荷亀車は荒野を休みなしで旅してきたようだった。幌は細かい赤土にまみれて、元の色がわからないほどだ。
「検問だ。止まれ」呼びかけると、長耳族の女が車から降りてきた。顔見知りだ。
「いつもご苦労様です」突き立った耳をぴょこぴょこ動かしながら、フィリは笑った。
「おぉ、フィリか久しいな。楽団のみんなは元気か?」
「はい。おかげさまで」大亀車から顔をのぞかせるのは、楽団旅烏のメンバーだ。
「問題ないとは思うが、一応改めさせてもらうぞ」部下に荷の検分をまかせると、しばし、雑談に興じた。
楽団旅烏は、国をまたにかけて活躍する楽団だった。名声は音に聞こえて、各国で歓迎しないところはないほどだ。
「これからどこに向かうんだ?」
「西へ。大平原を超えて、カーレンテンの岬に向かう予定です。もう少し、この一帯で演奏を続けたかったのですが、このご時世ですからね……」フィリは言葉を濁した。デルン王国とキーラン共和国は一触即発の状態だった。この時期は間者の流入ももちろんだが、特に亡命者が多く、国力の漸減を恐れた、デルン国王は、戒厳令を出していた。そのため、国境の検問は厳しくならざるを得なかったのだ。
「そうか。寂しくなるな……。また、演奏を聴きたかったのだが」部下から、積み荷に異常がなかった報告を受けてから、フィリに言った。。
「今夜はここにキャンプを張りますから、よろしければ、ぜひ」そう言ってフィリは笑顔になった。つい、つられて笑ってしまうくらい、彼女の笑顔は自然な喜びに満ちていた。
その晩、彼らのキャンプでは大宴会が開かれた。旅烏のメンバーは多種多様な種族によって構成されていた。彼らはいずれも故郷で暮らしに窮した貧者だったという。しかし、その間に隔たりはなく、みな活力にあふれた目をしている。そして、己の芸に誇りを持っていることが感じられた。特に素晴らしいのが、フィリの太鼓に合わせて奏でられる曲の数々だ。その演奏は、故郷のない渡り者たちだからこそ表現できる不思議な郷愁に溢れていた。楽しい夜は笑い声に包まれたまま、過ぎていった。
次の朝、彼らは、出立のために荷物を積み込んでいた。フィリは陣頭指揮をしている。その時、気づいてしまった。なぜ、この場所で彼らが一夜を過ごしたのか。巧妙に隠されてはいたが、昨日の報告にはない荷箱が増えていたのだ。聞いたことがある、貧しい亡命者を陰助する集団があると。もしや、楽団旅烏こそが……。
「フィリ、昨晩は素晴らしかった。また、いつか聴きたいものだな」呼びかけた声は少しこわばっていたと思う。
「ありがとうございます。そうなるといいですね」フィリの屈託ない笑みを浮かべた。
「しかし、一日泊まるだけなのに、多くの荷物を降ろしていたのだな……」
「えぇ、大所帯なもので」フィリの目が一瞬光った気がした。その瞳には強い意志が輝いているように感じた。おそらく、彼女は何があってもあの荷を守ろうとするだろうと、確信した。荷箱を開けさせるのは容易い。だが、そこにいるであろう、貧しい逃亡者たちを弾圧して何になるというのだろう。良心などという感傷によって、決して堅固ではない職務意識はすっかり萎えてしまっていた。
「そうか……そういうものか……。まだ、この先も危険な場所はたくさんある。無事にみんなで、次の場所に着けるといいな」その言葉にフィリは初めて驚いたようだった。
「はい……。ありがとうございます」
「早く、行くといい。いつ、どうなるかわからんからな……」フィリは意図を察したのか、黙礼し、作業に戻っていった。ほどなく、準備は終わることだろう。
荷亀車は検問を抜け、荒野を更に西へ進む。その後姿はなぜかとても大きく見えた。渡り鳥は決して、振り返らない。ただ、次の目的地へ羽ばたいていく。羽ばたくことをやめたら、待つのは死のみだ。そんな彼らの瞳の光に、立ち向かえたかと自問すると、否という回答になってしまうのも事実だった。きっと彼らは、これからも同じことを続けるのだと思う。いつ、どんな国に行ったとしても、志を曲げないに違いない。そして、いつか、翼がもがれるその日まで、雄々しく飛び続けるのだろう。
そんな生き方しか知らない不器用さが、なんだか無性にうらやましくなってしまった。
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