ネズミだけでは足りない

  • 超短編 2,136文字
  • 日常
  • 2020年05月03日 01時台

  • 著者:1: 3: ヒヒヒ
  •  育ての親が出かけて行ったきり、帰らない。もう一カ月になるだろうか。携帯に出ないことはあっても、折り返してこないことはなかった。

     瑞(みづち)は目を覚ますと、寝室の窓から――顔を出さないようにして――外を眺めた。育ての親が丹精込めて耕した畑が広がっている。草取りをする人間がいないので、今では雑草が伸び放題になっていた。

     やはり世話をしに出るべきだろうか。瑞はクローゼットを開けて、フード付きのパーカーを取り出して、ベッドの上に放り投げた。これを着て出るのは、他に手がなくなったときだと決めている。

     育ての親に電話をかける。電話そのものが繋がらない。瑞は携帯を与えられておらず、他の電話番号も知らない。すでに高校に通える年齢だが、教育を受けたこともない。

     睨むようにして外を眺める。畑の向こう、低い塀の先には農道があるが、一台の車も通らない。居間に降りて、テレビの電源を押す。反応がない。昨日の昼から、電気そのものがつかなくなった。水道も使えなくなったので、裏手の井戸から水を取っている。

     さすがにおかしいと、瑞にもわかった。

     瑞は部屋に戻ると、パジャマから普段着に着替え、それからパーカーを羽織った。一階に降りて、玄関の扉の前に立つ。鍵を回し、ドアノブに手をかけたところで、動きを止める。目を閉じ、集中するが、扉の外は見通せない。金属の扉の冷たさが感じられるだけだ。

     ふと、彼女は荷物のことを思い出す。

     三週間前、彼女が家に独りでいるときに、宅配便が来た。育ての親には「居留守を使っていい」と言われていたのだが、その時は夜で、しかも、部屋に明りがついていることを見られていた。

    「居留守止めてくださいよ」

     と怒鳴られて、怖くなった瑞は返事をしてしまった。

    「扉の前に置いておいてください」

     二週間前にも、同じ配達人がやってきた。その時は朝で、声も穏やかだった。

    「先週お届けした荷物、置きっぱなしですがいいんですか? 大きすぎて動かせないなら、お手伝いしますが」

     瑞は返事に困った。「大丈夫です!」と何度も連呼して追い返したが、確実に怪しまれただろう。

     その時の荷物は、まだ外に置いてある。育ての親宛の荷物だから、中身が何かは知らない。時折、自家生産できない食料を頼むこともあったから、生ものである可能性もある。

     だけど、もし外に出たときに、うっかり配達人と出くわしたら? 瑞はぶるりと身を震わせた。

    「夜を待とう」

     そうつぶやくと、鍵を閉めるのを忘れたまま、階段へ向かい、地下室へ降りた。朝から何も食べていない。朝食をとるべきだった。

     この家の地下は、瑞の生みの親が違法に増築した通路と部屋が連なっていて、さながらもぐらの巣のようになっている。部屋の中には、遺伝子工学の本やら器具やら、瑞には理解できないものが詰め込まれており、最奥の部屋には入室することすら禁止されている。

     瑞は細い通路を進み、いくつか角を曲がったところで、おもむろに屈みこんだ。通路の壁や床は傷だらけで、絶えず何かの動く音が聞こえている。瑞は目を閉じると、息を潜めて待った。

     暖かいものを感じた。体の中ではなく、外に。壁にあいた穴の向こう側に。それは俊敏に動きながら近づいてきて、瑞の前を横切った。石のように固まっていた彼女の腕が、鞭のように素早く伸びて、それを捕まえる。

     瑞が目を開けたとき、彼女の手の中で一匹のネズミが暴れていた。瑞はネズミを両手で握ると、おやつのモナカを割るような何気なさで首を折り、頭に齧り付いた。

     ぼり、ぼりと音を立てて咀嚼しながら、育ての親を思い出す。育ての親は、瑞とは似ても似つかなかった――生みの親でさえ、瑞とは全然似てなかったけれど――生みの親と違って、育ての親は、瑞のことを気味悪がったりはしなかった。

    「お前が羨ましいよ」と言ってくれたことさえある。

    「ネズミ食べたいの?」

    「違う。ネズミだけ食べてれば生きていける、その体質が、だ」

    「みんなは違うの?」

    「栄養が足りなくなる」

    「やってみたら?」と瑞が言ったら、育ての親は非常に変な顔をした。その顔がおかしくて、瑞は笑ってしまった。

    「一生、ネズミだけ食べて生きて行けと? よしてくれ」

     そう、みんなは違うのだ。普通の人は、ネズミだけでは生きていかれない。だから育ての親は、肉を買うために町へ行った。そこでたぶん、事故か何かに巻き込まれたのだろう。感染したというのもあり得る。

     そうだ、一か月前。ロックダウンに反対する人々が、暴徒化したというニュースをやっていた。その後からだ、親と連絡が取れなくなったのは。

    「夜を、待つんだ」

     瑞は考える。もし、生きている人がいなくなっても、自分なら生きていけるだろう。自分には、ヒトにはない力がいくつもある。普通の人は、周りの温度を感知することなどできないし、ネズミを素手で捕らえる術も知らない。でも。

     一生、一人だけで生きていけ、誰かにそう言われたら、私だって。

     頬を伝う冷たいものに気付いて、瑞はそれを乱暴に拭う。手のひらに固い感触が触れる。階段を上って、洗面所へ向かうと、鏡の中には、ヒトとは異なる相貌の少女が映っている。頬に鱗を持つ、蛇に似た、異形と呼ばれたその顔を、パーカーのフードで深く隠して、少女は外へ出た。

     外の世界へ、仲間を探しに。

    【投稿者:1: 3: ヒヒヒ】

    あとがき

    久しぶりに書いたらこんなのできました。お楽しみいただければ幸いです。

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    コメント一覧 

    1. 1.

      20: なかまくら

      コロナウイルスの異常事態を、動物たちはどう思っているのかな、なんて思いました。あるいは、まだ物心つくかつかないかの子供たちはいかに・・・?
      生みの親と育ての親がいるということですが、産んだ? と考えるとまた闇はずいぶんと深そうですね・・・。
      壁井ユカコさんの風を感じました。久しぶりに読みたくなりました^^


    2. 2.

      1: 3: ヒヒヒ

      コメントありがとうございます。動物たち、海外だと、人間のいなくなった町で自由を謳歌しているらしいですね。
      壁井ユカコさんの文章に惹かれて小説を書き始めた口なので、なんだか気恥ずかしいです。
      振り返ってみると、この話、「カスタムチャイルド」の影響もろに受けてますね……。