恋愛小説、恋愛コラム、恋愛関係、恋愛観、恋愛感情エトセトラ。恋愛という言葉は日々の中で当たり前に耳にするけれど、恋と愛を結びつけて考えるのはあまりにも無理がある。私たちの知覚できる範囲においては確かに似通っているものだけれど、実際、その二つは対極に存在していて、しかしながら1本の線上に存在することはありえない。あることがないとは言わないが、それは天文学的確率の上でたったひとつ心許ない場合の数であり、近似すればまあないことになる。近似を如何と疑うのも結構だけれど、そんなあなたには私たち人間が須らく有限であることを思い出していただきたい。理論上においてのみ正しいというのはつまりそういうことである。閉じられた世の中で理論というものは大抵役に立たないのが事実だ、嘆かわしいけれど。
好きです。私はあなたが好きです。
あなたを然程特別な存在だとは考えられないけど、私、あなたを唯一の特別な存在だと思うから。
この歳にもなってやっと初恋なんて、と溜息をつくのはちょっと背伸びのしすぎだろうか。花火のようなシナプスの発火、この身体に脳にそれまではなかった類の電気的信号が駆け巡ったのは20歳も終わりに差し掛かった頃だった。一応学生として日々を送っていた私はお世辞にも人付き合いが得意な人間ではない。得意不得意というよりは単にそういう性質なのだと言い張りたい気もする。人付き合いに長けていたってメリットと同じくらいのデメリットがあるのではないかと私は思うから。まあ、こういうことを言うような人間がどんなものかという判断は概ねあなたに任せよう。理屈っぽくて到底女らしいタイプでないことは自覚している。大学に友人は無く、ただ毎日講義を受けたり受けなかったり家に帰ってきたりずっと家にいたりする消極的日々は素晴らしいかな、平穏なルーティン。
そんな私にも機会というものがないとも限らないわけで、バイト先で知り合ったいくつか年上の社会人の男性と何度か遊びに行くこととなった。彼はいかにも好青年らしい人で、私と同い年だと言ったって誰も疑いやしないというか、失礼だけど、下手したら高校生と言ったって通じるのではないだろうかという程幼い顔をしていた。華やかというわけではないけれど小綺麗な顔立ちで、物腰が柔らかくユーモアもある。女の子に本当に好かれそうなタイプだと思えば、遊びの相手にしたってどうして私なんかを選んだのだろうと首を傾げてしまう。
「何か他に注文したいのある?」
「馬刺しが食べたいです」
正直にそう言えば、彼はあどけない顔に悪戯っぽく笑みを浮かべた。やっぱり趣味が女子大生のそれじゃないよね、なんて言葉が心地いいのはそれをよしとしてくれるという安心感からか。女の子らしい女の子が好みですか。冗談っぽく聞こうと思ったけどそれには少し勇気が足りなかった。これはデートです。自信を持ってそう言えるけれど、実際向こうがどんなつもりでいるのかなんて分からないから。私はもしかしたら、妹とか後輩の女の子とか、そんなところかもしれない。誤魔化すように卵焼きをひとつ口に運ぶと、じっと口元を見つめる視線を感じたので咀嚼しながら顔を上げてみれば、いつもと少し違う色をしたような目とかち合ったので、きゅっと健全に唇を結んで笑ってみせる。こんなことにだって私、自分を相手を信じられないくらいには臆病で卑屈な人間なのだった。
