気付けば、今日も逃げていた。

  • 超短編 2,030文字
  • 日常
  • 2018年03月17日 22時台

  • 著者: 春火
  • 自分の思う、自分とはそんなに高尚なものだろうか。
    "無意識"に潜む心の穢れを認知していなくて、"自分"という記号と、言葉と情景による"空想"に酔いしれているだけじゃないのだろうか。
    そんな風に、最近僕は考えている。

    僕には、叶えたい夢がある。その夢を追う事に何の躊躇もない。
    だから、此の日も僕は勉強しようと、図書館へ通った。
    図書館につくと、ロビーで騒いでいる僕と同じ年齢位(16~18)の群れを発見した。
    (ちょっと、うるさいなあ・・・)と感じるほどに、その連中の会話の内容が駄々洩れだった。
    どうやら、最近はやっているゲームの内容らしい。
    男子A「ここで、ちゃんと決めてくれよ~」
    男子B「任せろ、ハハッ、お前のケツは俺がぬぐってやる」
    (何とも、稚拙な会話だなあ)と、感じながらも何をそんなに楽しそうにやっているんだという若干の興味も沸いた。
    (ゲーム・・・か。)
    読みたい本を探しながらも、僕は考えていた。
    ゲームの有用性や、ゲームが与える影響、ゲームの価値。
    全く新しい分野の其れなので、他の娯楽とは一線を介していて危険物だという認識がすでにあった。
    その認識が何故発生したのか思索していると、ゲームとは本当は何なのかという疑問を持ったまま無知を彷徨っていたというのが本心であることに気が付いた。
    以前、僕はとあるゲームに嵌っていた時期があった。当時の僕は、今思い返せばあまり有用な時間を過ごしていなかったと思うのだ。
    けれど、あれはゲームのせいなのか使い方の悪かった僕の方なのか今となっては良く分からない。
    (なんだか、試験的にもゲームやりたくなってきたな)
    そんな気を起こしながら、僕は読書および勉強に取り組んだ。
    意識がゲームに向いているので、此の日の勉強は全く身にならず、何を読んだかすらという曖昧な記憶となっていた。
    図書館から帰る頃には、(何のゲームやろうかなあ・・・)という意識にまで発展していた。
    家に帰るには、まだ時間もあったので中古のゲーム屋さんまで足を運んだ。
    其処には、ズラっと色んなゲームが置かれていて僕は思わず目を光らせた。
    サムネイルで気になるゲームがあれば、裏面を読み(なるほどなるほど)と相槌を打った。
    ゲーム機をぼくは持ち合わせていなかったので、やりたいゲームが見つかっても出来ないだろうなと高を括っていた。
    しかし、僕が過去ドはまりをしていたゲームの新作を見かけて思わず(此れは買うしかない!)という気にまでなった。
    其れを動かすハード(ゲーム機)のために、参考書を買おうとしていた貯金を崩してゲーム機とゲームを購入した。
    購入する際、(本当にこれでいいのか・・?)というためらいもあったが、やりたいという気持ちを抑制して悶々と過ごすのは非効率的だと思ったので購入を決意した。
    ワクワクとドキドキと多少の背徳感を交えながら、僕は家に帰った。
    家に帰ると、いつも行っていたルーチンを無視して自分の部屋に入った。
    そして、ゲームを貪る日々が暫く続いた。
    此れ迄、培ってきた生活バランスは崩れ、ニキビは増え、不潔さが増し、なりたくない自分へと変貌していた。
    だが、この時の僕は既に"そんな自分を顧みる"という意識は存在していなかった。
    ただ、意識するのはゲームの中のことで、"あれを手に入れなければならない"とか"此奴を狩りまくらねばならない"とかそんなことだった。
    ゲーム開始から2週間ほどたったある日、(僕は何をしているんだ)という事に気が付いた。
    (どうしてこうなった、なぜ僕はなりたくない人間への一途をたどっているんだ、夢はどうした)
    暫く考えると(ゲームが悪い)という結論にたどり着き、僕はゲーム機とゲームを売り払った。
    そして、厳格な態度で元の生活に戻そうと努力をした。

    今、僕は確かに此の時ほど腐った日々を過ごしているつもりはない。
    けれど、どうだろうか。ゲームが悪いと結論を出した頃の自分は本当はどうなんだろうかと今僕は思う。
    それだけではなくて、都合のいい解釈を続けていた節が多くあると僕は今になって思うのだ。
    "人間は都合のいい解釈を続ける"という言葉は確かに聞いたことがあって"ふむふむ"と思っていたことがあった。
    だからか、自分が其れに陥ってるものだと気づいたのは此の経験があったからだ。
    故に、情報だけでは知識となり得ず経験が伴って初めて、知識となるのだという事が分かった気がした。
    こんな無意識に潜む心の穢れによって、僕の夢は儚くも潰える所だったのだから常に注意を怠ってはならない。
    しかし、無意識下に潜むが故に幾ら注意を行ったって既にその渦中に居るかもしれない。
    したがって、他人と沢山会話を行ったり、社会的生活を行う中で自分に指摘するものが現れたとき、真摯に受け止めたいと僕は思う。

    気付かなければ、今日という日は無駄じゃないかもしれない。
    しかし、気づけばその今日という日は無駄で逃げているに違いなかったという事に気が付くのかもしれない。
    叶えたい夢、目指したい場所があるのならね。

    【投稿者: 春火】

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