あるとき瀧一郎は、施術士であった。
その指には自然と生命のエネルギーが集まるそうで、「まるで魔法のようね」と頼ってくるお客さんも多かった。瀧一郎は、自分の夢を追いかけ、そして少し老いたその手を見た。テーブルの上には小さな指輪が置かれている。かつて、「あなたの行く先にたくさんの幸福がありますように」と祈りを籠めて誰かが贈ってくれた指輪だった・・・ような気がする。その頃の記憶は時間とともに薄れつつあった。
ある昼下がり、珍しく予約は入っていなかった。
ふうわりと、風が暖簾を押すようにして、ひとりの男が入ってきた。その男は、なんの風格もなく、それ故に、只者ではないように見えた。「回復施術の名士がいると、聞いたのだが」男が口を開くと、瀧一郎はなぜだか非道く血が騒いだ。ベッドの脇でいつも鈴の音を響かせてくれているスズツキ虫のスズキちゃんが、ひとつ、リーンと鳴いて、虫の知らせも届いた。
「私がそうです。どうぞ、そちらのベッドへうつぶせになってください」
瀧一郎は、動揺を隠そうと、心の中で童謡を歌う。あれまつむしが、ないている・・・。うつぶせになった男に瀧一郎は昔の仕事道具のひとつである布をかける。ふと目線の先の男の頭頂部、あれま、つむじは、見たことのない回転力で渦巻いていた。そこで、瀧一郎の中で何かが、フラッシュバックして、「うががががっ!」そのダメージで、後ずさりをする。「やるな、・・・よ!」なんだったか、それは、忘れてはならない、ことのはずだった。
「全身くまなく、あざなく・・・むしろあざとく! のコースは今日はあるかな?」男の声に、ハッと我に返る瀧一郎。「あります」「では、よろしく頼む」男の背中は布越しにも傷だらけであるのがよく分かった。そして、内側、臓器や筋肉もボロボロであることが瀧一郎にはよく分かった。「お客さん、随分と疲れていますね」「ああ・・・そうだな。眠ってしまえたら、楽になれるのかもな・・・」「お仕事、ですか?」「まあ、そんなところだ」「・・・大変ですね」そう言いながら瀧一郎は、自分が無意識のうちに永眠の呪文をかけようとしていたことに気付いて、驚く。あの頃の自分のことはもう、思い出すことも少なくなってきていたというのに。だがしかし、もはや間違いないのだ。この男がそうなのだ。
あるとき瀧一郎の隣には女がいた。自分を疎外する世界で隣にいた女、小さな指輪、女、魔属への転生を決意させた女。その女にふさわしい男になったとき、女は反逆罪で、処刑台への階段を上っていた。
広場の前に集まった群衆を屋根の上から瀧一郎はしばし、見ていた。女の表情は、何故だか良く覚えていない。ただ、気が付いたら手にしたばかりの魔力を、ありったけ広場にぶち込んでいた。桶に水が溜まるように広場は浸水し、人間には到底受け止められないエネルギーに溺れて皆死んだ・・・はずだった! 一条の光が広場の中央から真っ直ぐこちらを貫く。「うががががっ!」そのダメージで後ずさりをする。「やるな、“勇者”よ」思わずニヤつく。うなじの特徴的な青年は、怒りに任せて広場から一足飛びに屋根へと飛び移り、ギラリとこちらを睨み付ける。「おまえぇぇ! なんてことをするんだ!」その表情は、だが、いま癒やしを求めやってきたこの男には、どうしても重ならなかった。ただ、男から伝わってくるのは、人々が暮らす世界、美しく悲しみもある、命のある世界、守るべきものを守ってきたその心であった。それから救えなかった命に対する、男のみっつの涙のわけも。いまは、瀧一郎も、その背中に乗っている・・・なぜだかそんな風に感じられた。
「・・・背中、温かいですね」瀧一郎は、そう声をかけていた。どうしたらいいのか、分からなかった。いいや分かってもいるのだ。
「温かい?」「ええ」行き場を探すエネルギーはいつしか溢れ、それは瀧一郎をも包んでいた。やることは分かっている。そう、臓器へ巡る血の循環、生命エネルギーの淀みを整えてやればいい。それだけで、快癒するだろう。
「よく言われるが、自分のことはいまいち自分でもよく分からないんだ」
男がそう言うのを聞いて、
「じゃあ、つぎ、肩のほうやりますね」
「いてててっ!」「強めの施術が売りですから・・・! ちょっと我慢しててくださいよ~」
せめて、最後に全力で叩いておいた。
あとがき
肩こり半端ないです。
コメント一覧
砂犬ですこんばんは。
かつて魔に堕ち、人々を殺戮をしようとした男と、それを止めた若者。
その再会。その時、男は、というところでしょうか。
お互いに年を取って、いろんなものを抱えてきてしまった。その分、何か弱くなったんだろうなぁ
としみじみ思いました。
予想 「むしろあざとく! のコース」これはなかまくらさんでしょう。
スズメノテツパウです。
なんだか、女にだまされてしまった2人・・・って感じがしますね。
和解(?)出来たようで何よりです。
作者さんですが、えーと、どうしましょうか。ミチャ寺さんかな。
肩こり半端ない、とあとがきにあることから、作者は40代、50代と見ました!
シナリオの展開が
なかまくらさんの様な気がしますね。
この辺りは真似も難しいし…
「実況のアメジストです」
「解説のガーネットです」
「さて、この作品ですが。なにやら文体に癖がありそうですねガーネットさん」
「よい指摘です。確かにそこがポイントのように思えますね、!の後に一文字あける書き方は実はあるサイト独特の書き方なのです。そのサイトを使っている、もしくは使っていたのは茶屋さんとなかまくらさんですね。そして魔王や勇者というワードを好むのはなかまくらさんです。よってこの作品はなかまくらさんだと思われます」
「なんでそんなことまで知っているんですかね、この人」
「チャットログ勢をなめてはいけません。前情報は完璧です」