変わった人々

  • 超短編 3,000文字
  • 日常
  • 2019年06月10日 19時台

  • 著者: サルバドール
  • つい先程迄茶色のレンズに細かい砂埃の付いていた「レイバン」のサングラスを掛け、安っぽいビニールシートに腰かけたビルは、生暖かさと気怠さが丁度良くミックスされた海風を目一杯感じながら、晴れた日の海の色に良く似たブルージーンズの左ポケットから取り出した燐寸箱の中から燐寸を一本取り出し、空いた一方の手で皺一つ無い夏用のワイシャツの胸ポケットに突っ込む様に入れていたお気に入りの紫煙である「ゴロワーズ」を取り出し其れを口に挟むと、海風で火が直ぐに消えてしまわない様、勢い良く燐寸を擦り、「ゴロワーズ」に火を点けた。
    そして何時の間にか自分と同じ様にこのシートに「陣取り」、我が物顏で女性向けの甘ったるい匂いのする紫煙をくゆらせていたミス・エミリーに一言、ハーイ、ミス・エミリー、と挨拶をした。
    ミス・エミリーは視線をビルに合わせもせず、そしてニコリともしないまま、ハーイ、ボーイ、と返事をした。
    沈黙が生まれる事を怖れたビルは、ザブン、ザブン、と言う波の音と雲一つ無い空を悠々と飛ぶ鴎の鳴き声が入り混じって聴こえる中、仕切り直し、とばかりに会話を再開した。

    其の格好から見るに今日は図書館の事務員の仕事はお休みなんだね。

    えぇ、そうよ。
    折角の休みだから、と思って何かしようかな、と考えてみたけれど何も思い浮かばなかったから、じゃあ、偶には海にでも、と此処へ来てみたら実に「都合の良い」先客が居たから其の先客のお世話になろうとこうしてアンタの「陣地」に迄来たってワケ。

    ミス・エミリーと言う女性は、生まれてこの方海の見える片田舎でひっそりと生きて来たビルとは違い、所謂都会っ子で尚且つダウンタウンで一人っ子であるある事を良い事に目一杯自由奔放且つ我儘放題育って来た人で良くも悪しくも遠慮ということを知らない。
    其れ故に人によっては…特にこの町の山の手育ち…つまりは比較的裕福に、そして乳母日傘で育って来た人々の眼にはミス・エミリーと言う女性はガサツで両親の教育がなっていないスノッブみたいな人だと言う風に映ってはいたものの、一目惚れをしたと言う典型的な経緯を持つビルにとっては惚れた弱味と言うのもあるのか、其れとも痘痕も靨と言うのか、ガサツだろうがスノッブ みたいだろうが一切関係無く、寧ろ先祖代々受け継がれて来た教えに沿う様にミス・エミリーの或る意味での欠点と言うのをすっかり愛し切っているのだった。
    但し、ビルの方もビルの方で、ミス・エミリー以外の女性を知らない、交際をした経験が無いと言う致命的な欠陥を持っていて、三度の飯より噂話と醜聞が女性達の間では、きっと彼はミス・エミリーに誑かされているのでは無いか、と言う噂話が陰日向関係無く交わされているのだけれど、良くも悪くも人の良いビルの耳には其の辺りの事迄は入って来ておらず、又ミス・エミリーも一応、耳には入っているものの、言い出せばキリがないと言う一言のもとに一切合切無視しているのであった。

    へぇ、そうかね、そんな事情がね。

    あら、ナンダカそんなに嬉しくなさそうね。
    折角、久し振りに二人っきりになれるって言うのにさ。

    嬉しくない訳じゃない。
    ちょっとだけドギマギしているだけだよ、ほんのちょっとだけ。

    其の証拠に、ビルの耳朶はまるで水彩絵の具でも塗りたくったかの様にほんのりと紅く染まっていた。

    あははは、人前じゃカッコつけてはいても、こうして一対一になると案外ウブな所を見せるなんて、実にアンタらしいや。

    ミス・エミリーはククク、と笑い肩を揺らしつつ、ビルが紺色の旅行鞄の中から取り出しておいた銀色の安物の灰皿の上に灰を一つ、二つ落としてみせた。
    ビルはミス・エミリーの乱暴な言い草に対し、反論する素振りを見せる事無く、ミス・エミリーが紫煙を握っていない手を優しく握った。
    其の手はまるで白魚の如く迚も綺麗で、夏の眩しい光の中でも良く映えていた。

