引き換え

  • 超短編 865文字
  • 日常
  • 2017年04月01日 22時台

  • 著者:1: 3: ヒヒヒ
  •  音声ニュースは木星調査隊の35年ぶりの帰還について一通りしゃべり終えると、同じ声で21時を知らせた。喫茶「ラグランジュポイント」にはまだ2人の客がいたが、年老いた店主は店番をロボットに任せ、眠ることにした。
     ロボットには愛想も知恵もなかったが、オーダーと調理はできた。現金を扱うことはできなかったが、本はとうぜんチラシさえ電子化されていたこの時代、現金を使う客はまれだった。時々そのことをわかっていない客が、ロボットに腹を立てて暴れると言う事件があったが、そんなことはこの店では起こらない。そう、店主は踏んでいた。
     準備万端整えた店主は、ふと気になって、寝室のパソコンから店内を伺ってみた。すると、見事に頭の禿げ上がった老人がロボットに詰め寄っている。老人は紙切れのような物をロボットに突きつけて、おろかにもロボット相手になにかをわからせようとしていた。
     まだいたのだ、紙なんかを使う化石みたいなやつが!
     ロボットが殴られたりしたら大変だ、修理代がいくらかかるやらと、店主は慌てて店に降り、2人の間に割って入った。老人をなだめつつ、老人の持っている紙切れを見る。
     それは珈琲の無料券だった。紙はくたびれていて、インクも色あせている。店主は一瞬、これはうちのものではないと思った。
     が、確かに、店の名前が入っている。しばらく見て、ようやく思い出した。30年以上も前――夫がいたころだ――確かにこの無料券を配っていたことを。
    「期限が書いていなかったので、まだ使えるかな、と」
     老人は笑いながら言う。ずっと昔に一度だけ来たことがあり、そのとき飲んだ珈琲が忘れられず、ずっとこの券を持っていたのだと。
    「にしたって、何で今頃……」
     店主が呆れながら言うと、
    「そりゃぁだって、今まで宇宙にいたんですから、私は」
     老人は木星調査隊のメンバーだったのだ。
     2人は無料券を間において、昔のことを語り合った。新聞が毎日配られていた時代、ロボットがおらず、大勢の人間が狭い地球に溢れそうになっていたころを。
     時折ロボットが足音を忍ばせてやって来て、2人のために珈琲を注いだ。

    【投稿者:1: 3: ヒヒヒ】

    Tweet・・・ツイッターに「読みました。」をする。

    コメント一覧 

    1. 1.

      爪楊枝

      懐かしいなぁ!すごく好きな作品なんですよ。これ。
      過ぎ去った時の流れを思い出しながら、穏やかに語り合う姿が目に浮かびます。
      時折、話に夢中になる2人を邪魔せず、すっと給仕するロボットの腕が見え隠れするのでしょう。
      このムーディさは単なる懐古ではなく、今を生きる者の束の間の休息であればこそなのかなぁと。
      傑作だと思います。


    2. 2.

      キノ

      主人公の滲み出る喜びの感情。嬉しい、という言葉を使っていないのがいいですね。

      最後、ロボットの動きにアングル(?)を変えた終わらせ方がキレがあって気持ちいいです。映像が頭に自然と浮かんでくるいい作品だとおもいます。


    3. 3.

      1: 9: けにお21

      近代化もいいですが、人の温もりを忘れてはいけません。効率化、便利性ばかりに目を向け、追究し過ぎると冷たい世界になってしまいそう。そう、感じさせられました。

      昔を懐かしむ二人に、足を忍ばせコーヒを注ぐ本作のロボットは、察してそうしたのか?謎ですが、人っぽいですね。そんな人らしいロボットがいるなら、近代化も結構良いかもと思えました。ただしかし現実は、そうはならないような気がします。やはり、人の温もりが大事っす。


    4. 4.

      猫の耳

      やさしさの伝わる作品ですよね。最後の一行がいいなあと…話の邪魔をしないように足音を忍ばせてくるところが。


    5. 5.

      20: なかまくら

      時間を飛び越える魅力がありますね。未来なのに少し古いというか、そういう味わいがあって、素敵です。


    6. 6.

      参謀

       ロボット化するとなんでも簡単になりますけど、その分つまらなくなるものがありますね。