「何読んでるの?」
「エルボー」 ぶっきらぼうな答えだけが返ってくる。そこに会話の可能性を感じて、アオハは白い狸の尻尾をひょこっと動かした。
「映画のノベライズ?」
「・・・そう、シリーズの2作目。肘打ちの極意」 いかにも面倒くさいという風な返事が返ってくる。当たりだ。
「ふーん」 会話の温度を合わせるフリをしながら、アオハはカタカタとキーボードを叩いてPC言語を打ち込んでいく。尻尾がひょこひょこと小刻みに動く。
「E.L.B.O.Wっと」
「何?」
「新作の道具。発動のキーワード、エルボーにしといた」
郊外にあるその家には、間取りにない小部屋がある。そこがアジテーションポイントなのだ。アオハは書き上げたプログラムをインストールする。
「使ってみる?」
「おー・・・」
怪盗ふわもわ。アオハは彼に盗まれた。処分されようとしていた実験体のアオハは偶然盗みに入ったふわもわに出会った。それからいろいろあって、結果として一つ屋根の下、一緒に暮らしている。男女なのですが!
アオハは思わずキーボードを強打し、はっと我に返って、冷静に務めた。
「どうした?」
「あ、いや、なんでもない。これ、着けてみて」
そういって、グローブ状の新作道具を渡す。
「ロケットパーンチ」 着け具合を確かめているふわもわに向かって、アオハが小声でボソッと言う。
すると、グローブの隙間ががしゃこんっ!と開いて、ジェットが猛烈に噴き出す。グローブは手を離れて、壁を思い切ってぶち破ろうとするが、コンクリートはぶち破れないのか、しばらく頑張った後、クタリとなって落ちた。
「・・・・・・威力が不足しているかしら」
「十分です。なあ、さっき、キーワードは『エルボー』だって言ってなかったか?」
「エルボーも試す・・・?」
「そんなわくわくした顔をしたって、試さないからな!?」
「えーっ」
アオハはいつも面白い。けれども、それは彼の本当の感情ではなくて、年齢に似つかわしくない素振りもアオハの為にしている気がしていた。ふわもわは面をしていなくても、面をしたままなのだ。
※
「ナナヒカリ刑事!」 若い刑事が一人、飛び込んでくる。
「なんだ!?」
「予告状です、怪盗ふわもわからの」
「来たか、ふわもわ。だが、なぜこのタイミングで・・・。せっかくコメが収穫時だというのに」
「実家の農家の、ですね」
「そうだ。今年の夏は雨もちゃんと降ったし、夜もちゃんと冷えてくれた。うまいコメが食えるというのに。おのれふわもわ」
「では、事件が解決したら、私も収穫を手伝うというのはどうでしょう」
「おお! では、さっそく現場へ向かうとしよう」
「はいっ!」
打って変わって石畳の大通りにやってくる。
「今回狙われているのは何だ?」
「はい、それが、いつもと少し違うようなのです」
「というと?」
「はい。オオムネ美術館所蔵のターコイズブルーの宝石です」
「何の変哲もない?」
「はい。何の変哲もない」
「いやっ、奴には変な哲学がある。今回も何か曰くがあるに違いない」
「はいっ!」
※
美術館の屋根の瓦を一枚外すと、ふわもわは、屋根によじ登った。
「まあ、盗んではみたものの・・・だ」 懐から、宝石を取り出してみる。
「何か問題が?」 通信機からはアオハの声が聞こえる。
「ああ、困っているね。何も起きない」 眼下には、いつものナナヒカリ刑事が警備を指揮しているが、予定の時間になっても今日は現れないことになっている。
「予告状、なりすましの誰かさんは来ていないみたいですね」
「せっかくだ。宝石はいただいておこう」 そう言って、通信を切ろうとした間際に別の音声が割り込んでくる。
「すまないが、ショーが残っていてね、まだ帰ってもらっては困るんだ」
いつのまにか、そこには縦縞の衣裳をまとった影があった。
「・・・野球ファンが現れた」
「野球ファン!?」
「私はゼブラ! ヨコシマなものと戦うべく、見参した!」 仰々しい礼から直ると、機械仕掛けで形が変わる不気味な面できゅうと笑った。
「あまりお近づきにはなりたくないのだが・・・」
「ええ、私もです。しかし、あなたには少しだけゲームに参加してもらおうと思うのです」
「ゲームだと?」
「ええ、大変興味がおありだと思いますよ。なにせ、待ち望んでいた、あなたの引退がかかっているのですから」
「・・・興味ないな。」
「ふっふっふ。次にあなたにやってもらいたい仕事がその、私のすり替えた宝石の中に刻まれています。無事ゴールにたどり着いたら、お茶でもしましょう。そこまで生き延びられたら、ですが」
「互いにな・・・」
ゼブラはニヤリと歪に笑って、叫ぶ。
「ロケットパンチ!」
その瞬間、ふわもわの着けていたグローブの隙間ががしゃこん!と開いてジェットが噴き出す。腕にベルトで固定されているグローブはふわもわを引きずって刑事たちのほうへと向かっていく。声を聞き、何事かと見上げた刑事たちの只中に・・・。
「!?」
地面は一瞬にして近づき、背中を打ってもんどりうって、なんとか着地する。
「お、お前は、ふわもわ! いったいどこから現れた!?」 ナナヒカリ刑事が叫ぶ。
「説明すると長い話になるんだがね・・・。ナナヒカリ刑事」 ふわもわは平静を装う。
「まあいい、今日こそお縄についてもらうからして、時間はたっぷりあるんだよなぁ!」 うきうきで飛び掛かってくるナナヒカリ刑事に対して、ふわもわは背中の痛みが身体を電流のように駆け巡り、一瞬動き出しが遅れる。ふわもわの時間がスローモーションに引き延ばされる。何度もふわもわを救ってきた特技だった。もちろん、ふわもわ自身が速く動けるわけではないけれど、最善の行動を選択するための時間が得られるのだ。その視界の端に、狸印の可愛いサイドカーが突っ込んできているのが見えた。ふわもわはその場で飛び上がる。バイクに華麗にまたがり、そのままアクセルグリップを回す。エンジン後方にあるスロットルバルブが開き、エンジンに混合気が目一杯送り込まれる。エンジンが唸りをあげて回転している。後方にはナナヒカリ刑事の呆気にとられた顔と、運転席の付いた側車に乗ったアオハの泣きべそ半分の必死の形相があった。それを一瞬のうちに置き去りにして、ふたりは、美術館の前から駆け去った。
「ありがとう、助かったよ」
少し離れて、ふわもわはようやくその言葉が出てきた。アオハは安堵したせいか、涙がぶり返してきているようだった。
「私の発明のせいで、ふわもわを危険な目にあわせて・・・私のせいで・・・ごめんなさい」
「もう泣くな・・・」 ふわもわの慰めの言葉は空を流れていき、アオハは、アジトに戻るまでずっと泣いていた。
※
あとがき
続きます・・・!!