世界征服

  • 超短編 3,998文字
  • 同タイトル
  • 2020年05月10日 21時台

  • 著者:1: 3: ヒヒヒ
  •  兄が、スマホに目を落としたままの格好で固まっていた。すでに10分が経過している。家の玄関口、バイトに向かおうとしてリュックを肩にかけ、ふとスマホを見た、そのまま恰好で。これ、助けた方がよいのだろうか。

     私だって、スマホがただの綺麗な石ではないことは知っている。テレビにラジオ、ゲームもできるスーパーハイテクマッシーンであることは。だけど、私はテレビとラジオのことをよく理解していないので、実際何ができるのかは知らない。
     知っているのは、スマホには人間を笑わせる力があるということぐらいだ。兄は家にいる間、つねにと言っていいくらいスマホを見ている。そして時々笑い、時々にやけ、時々恥ずかしそうな顔をする。
     だけど、こんなに長時間、同じ姿勢を取り続けたことはない。さすがに奇妙だ。母を呼びに行くと、母も台所で固まっていた。皿を洗いながら、カウンターの上に置いたスマホに目をやった、その時のままの格好で。肩をゆすっても動かない。
     これ、やっぱりまずいんだろうか。父は会社に出て不在。電話は、私にはかけられない。とりあえずおとなりさんちに行ってみようと、兄をよけて玄関の扉を開ける。閑静な住宅街を横切る小さな道の脇で、通行人が3人、石像のように固まっていた。
     さすがにまずいよね、これ。


      世界征服はカタンの後で


     警察を呼ぶなら110、消防を呼ぶなら119、どれも使ったことはない。家の電話のダイアルを押すことはできるし、受話器を手に取ることもできる。だけど、受話器から出てくる音が聞き取れない。
    「呼び出し音がするだろう?」
     小学2年生の頃、父と一緒に試してみたことがある。受話器を耳にあてると、父は優しい声で言った。
    「音が聞こえるはずだ」
    「何も聞こえないよ」と答えたら、父は母と顔を見合わせた。

     電話やラジオは音を発しており、テレビに至っては絵を発しているらしい。何度聞いても意味が分からない。絵を発するって何だ。
     幼稚園の頃からそうだった。幼稚園の時、みんながなぜテレビを見るのかわからなかった。あんな、真っ黒なだけの、大きな箱の何が面白いのか。せめて花でも描いてあればかわいいのに、と思って、テレビの画面に絵を描いた。赤い油性ペンで。
     しこたま怒られた。とんでもなく怒られた。
    「テレビが見えなくなるでしょ?」と言う母に
    「テレビはここにあるじゃない」と言い返してまた怒られた。

     どうやらテレビは、私には見えない何かを見せているらしい、と理解し始めたのは、小学4年生になったころだ。それまでは、テレビの話が分からなくても、あやとりや折り紙ができれば友達と遊べた。だけど長ずるにつれて、みんなはテレビのことばかり話すようになった。
     水曜日のお笑い、金曜日の映画、日曜日のアニメ。
     友達の輪は、電子メディアと言う紐でできている。いつしか私は、いつも図書室の端で本を読んでいる、孤独なはぐれ者になっていた。本の話をしても、誰もついてこれない。ファインマンさん? ファーブルさん? 誰それ、ごめん、昨日のアニメの話がしたい。
     
     それからスマホがやってきて、友達みんながスマホを買った。もちろん私は買わなかった。父は子供用携帯を持たせたがったけれど、携帯が震えても、私には何もできなかった。せいぜいマイクに「わたしはぶじですいまとなりのえきこれからかえる」と一方的に吹き込むだけ。契約金がもったいない、と言うことで、すぐに解約することになった。
     私はますます孤立した。友達の輪はチェーンメールでできている。遊びに誘ってくれる優しい子もいたけれど、待ち合わせ場所ですれちがうことが3度続いて、諦めた。