手を繋いで歩く夜の街は栄えて廃れていて、なんだか浮ついてしまう。時々引き寄せられる手が熱くて、血が盛んに巡っているのがわかる。歩いていくうちについ距離をとってしまう私を引き寄せて、慣れてないね、だなんて笑わないでほしい。嬉しくて恥ずかしくて寂しくて、こんな自分を受け入れられなくて死にたいくらいだから。ふらふらとラーメン屋やら料亭やらバーやら居酒屋やらバルなんかの間を歩いては今度はここのお店に来てみようか、なんてそんなおしゃべりを出来るのが嬉しくて、そう高くないヒールがコンクリートに引っかかったのだってどうだっていい。そうして結局行き着いたのはするべきことをする場所だった。真っ青にライトアップされた部屋の悪趣味があまりにも珍しくてはしゃいだまま、ソファに座ってアダルトチャンネルをつける。この前置き必要なんですかね、女優さんかわいい、アングルが分かってるだなんてけらけらと笑っているのが今日で一番楽しかった。楽しかったから、ふとこちらを見る視線の熱量に気付くのが遅れた。遅れたというか、気付かないふりをしてしまったのが実際のところかもしれない。やっぱりこういうのを観ると男の人は興奮してしまうのだろうか、まさかこの人、私とこういうことをするためにここまで来たのだろうか。そういえば今私のバッグに入ってるのは分厚い単行本だ。何ってアルベルト・アインシュタインとニールス・ボーアの。思わず笑ってしまうくらい清々しく失格。そんなどうしようもない私と、今から何をしようというのか。ここはどんな場所かってそれは初めから分かっていたしそうなっても構わないと思ったから来たのだけれど、ちょっと信じられなくて、だけどキスも触れられるのも全く嫌じゃなかった。今まで付き合うという関係を結んだ相手は何人かいたけれど、身体的なスキンシップなんて不潔で気持ち悪くて絶対に御免だと思っていた自分はどこに消えてしまったのだろうと情けなくなる。
いまだに好きだという感情はわからない。価値は個人に依存するものではないから、私が相手を好ましいと思うのにその人でなければならない理由を探すのは到底無理なことだと思う。今だってそれは見つからないけど、ああ、なるほど、理屈ではない理屈の果てにきっとそれは存在している。いかにも人の良さそうなあの人がこんなに悪い表情をするのかと思えば、もう抗いようなどなかった。遊びかそうじゃないかなんてどうでもよくて、こういうことは須らく遊びに違いないのだった。相手が楽しくて、私が楽しくて、そうして成り立つ、本来なら不幸などないはずの遊びだった。私は私が今まで散々泣きながらそれでも手放せずにいた哲学や倫理というものを、あっさりとベッドの上から放り投げてしまったのだと気付いた時にはもう遅い。そんな自分を許せなくて、死ぬまで許せそうになくて、少し泣いた。さようなら、ちっぽけなダイヤモンド。
ただ動物的本能から。交感神経と副交感神経をバランスよく刺激してくれるあの人がたまらなく好きです。私はあの人の前でやっと動物に戻れた。やっと人間になれた。ずっと見失っていた命というものをこの手に取り戻せた。それが、どんな喜びと失望を伴っているか、分かりますか。その唇の柔らかさを知ると同時に、そこではじめて私もまた同様に柔らかで温かい唇を持っているのだと知ることができた私の感動というものを、考えたことがありますか。便宜上安直に用いた好きの言葉を見抜いて、そんな馬鹿な小娘に容赦のないあなたを私がどんなに好きになってしまったか。
これはパラダイムシフトです。唇を重ねた瞬間、電子は確かに負電荷を持ち電磁波は粒子と波動の二重性を示して地球が回り、人体は暴かれた。そんな転回のおそろしさを、命を脅かしさえするそれを私はただ大事に抱えて温めていくことしか、もうずっと、暫くのあいだ、あるいは連続的瞬間に、できなさそうなのです。
あとがき
初投稿なので、初恋とはこんなものかしらというお話でした。
限られた字数で書くのはなかなか難しいですね。
コメント一覧
どなたが書かれたのか、分かった気がします。
そのどなたかさんが書いた小説を僕は読んだことはないと思います。
では、読んだこともないのに、本作をどなたかが書かれた小説である、となぜ僕が分かるのか?
それは、どなたかさんの印象・雰囲気と本作が一致しているように思えたからです。勘です。
去る日曜日にお会いした方ではないでしょうか?
