感情の行き場所

  • 超短編 1,614文字
  • 日常
  • 2017年09月03日 10時台

  • 著者: らくと
  • (あ、なんか泣きそうだ)
     彼女はふと、そう思った。涙が出そうだ。声をあげて、泣いてしまいそうだ。
     しかし一つ疑問がある。今、特に何かをしているわけじゃない。
     辛い事が起こっているわけじゃない。感動的な作品を見ているわけじゃない。
     それなのに、何故?考えてもその答えを得るには至らず、気のせいだと思いなおして彼女は大きく深呼吸をした。
     最近、多いのだ。突然叫びたくなったり、泣きたくなったり。
     でも、その時に何かが起こっているわけではない。なので、そういう時は一度落ち着く為に大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
     そうやることで、そんな気持ちは薄れていき、いつも通りになる。
    「今日は何をしようかなぁ」
     部屋で横たわり、彼女は何気なくそんな事を呟く。誰もいない部屋。
     誰かに話しかけているわけでもないのだが、口に出す事は少なくない。意味が無い行為なのは知っている。
     それでも、不意に何かを呟きたくなるのだから、それは仕方ない。
     漫画も読む気分じゃないし、外に遊びに行くには微妙な時間だ。携帯電話に新しい着信も無いし、こちらから誰かに話しかけるにしても用件が無い。
     寝よう。それが暫く思案した彼女の答えだった。
     それでも、すぐに眠れるわけではない。ただ目を閉じて横になっているだけ。パジャマにも着替えていないし、きっとこのまま寝てしまえば、起きたら服はしわだらけ。
     まあいいか。
     そう思い、布団をかぶる。そうすると、また心の中に起こる泣きたい気持ち。
    (ああ、なんだろ、これ。本当に最近多いなぁ)
     深呼吸をしようとして、ふと気付く。私は最近、いつ泣いたのだろうか。
     いつ叫んだだろうか。いつ怒っただろうか。いつ……笑っただろうか。
     友達との会話や、面白い事があれば笑っていると思う。でも、そういう事じゃない。
     心の底から、笑ったのはいつだろう。遠慮せず泣いたのはいつだったか。
     苦しい時に助けを求めたり、これだけはどうしても伝えたいと叫んだ事は?
     どうしても許せない事には、立ち向かって怒った事は。

     無い。ああ、いや、無いわけじゃない。子供の頃にあった。
     考えなしの子供の頃は、泣きたければ泣き、怒りたければ怒り、笑いたければ笑っていた。
     まあいいや、なんて考えずに。
     今の私みたいに、嫌な事を堪えて作った笑顔で過ごしたり。
     そういうものは無かった。
     大人だから?大人なのだから、我慢しなければならない、と。
     そう言われたのはいつ頃だったからか。
     どうしても許せない事があり、怒りを露にした際に、周りは口々に言った。
     そんなに怒る事は無い。いい加減に許してやれ。
     私はもっと怒りたかった。泣きたかった。叫びたかった。
     しかし、それはしてはいけないのだと学んだ。大人なのだから、この感情は我慢すべきなのだと。
     必死に飛び出そうとする感情に何十も鍵を掛けて押さえ込み、それが当たり前となった。
     それが当たり前なんだと思った。
     でも鍵は何度も叩かれれば老朽化し朽ちて、新しい鍵もまた歪んでいく。
     抑えた感情が、溢れ出そうとしていたのだ。
     今は何も無い。何もそんな事は無い。
     しかし、過去の抑えこんできた出来事、想いが次々と浮かび上がってくる。
     駄目だ。もう終わった事なのだ。こんな事で叫んだり泣いたりしてはいけない。
     それでも心の中の行き場の無い感情は、何度も鍵の掛かった扉を叩いてくる。このまま我慢してはならないと。もっと吐き出せと。
     でも、それでも。
     理由が沢山頭に浮かぶ。してはならぬ理由が沢山。
     それでも、扉を叩く音は強くなっていき、その鍵は壊れる。

    「……どうやって、泣くんだっけ?」
     ふと、呟く。
     扉の鍵を壊した感情は、いつかまではあった出口すらも無い部屋で、止まった。
     どうすれば、あの頃みたいに素直に笑える?
     どうすれば、あの頃みたいに想いのままに怒れる?
     どうすれば、あの頃みたいに我慢せず泣ける。
     どうすれば、あの頃みたいに…………

     鍵を掛け、本音を吐き出す出口すら無くした彼女は、

    「まあ、いいや」

     そう、思うしかなかった。

    【投稿者: らくと】

    あとがき

    書いてたら、少し何を出したいか分からなくなったなぁ。
    でも、せっかく書いたのであげておく。

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    コメント一覧 

    1. 1.

      結城沙月

      初めまして。
      一行目から続きの文章が気になる入り方で、スラスラと読めました。
      泣き方という題材で、日常の中でふと考え、けれどもやもやとしたまま消えて行く疑問。短編なので長すぎず短すぎずで、その内容が頭に入り込んできます。
      終わり方もスッキリしていたのですが、個人的には「まあ、いいや」という彼女の思考を一番最後に持ってこれば、かなり印象が深い締め方になると思います。
      失礼しました。


    2. 2.

      1: 9: けにお21

      確かに、大人になると言うことは、感情を抑えることかも。

      ちなみに、僕の近くには、怒りっぽい人が多い。
      対応がとても面倒くさいですw
      本作の主人公のように、もっと大人になってほしいものです。

      さて、本作。感情を抑え続けた結果、感情を表に出せなくなってしまった哀れな主人公。
      それで、悲しくなった。でも、泣き方すらも忘れてしまった。
      最後は、感情表現を諦めた。

      時には、心のそこから、泣いても笑っても、問題ないし、精神衛生上健全になれると思うのだが、確かに、どこでどのように?と聞かれると大変困りますね。

      答えは、「小説の中で、思いっきり感情表現する。」ぐらいかな?


    3. 3.

      20: なかまくら

      まあいいやって続けると、腰痛みたいに、だんだん痛みになれて常態化するみたいに、
      鈍くなっていくのかなぁみたいに思ったりしました。うーーん、それがいいのかさえ、分からないです(笑
      >きっとこのまま寝てしまえば、起きたら服はしわだらけ。
      の文のリアリティがいいですね。後半抽象性が進んだので、その辺りもう少しこっちに引き戻してもよかったのかなと思いました。