     家を出た後、隣の家に行って、インターフォンを連打した。砂川のおばさんは私の体質を知っている。「伏見ですごめんなさい家族が大変で」と連呼すれば、おばさんなら来てくれるはず、と思ったけれど、反応はなかった。柵を超えて家に入ることも考えたけれど、さすがに気が引けた。
     5月の太陽が無邪気に照っている。道端で固まる通行人たちは、スマホを見たまま微動だにしなかった。押しても引いても動かない。いや、本当に頑張って押すと、ぐらりと姿勢を崩す、が、スマホから目を離さない。
     町の中をぐるりと回る。外にいる人は全員が固まってしまったようだった。誰もかれもが、手元のスマホ、タブレット、あるいはテレビやモニターを見つめたまま、動かない。
     すごいなスマホ。
     スティーブ・ジョブズに感心しながら町を回る。これ、どうやって助ければいいんだろう、とつぶやいたときに――魔がさすというのはこういうことか――ふと思った。思ってしまった。
     助ける必要、ないのでは?

     高校生になったころ、クラスメイトがバイトをするようになり、私も何件か試してみた。とあるカフェでウェイターに採用され、事情を話してレジと電話応対を免除してもらった。そしたらお客さんに怒られた。
    「カウンターの電話鳴りまくってるのに、なんで取らないの?」
    私には全然、一コールも聞こえていなかった。
    これであきらめちゃだめだ、と思ったけれど、先輩に疎まれて追い出された。他のところも似たり寄ったりだった。今時、携帯すら持たない高校生を雇ってくれる店などない。
     人並みの生活ができるとは、思ってなかった。思ってないつもりだった。それでもやっぱり堪えた。もう駄目だと思った。消えていなくなりたいと思った。液晶ディスプレイが際限なく増え続けるこの時代に、私の居場所なんてない。

     そう思っていた矢先に起きた、同時多発人間硬直事件。原因はおそらく、スマホ、テレビ、その他、私には見えない何かを発している電子機器。私だけが耐性を持っていて、私だけが事態を打開できる。
     でも、打開してどうなるんだ? ただ、元の日常が戻るだけだ。本、映像、音声、知性、そして魂。ありとあらゆるものが電子化されていく時代が。
     滅ぼしてしまって、良いのでは?

     そうだ、スマホに依存している人間たちなど、滅びてしまって全然問題ない。心の中に、幼稚でその分強力な感情が膨れ上がってきた。
     思い出す。高校生になったばかりの時、私の体質を知ったクラスメイトが、スマホの画面を突きつけてきたのだ。
    「これどう思う?」と聞かれて、4.7インチかな、と思ったけれど言わなかった。
    「スマホ、使えないんだ」と私が言うと、奴はくすくす笑い始めた。
    「本当に見えてないんだな!」
     “親切な”子が後に教えてくれたのだが、その時奴は、スマホに「有理のバーカ」と表示させていたらしい。私が嘘をついていると疑っていたのだ。それから、私にスマホの画面をチラ見させる、と言うのが、性悪たちのお気に入りの遊びになった。
     その時のことを思い出すと、いまだにはらわたが煮えくり返る。
     ほら、そうだ、そうだよ。心の中で声がする。
     滅ぼしちゃえ。

     私は家に帰った。このまま何もかも放っておくつもりだった。そうすれば全員が餓死する。辺りは地獄絵図になるだろうけれど、まあいいや。そんなことを考えながら玄関の扉を開けたとき、硬直した兄と向き合うことになった。

