人類の終末に向けての、橋梁の解体工事が始まった。誰もがバカ騒ぎだと語る、旧時代の象徴は消えてゆく。戦争の代理でしかない芸能は影をひそめ、人々は異常気象で照りつける太陽の下、まるで初期人類かのような牧歌的な生をいきた。労働は歌だった。
時期を同じくして、富裕層がセカンドハウスにとつくらせた、地方都市の住宅群の整理も進んでいった。民族と大戦の呪いから解放された人々は、もう欲望を肯定する事がないように見えた。文学者たちの研究は、かつての芸能にひそむ殺意をあぶり出したが、とはいえ愚劣だと蔑まれた幼稚な物語は、子どもたちの愉しみではあったのだ。
携帯端末を手にした子どもたちは、日が沈む頃になると各々の家へと帰ってゆく。
コメント一覧
子供たちの反逆? のようなものを感じました。これまでの価値観ではいけないことを子供たちは知っているのかも、なんて思いました。滅びは近いようです。
近頃の経済状況などもあって、この小説を書いたと思います。大人たちの社会のありようが以前とは変わって、しかし子どもたちはそれほど変わっていない、という感じのつもりでした。コメントありがとうございます!
よくよく考えてみると、橋を解体すると、その島(?)のようなところは、周りから孤立してしまいます。そうすると、そこと別のところが、また戦争のようになってしまうのかな、と考えてしまいました。あんまりこの小説はうまくできていないようです。どうもすみません。それとも携帯端末があるからいいのかな?
追記。橋梁は高速道路のつもりだったと思います。
子ども向けの物語というのは、マンガ全般というか鬼滅の刃というか、そんなつもりでした。鬼滅はあとになって1巻を読んだだけですが、子どもたちに人気があったので。