元号が変わろうとしていた。
* * *
私がそれを知ったのはツイッターが騒がしくしていたからだった。
何かにつけて平成最後という謳い文句が頻繁に使用されて、世間はすっかりお祭りムード。
しかし私はどうもお祝いという気分にはなれなかった。
「終わるの?あなた」
「らしいね」
「いや、あなたが無関心でどうするの。終わる終わるってずっと言われてるんだよ?日本全土で」
私が何度話しかけても、平成はスマホの画面から視線を変えない。
寂しくないのだろうか。これからどんどん旧いものとして扱われることが。
「平成はもっと居たいとか、そういうのは無いの?」
「んー…無いかな。私って景気がどうとか、学力がどうとか、あんまり良いイメージないじゃん?そりゃ盛り上がって当然でしょ。元号が変われば時代は否が応でも変わる。それをみんな良い方向に変わるって思ってるんだから。私としては、むしろお役御免でスッキリした気がする。」
元号とはそんなに辛いのだろうか。考えたことも無かった。
しかし考えてみると時代、世代を一括りにする上で元号は多用されていた。親以上の世代には昭和生まれ、昭和の懐かしさ、昭和の頃は、なんて言葉が散見される。
平成に起こったことはお世辞にも素晴らしいと言えるものは多くなかった。老害、ゆとり世代、人を貶める呼称がたくさん使われた。
それを思うと、平成にとっては苦行が終わった気分なのかもしれない。
「…変なこと言ってごめん。平成最後、おめでとう」
「うん。サンキュー」
顔を上げずに答えたが、声は少し笑っていた。
平成はスマホの電源を切った。平成31年4月30日23時59分。
スマホをそこに置いて玄関のドアに手をかける。
「あ、そうだ。言っておきたい事があるの」
「何?平成最後の言葉、聞いてあげる」
「時代が社会を決めるんじゃない。人が時代を作るの。
…令和って子、根は良い子だからよろしく」
イタズラっぽく笑った。最後の最後に、ようやくその顔を見せた。
傷のある顔でめいっぱい笑うその表情を見て、やはり寂しさを覚えた。
「…名前負けしてんじゃん。……お疲れ様、平成」
あとがき
令和はいったいどんな子なのか。
それは私たちが決める事…
平成最後の投稿になります。
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