったな!」「寂しいけれど、栄転だから!」
    ・・・ぼくは自分が地位や名声のために、はたらいているわけではないと、これまで知らなかった。なんとなく、はたらくというのはそういうことなのだと思っていたのに、そうじゃないことを、ここに至ってようやく教えてもらったのだ。

    彼女もずいぶんと忙しそうで、あまり言葉を交わすこともなく、最後の出勤日もオフィスの明かりがひとつ消え、ふたつ消え、次第に孤独な時間が押し寄せてくる。今日は上空を彗星が通るらしい。彗星の尾は、彗星表面の物質が融解してガスとなって放出されることによってできるのだという。自分を削るようにして輝いたら、いつかスカスカになって消えてしまうのだろうか・・・。今日は、あいにくの曇天で月も星も完全に覆われてしまっていて、まだ冷たさの残る三月の空気は早い時間から冷え込み始めていた。

    すると、突然彼女が「いまから彗星を見に行こう!」などと宣(のたま)ったのだ。
    「冗談じゃないですよ!」 ぼくは何故だか怒りさえ湧き上がってきていた。
    「いいから、行くよ!」
    「いや、だって、今日はこんな曇りですし、どうせ見えないですって!」 だんだんぼくの声も大きくなる。
    「四の五の言わず支度しな!」 彼女は鞄を引っつかんで、既に扉に向かって歩き出している。その手には、社用ジェットのエンジン鍵が握られていた!
    「えっ、それ怒られますって!」 と言いながら、ぼくは少しワクワクし始めていた。仕事もほとんど片付いていて、どこか名残惜しくて帰りたくなかっただけだったのだ。最後のエンターキーを急いで叩いて、パソコンを閉じた。



    格納庫に着いたときには、エンジンは暖まっていた。
    「早く乗りな!」「はい!」
    威勢の良い返事を返して、乗り込むと同時に発進した。減圧と電磁式カタパルトによる急加速によって、もみくちゃにされる。涙だってちょちょぎれる。海外出張用のジェット機は弾道軌道を描いて一気に超高高度まで到達し、そこで、しばしの水平航行に移行する。
    「ほら、着いたよ」 彼女がそう言って、
    「なんですか、もうやってること無茶苦茶ですよ」 ぼくは涙と鼻水を拭きながら後部座席に収まっていた。

    彼女は無線の電源を入れると、メッセージを送る。
    「あー、あー、無事に上空へと到達した」
    「マム! うまく行ったみたいですね!」「海外との大型契約を1ヶ月以内に取り付けるとか、死ぬかと思いましたよ!」「本当にやります?普通」「始末書、手伝いませんからね!?」

    「ほら、みんなも贈ってくれてるよ」 向こう側はいつもみたいにわいわいガヤガヤしていた。そこから、ぼくだけが離れていくのだ。彗星のように。
    「私からはこれだ」 彼女がそう言って、上を指さすと、尾を引いた彗星がずいぶんと大きく見えた。
    「私にとってあなたたちは家族みたいなもの。あなたが子どもで、私が母で。でも、もしも本当に家族だったとしても、私とあなたは他人なの。別の人間ってこと。だから、冷たいなんて言わないで。一緒に喜んだり悲しんだりはできても、同じ人間にはなれないの。だけど、ずっとあなたのことは大切に思っているのよ。みんなだってきっとそうなのよ」

    彗星が星に近づくのは、ほんの少しの時間だけで・・・たまたま、そういう時期だったのだ。大変だったけど、楽しかったし、幸せだった。
    でも、彗星はまた旅に出る。その身を削るようにして輝くのだろう。
    その削り出された中に現れるものを、またいつか見てもらおうと、ぼくは思った。

    【投稿者: 20: なかまくら】

    あとがき

    この3月で転勤になりました!
    そんなわけで、そんなお話を書いてみました。

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    コメント一覧 

    1. 1.

      1: 3: ヒヒヒ

      >彗星が星に近づくのは、ほんの少しの時間だけで…
      長い間一緒にいた仲間とも、時が来れば離れることになる。
      その象徴としての彗星、いいな、と思いました。
      勢いのあるお話の中に、暖かさと寂しさが同居していて。
      彼の未来に幸多からんことを。


    2. 2.

      20: なかまくら

      >ヒヒヒさん
      感想ありがとうございます!
      三月と彗星の関係性を考えたら、こんなのができました。


    3. 3.

      3: 茶屋

      採用されてたー。やったー。
      星になるのは難しく、輝くのはさらに短く。
      届く光は遥かに過去で、未来は夜空のように、澄んだ暗闇です。
      きっと主人公は同僚や上司の光はあるいは、主人公の光が帰って来たものかもしれません。
      それもまた、遠い未来にどこかへ届くことでしょう。


    4. 4.

      20: なかまくら

      >茶屋さん
      感想ありがとうございますー。やったー。
      遠く離れれば、活躍だって遅れて聞こえてくる。。。
      だから、分かってるんです。茶屋さんの同タイトルはもう仕上がってきているって・・・。
      あとは、届くのを待つだけですね笑
      楽しみにしています。