長崎の、彼女が生まれた町の、それからちょっと坂を登ったところの西洋墓地を目印とすると、そこを通り過ぎて、あの昔からある迎賓館の隣の細道を竹林を抜けてずっと行けば幻に辿り着く。幻はコーヒーとカクテルを出すダイニングで、何故だか朝から夕方までしか営業していなかった。幻のマスターはもちろん彼女で、彼女は訪れる僕をいつだって微笑みで「どうぞ」と迎えた。
僕が幻に迷い込むのはいつも午前中で、「どうぞ」と迎えられて初めにビールを頼み、それを飲み干した後いつももう一杯ビールを飲んだ。彼女はいつもグラスを拭くか氷を割るかをしていた、ときどき、僕のくだらない話に笑った。
幻の特徴はその立地にあって、長崎特有の見晴らしの良さである。向こう側に稲佐山が見えるパースペクティブの広がりを僕は愛していた。景色の向こうには日光が降り注ぎ、町を祝福するとともに連峰の輪郭を明確にしていた。しかしながらそれも束の間で、そういった景色を断罪するかのように決定されたかのように雨が降る。だからそれらの景色はレンズのような雨粒に収斂し、やがて窓ガラスにはりついた。だけど、向こう側の景色は無くなったが、雨の匂いと、風の音は先ほどの豊かな景色を記憶していて、僕たちにそれを伝えることを仕事としていた。つまりはこれもいつもの景色であり、それを讃えるかのような幻の特徴はその立地にあって、長崎特有の見晴らしの良さである。そういった、全ての景色を僕たちは楽しむべきだろうか、幻であっても。
あとがき
さみしいという。
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