    おやおや、照れ隠しかい?。
    ホント、アンタって人は期待を裏切らないねぇ。

    そんな風に茶化し乍ら、ミス・エミリーもビルの手をぎゅっと握った。
    毎日の肌のケアを欠かさないミス・エミリーの手とは対照的に、ビルの手はほんのりと小麦色に焼けていた。

    君は僕なんかと違って、所謂、都会っ子で其の上、「良いオンナ」ってヤツだからね。
    こうしておかないとスルリと逃げてしまいそうな気がして。

    どうせならそう言う台詞はベッドに居る時に言って欲しかったなぁ、其れも出来れば耳元で囁くみたいにさ。

    まるで歳上の女性が年端もいかない童をもて遊ぶ時の様な口調でそう言ってのけたミス・エミリーは、吸い終えた紫煙を灰皿の上でゆっくりと揉み消すと、グッと距離を詰めた。
    そして良い意味で意地の悪そうな表情を浮かべると、ビルの耳元でそんな風な事を囁いた。

    分かった。
    でも其の時は朝迄帰さないからね、覚悟しといて。

    お返しとばかりにビルもミス・エミリーの耳元で囁いた。
    其の聲は所謂、上玉の男娼の聲の様にも聴こえたし、この辺りを彷徨く野良猫或いは飼い猫の聲にも似ていた。
    少なくともミス・エミリーの耳には。

    あぁ、分かったよ。
    でも、其の条件として起きた時の食事はアンタが作るんだよ、そんでもってお早うの時はちゃんと口付けをする事。

    ザブン、ザブンと響く波の音に今にもかき消されてしまいそうなか細い聲でそう呟いたミス・エミリーは握っていたビルの手を離し、授業終わりの学童の如く、大きな聲を出し乍ら、大袈裟に背伸びの動作をしてみせた。
    ビルは海風にユラユラと揺れるミス・エミリーの髪をレンズ越しにゆっくりと見つめた。

    ねぇ、お腹減らない?。
    もうお昼前よ。
    何処か近くの食堂かレストランにでも転がり込んで、食事でもしようじゃないの。

    ビルがチラリ、と腕時計を見ると、時計の針は正午きっかりを指している。

    じゃあ、この近くのレストランの「ドルフィン」にでも行こうか。
    彼処なら君の大好物なお肉料理が安い値段で沢山食べられる。
    後、ビールもね。

    良いわね、昼間からビールなんて。

    ミス・エミリーは舌鼓を打つ真似をしつつ、薄っすらと額に浮かんだ汗を真っ白なキャンバスを髣髴とさせる白のハンカチで拭った。

    僕なんか良い加減な人間だから平日休日関係無く昼間から冷たいビールなんてしょっちゅうさ。

    そう言う軽薄な所が無かったら、もっと友達だのガールフレンドってのが多く居るだろうに。
    玉に瑕たぁ、良く言ったものね。

    知っての通り昔から群れたり大勢と行動したりなんてのが苦手なんだよ。

    まるで仙人みたいな口振り。

    言ってろ、言ってろ。

    もうボンヤリと海を見つめ続けるのは飽きた、と言わんばかりに小さく欠伸を一つしたビルは、まるで飼い慣らされた動物園の動物の様にのっそのっそと立ち上がると、シートに付着した砂を丁寧に手で払い、そして畳み、旅行鞄の中に放り込んで今迄自分達が居座っていた場所から数歩先の場所にある塵箱の中に灰皿の中の紫煙の吸い殻を勢い良く捨て、エミリーの隣に立った。
    ビルは、じゃあ、いこうか、と一言聲を掛けた上でエミリーの手を握って歩き始めた。
    歩くスピードはエミリーの歩調に合わせていた。

    あ、食事の支払いは勿論アンタだからね。

    ハイハイ、言われなくても判っていますよ。

    ビルはそんな風な軽い返事をして、ミス・エミリーの手をほんの少しだけ強く握った。
    そしてミス・エミリーに眼を向けると、彼女は相も変わらず、意地悪そうな笑みを浮かべているのだった。

    【投稿者: サルバドール】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      1: 9: けにお21

      ビルとエミリーの様子が、見えて、聴こえてきました。

      海を前にした1シーン+お帰りの少しの描写だけで、読ませるのは、すごいですねー