     兄。二歳上の、大学生の、スマホ依存気味の、眼鏡っ子大好きの、バイトの給与を全部ガチャにつぎ込んでしまうダメ人間。ゲームのし過ぎで死ぬとか本望とか言っちゃう愚か者。頼りになるとか、守ってくれるとか、そういうところ全然ない。
     私が高校でからかわれて、そう、あの悪魔にスマホの画面を見せられて、最悪の気分で帰ってきたとき。兄は私のことを見て、声をかけてきた。
    「なんかあった?」
     私はその日の出来事を話した。
     話を聞いた兄が、そいつ俺がぶっ殺してくると言って飛び出す、なんてことはもちろん、なかった。俺が守ってやる、とか、そういう“アニキらしい”発言は、一言も。
    「そうか」と言って、兄は目をそらした。語彙力皆無の兄だ、スマホで検索しないと、拝啓の拝の字さえ書けないスマホ依存症だ。助けなくたって構わない人間だ。
     自分の心の冷たさに触れてぞっとした。それでも決心は変わらなかった。
    だって、兄を助けたら、母も父も助けなければいけないわけで、そしたらもう、周りの人全員を救おうという展開になってしまう。そうなったら私はまた、居場所をなくしてしまう。
     これでいいんだ。これで。

     あのとき。
    「そうか」と言って、目をそらした兄は、すぐにはそこから動かなかった。
    「何?」と、妹だけに許される陰険な態度で問うと、兄はもじもじと言った。
    「カタンとか、やらないか」
    「カタン?」
    「ゲームだよ。ボードゲーム。アナログだから、お前だってできるだろ」
    「いじめられた妹にかける言葉が、それ?」
    「……いいだろ」
     その日は家族でカタンをした。楽しかった。嫌な思い出を忘れることはできなかったけれど、それでも、兄のことを見直すくらいには、楽しかった。

     兄の耳に耳栓を詰めた後、その横っ面を力いっぱいひっぱたく。姿勢を崩したすきにスマホをひったくり、奪ったスマホを押入れに放り込んだ後、大量の座布団で封じ込めた。それから家のブレーカーを落としたり、ラジオを隠したり、思いつくことはすべてやった。やるだけやった。

    「悪質な怪電波から解放するために、きっつい荒療治が必要だったの」と、兄には伝えた。
    「いや、やりすぎだろ」と、頬を撫でながら兄が言う。「殴る必要はなかった」
    「スマホ取り上げようとしたら抵抗したんだもん。割とガチで」
     結局、スマホとテレビ、ラジオ、その他映像と音声を発する電子機器全てを遠ざけた結果、人々は正気に戻った。警察が復活したので、あとは放っておいても問題ないだろう。
     父の帰りを待ちながら、私たちは久しぶりに会話らしい会話を交わした。
    「お前、ためらったりしなかったのか」と兄が言う。
    「なにを?」
    「みんなが固まったままの方が、その……良かったとか」
    「……馬鹿だな兄さん」
     馬鹿なくせに、妙に鋭いところがあるのだ。
    「カタンがしたかったんだよ。もう一度」

    【投稿者:1: 3: ヒヒヒ】

    あとがき

    数か月ぶりの同タイトルとなりました。

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    コメント一覧 

    1. 1.

      20: なかまくら

      当たり前にあるはずの何かがないことが、逆転して最良の長所になる切り口の鋭さがザクザクきました!
      タイトルから「世界平和は一家団欒のあとに」という古いライトノベルを思い出したのです(内容は全然違うのですが)。
      とにかく面白かったです。それにしても、なぜ、電子的なものが見えなかったのだろうと考えると、妄想が膨らみますね。


    2. 2.

      1: 9: けにお21

      なかなか良い話。

      今、通勤電車に乗っていますが、見渡すと、七割はスマホを覗いている。

      残りは小説らしき単行本、新聞、仕事の資料などを見ている。

      そんな状況ですねー

      とかく言う僕もスマホを覗いていて、たった今しがた、スマホでこの小説を読んだのですがw

      みんな、スマホに取り憑かれているなー

      人生の相当な時間を、スマホの画面に費やすのだろうなー

      あーもったいない。可哀想。

      外を見ていれば、楽しい風景など見られるのかも知れないのにね。

      発見も出来るのに。

      コミュニケーション、も取れて楽しいのに。

      と思うが、スマホ見ちゃうねw 今も見ているしw

      カタンは面白いよねー

      皆さんに教えてもらって覚えた。

      北陸にいる頃、ボードゲーム同友会みたいなのに入ってた事もあるw

      また、皆さんと遊びたいなー

      ディズニー行きてー!