父である清がその家を建てたのは、もしくは建て替えたのは昭和30年代の初めだったと思う。
場所は東京郊外の、尾野崎という名字の人が多い地区であった。
立て替えているあいだ、伊津子は父に連れられてその家に来た。その家にはグミもあったしタワラグミもあった。父がとってくれたタワラグミは少し苦かった。
父の建てた家は当時としてはモダンなものであったろう。平屋ではあったが、玄関は西に向いていて洋風の外開きであった。子どもは伊津子の上に3人もいて、妻のみちよと6人で暮らすというのに、北向きの台所と6畳のリビングに8畳の寝室、6畳の書斎、東と南側には廊下があるという作りであった。
書斎に作られた作り付けの本棚には父の蔵書でいっぱいであったが、その部屋には父の机が置かれていたが、父がその机に座っているのは伊津子の記憶にはない。高校教師である父はいつもリビングの掘りごたつ用のテーブルで採点などの仕事をした。
兄たちも姉も運動がよくできたが、末の伊津子だけは神様のいたずらか魔女の一撃でもあったのか、のろまで運動が苦手であった。
母のみちよの末弟である丈三おじさんが彗星のごとく居候にくると、書斎は兄二人と丈三叔父の寝間となっていた。
廊下は伊津子が中学生頃は勉強机が置かれていたし、母のミシンはずっと南の廊下に置かれて、母はよくミシンを踏んでは洋服を作っていた。
昭和45年ころ離れの2階建ての家を作るまでは、伊津子と姉は父と母と4人で寝ていたのであろう。
父清は平成6年3月にその家で亡くなった。翌日の夜は父清と母みちよと川の字になって寝た。
父と母を独り占めできた夜に伊津子は涙を流した。
父の造ったその家はもちろん、もうない。
あとがき
使用ワードは 尾・彗星・魔女・一撃・3月です。
コメント一覧
間取りを文字で表現するとは、面白い。
家具の配置や方角やら、描くのはけっこう難しいと思うが、意欲作ですね!
さて、父との最後の一日である通夜?を綴った作品。
通夜を過ごすのは辛くて、悲しいですよねー。
この作者はもう、あの方だと思いまする。
缶詰です。
これなぁ。こういうのが好きなんですよ。ワンシーンを抜き出して、全体を表現するのが私は大好きです。
モダンな造りという言葉はそれだけで煙草の匂いがするようだし。
蔵書という存在に、亡くなった父の人柄浮かびます。
超短編の一つのスタイルとして私はこの作品を味わい深く思います。
限界積読です。なんというお洒落!
細かい意匠にこだわった文章で素敵ですね。祭りのお題のキーワードが登場人物のキャラクターに彩りを与えているようで文章と調和しています。伊津子さんも大層歳を重ねてから、ようやく独り占めできて、子どもの時期の鬱屈に決着をつけられたんだなぁと、最後のシーンは味わい深いものでした。
魔女の弟子です。
家なんてどれも似たり寄ったり何て思っていましたが、
こうしてみると、間取りも違えば来歴も違うんだなあ、と気づきました。
伊津子はどんな気持ちで親子3人の夜を過ごしたんでしょうか。
皆さん、あたたかいコメントありがとうございます。
雑用に追われ、さて予想をと思って開いたらもう発表でした。孫が二人になり久しぶりに来たので、忙しい
2月でありました。これからもよろしくお願いします。