残念ですが恐らくその方と私は別人だと思われます。
しかしこんな雰囲気や印象の方とは一体どんな人なのでしょうか、すごく気になります。
自分の書いた小説を読んでいただいて「もしかしてあの人では」と思われるような経験って普通はなかなか無いと思いますし、ちょっとわくわくしちゃいました。
それこそまるで叶わない初恋みたいですね、なんて。
雨森さんへ
うわああ外れましたかあ!!
サイト登録のタイミングといい、在住地といい、性別といい、礼儀正しいし、物腰柔らかそうだし、思慮深そうだし、昔のサイトに所属していたこともあり、決めてしまいました。。。
(実は小説からだけではなく、総合的に予想していました。)
大変、失礼しました。(汗
内容については、「馬刺しが食べたいです」の文句がキュートでした。
これ言われるとほとんど男性が参ることでしょう。所謂(いわゆる)殺し文句。僕だけですね〜w
僕も馬刺しが大好きで、熊本に行くとお約束とばかりに、買ったり、食べたりしました。
生姜と、九州独特の甘めの醤油が絶妙に合うのです。
驚くことに、熊本では、普通に、極々自然に、お肉屋さんで桜肉が並んでいたりします。
・・・
理を重視する主人公は、理を最重視していた(そのまま)。
逆に理にそぐわないことはしたくないし嫌い(はんたい)。
それが手をつなぐだけで浮つくようになった(ありゃま)。
そんな自分が情けなくて悲しくなって泣いた(うれし涙)。
理屈か、感情か。
どちらが正解は分かりませんが、僕も主人公と同様に感情を優先させたいですね。
理屈はそれを使えば上手く事を運べるだけのものでしかなく、感情にはロマンがある。
一生を賭するとして、
算数である理屈はどこまで行っても無色の幾何学模様。一方、感情は夢か幻かもしれないし、勘違いかもしれないし、一時的なものかもしれないし、実を得れず、失敗も多そうだが、色彩は豊かだし味わいがある感情を選びたいですね。
結果的に、失敗しても・騙されていても、自分の感情で選択した結果なのだから諦めもつきそうですし。
主人公は、好きと言う感情を知って、自分の中でパラダイムシフトして、その後はきっと有意義な人生を送ることが出来たはずですね!
初めまして(なのかどうかわかりませんが)、爪楊枝と申します。
いやはや、流れるような文章と硬質な文体に引き込まれました。
女性の言い訳じみた、でも、とても素直な心情が描かれていますね。
恋は、賢しらに語るべきものではなく、感じるべきものなのかも。
細かい描写の一つ一つからその瞬間を生きる喜びと、高揚感が浮かび上がってきます。
素晴らしい表現力だと思いました。
また、ぜひ作品を読んでみたいですね。ブラヴォ!
>けにお21さん
そうでしたか、いえいえお気になさらないでください笑
それはそれでどんな方なのか気になるところですが、もしかしたらお会いする機会があるかもしれませんね。
馬刺しの台詞はこの間食べた馬刺しが美味しかったので適当に書いたのですが、キュートとはちょっと驚きでした。なかなかよろしいご趣味で…いえ、でもなんとなくわかりますそういうツボ。
桜肉、私も好きです。小学生の頃に頂き物を食べる機会があったのですが、その時に味をしめました。本場熊本でもいつか食べてみたいです。
そう生きていくことができたら幸せでしょうけれど、それまで理論の美しさを支えにしてきた彼女はどうでしょうか。一筋縄ではいかないんだろうなーと、作者は無責任に考えているのでした。
>爪楊枝さん
お名前は記憶にありますが以前のサイトもそう頻繁にお邪魔していたわけではないので、雨森としてはじめまして。
お褒めの言葉、勿体ない限りです。ちょっと捻れて見えるけどその実とても素直な人は可愛いよねって気持ちで書いていたのでそこまで感じて読んでいただけて嬉しいです、ありがとうございます。
また何か書きましたら、ぜひ。