The polyhedral symdrome
午前零時二十三分からの深夜放送、四十二インチのプラズマディスプレーに映しだされた、なんでもない日のなんでもない街並み。音はミュートしているので澄ました耳へとかすかに届く音といえば、宙に浮かべたプラスチックトレーへと規則的につめを当てているような音、時計の秒針が休むこともなく働き続けている音だけ。
そのような、ぼくがもぐり込んだこたつの上を流れている時間と、プラズマディスプレー上の光に変換された、知らない街のはるか上空を流れている時間、決して交わることのない時間について思案している。
資本が生物をめざすことにより、ぼくらの現実、連続的に流れていく時間が工業製品のかけらみたいに粉砕されて、気化されて、ゴム製品のなかへと押し込められたあげく、膨張していき、どこにも行き場のない浮力が発生していく。やがて、はるか高い、高すぎる空へと放たれる。
幼い子どもの手から離れて、青空をめざすはかない宿命の赤い風船みたいに
ふと気づくと透きとおるグラス、満たされたミネラルウオーターに波紋が生じていた。何らかの知的エネルギーが作用して、透きとおる水の中心が重力に逆らい浮かび上がる。やがて、意志を与えられた水は生物を模した形(かたち)、透きとおる水で創(つく)られたねずみが姿を現し、ぼくを見上げながら話し始める。
「 覚えていますか? オルフォイスです。
なにやらお悩みのところ、ほんとうに申しわけないのですが、ぼくの妻、オイリディケを一緒に捜していただけませんか。狡猾なプルートにさらわれたまま、二十八年が過ぎているのです。
あなたは、あなたが幼少のとき、妖力をつかさどる山猫、セレーネの不思議な歌声に誘われて、沼へと引きずり込まれそうになりました。あなたの、生と死の境界線上で、ぼくは必死にうたい、幼いあなたの興味、好奇心をゆさぶり続け、生還させることに成功したのです。もっとも、あなたは幼すぎて、喜びや悲しみ、他者の考えていることや感情なんて感じとることはできませんでしたが 」
*
ぼくは目を見開きながらも遠い記憶の引き出しを慌てて探し始める。おぼろげながらも、オルフォイスという響き、深い、記憶の海から気泡とともに浮上している。
幼いぼくは広大な草原を歩いていた。小さな胸ポケットに入り込んだオルフォイスの指示に従って。黒い森が見えたとき、胸ポケットから這(は)いだしたオルフォイスがぼくの耳元までよじ登り、ささやいた。
「 ここから先は『 沈黙の森 』となります。 一言でも声を発すると、たちまち木の精霊ドリュアデスが現れて、あなたを生きたまま木のなかへと引きずり込み、数百年の時間を浪費させます。
ですので、ここでお別れにしましょう 」
ヤルダンの奇怪な風化土椎群のような、遠い記憶の果て、うまく創られた夢として、ぼくは成長とともに記憶の底に沈めたのに……
*
極東の、とある街並みにおいて、太陽が沈み青白い月が夜空を駆け上がると、騙されて夢に閉じ込められたぼくがあなたの夢に現れてささやきます。
「 覚えていますか。オルフォイスです 」
あとがき
以前の超短編小説会に投稿させていただいた時は、多面体症候群、というタイトルでしたが、タイトル変更しての過去作投稿です。
ひさしぶりに映画、妻と関ヶ原を見てきました。ぼく個人的には、とても良かったのでオススメですね。まぁ、監督が同郷というのもありますが(おぃ!)
コメント一覧
オルフォイス・・不幸な詩人。あれ、少し違う。神話はオルフェウスでした。
さて、本作。ネズミが出てくるまでの書き出しが流石、カッコいい!
妻のオイリディケも名前が微妙に似ているw
しかし、オイリディケを一緒に探してくれと言われても、、、そうか、夢の中で探すのかな?
木の中に閉じ込められるところを救ってもらった恩があるので、主人公は探してやるのかな。
夢から覚めると忘れてしまうのかな。毎夜夢の中に出てこられても困る気がする。疲れそう。
全体的に夢心地なお話しで、読後の心地が良かったです。
関ヶ原、面白いのですかー。司馬遼太郎は好きだけど「関ヶ原」は読んでないです。とりあえず映画から入ってみます。
幼少期の夢というのは忘れられない時がありますね。何かを見た拍子に思い出したりして、現実ではなく夢だからこそ、幻想的で奇妙です。最後のオルフォイスの視点に移動するのが何とも言い難いですね。