一枚の写真があった。被写体はわたしと家族。
懐かしくはない。その写真は一週間まえに撮影したものだからだ。コスモス畑を背景に並んで撮った写真。笑顔も花も満開だった。
近所のコスモスまつりは毎年恒例の行事だった。ちいさな出店がポツポツとならび踊りや太鼓のイベントもある。決して派手ではないがかならず家族で足を運んだ。そして近くにいた人にたのんで写真を撮ってもらった。
わたしは父のとなりに立つと頬の横でピースをつくった。眩しく照らす太陽へはにかむようにおもいきり笑った。
思い出となるはずの写真。それはわたしの遺影となった。
こんな日がくるとは思わなかった。
3日前、わたしは死んだ。
信号待ちをしていたとき車にひかれたのだ。即死。あっけないものだった。せめて危篤の状態がすこしの時間でもあったら家族もこころの準備くらいできたのにと思う。
ゆっくりと顔を持ち上げた。沈みかけている日がぼやけている。だれも電気を付けようとしない。
仏壇のまえに座る母。真新しい遺影を生気のない瞳で眺めている。その目には涙。朝から夜まで頬を濡らしている。そんなに忙しく泣いたら他になにもできないだろう。
ソファーへ腰掛けたまま一向に動こうとしない父。わたしが死んでからほとんど食べ物を口にしていない。あんなに食べることが好きだったのに。
弟の孝太。自分の部屋から出てこない。いつから学校に行くのだろう。授業に置いていかれないか心配だ。
空気が重たい。わたしは感嘆すると窓から見える景色を眺めた。庭に咲いたコスモス。頭をもたげる姿が物悲しい。視界に入るものが、ゆらゆらと揺れている。まるで水の中にいるかのようだ。
コスモスの開花時期は終わりを迎えつつある。庭に咲いた白や黄色のコスモス。来年も咲いてくれるだろうか。
痩せこけた母の横顔を一瞥したのち畳の上に寝転がった。それから、限りなくちいさく息をした。
わたしはもうすぐ彼らのもとから離れなければならない。
だからどうかコスモスよ。来年もその美しい花を咲かせてほしい。花言葉どおり家族の平和を守ってほしい。彼らを笑顔にしてほしい。どうかコスモスよ。伝えてほしい。わたしは幸せだったと。短い人生だったけれど楽しかったと。彼らと過ごせた日々が堪らなく愛しいと。コスモスよ。どうかお願い。わたしの涙を、止めて。
あとがき
このサイトに出会ってもう二年になりますが、二年前初めて投稿した作品を大部分修正し、再び投稿してみました。あの頃が懐かしい。
コメント一覧
線の細い体なのに気丈な花を咲かせるコスモス
悲しみに明け暮れる家族と対比して
印象に残る作品でしたね良く覚えています。
終盤の新たな部分がより影を落とし、印象が際立っています。
今年こそコスモス撮りに行きたいな…
鉄工所さん、この作品覚えているんですか?すごいですね。そして、すごい嬉しい。ほとんどの作品消してしまいましたが、このコスモスは保存しておりました。もうすぐ彼らの咲き乱れる季節が来ますね。
僕は本作を覚えてなく、新鮮でした。
記憶力が極めて低いんですよね(TT)
さて、内容。
嫌ですねー、家族のこんな光景を見るのは。見るに忍びない。
家族がいる人は、簡単に死んだら駄目で、生きなければなりませんね!
また、コスモスって、雑草っぽいけど、可憐ですよね。好きな花です。これからがシーズンなのかな? 是非、コスモス畑に行きたいです。
さて、僕が死んだらどうなるだろうか?
「最近、けにおって奴、感想付けないよなあ。アイツどうしたんだろうなあ~?」ぐらいには思われるかも?w
もっとも、サイトは無料のサーバーに入れているので、僕が死んでも存続する!
その点はご安心あれ。
キノさんこんばんは。もう2年ですか。
こんなにサイトがいろいろ変わるとは思ってもみませんでした(笑
お母さんが毎日手入れしていただろうコスモスはきっと
その3日間の間にずいぶんと痛んでしまったでしょうね。
明るく輝くコスモス畑と、暗い部屋の対比が印象的でした。
死んで一番悲しいのは誰だろうなぁ、なんて、思いました。
後半がすごいですね。特に、
>だからどうかコスモスよ。
からの文章がとても素敵です。この文章のために全体があるような、すごみがある気がします。
けにおさん
ひひひさん
なかまくらさん
ご無沙汰です。コメントありがとうございます!先月の同タイトルは書いてみたもののどうも上手くいかず断念しました。同タイトルは奥がふかい。勉強になりますけどね。
このサイトも大変会員さんが増えましたね。サイトを変えるとこんなにも違うのかと驚き。改めて運営管理感謝です。