駆除(後編)

  • 超短編 3,825文字
  • シリーズ

  • 著者: 20: なかまくら




  • それからは、仕事はサッと片づけ、旧3階層のリドカリに会いに行くのが梅坂と戸栗の習慣となった。そもそも、止まない雨で地面はぐしゃぐしゃになっていて、作業がはかどらないことは、会社側も承知しているようで、リドカリの殻の回収の成果がやや少ない本当の理由には気づかれていないようだった。
    「人工太陽をなぁ、こっちに迂回して寄っていってもらわないとこれはもうどうしようもないな」 戸栗がぼやく。
    「隣の地区の増築で工事が集中するから、そっちに回っているらしいけど」 梅坂も聞きかじった話を挙げる。
    「そういう順番なんだろうな・・・ああっ、それにしても、見つからないな、リドカリっ!」
    「あんなにいたのに、どこに潜んでいるんだろう」
    この日の成果も少なかった。もちろん、昼過ぎには旧3階層に移動を始めたためであったが、ただ、このとき、その本当の理由に気づいていなかったのは梅坂たちも同じだった。



    そして、あの事件が起こる。
    初めに、奇妙な風邪が流行っている、という噂のようなものが流れた。体温が保てなくなる低体温状態になってしまう風邪だった。それは低温火傷をするように恐ろしいもので、少し寒いな、と思っているうちに症状が進行し、身体が動かなくなってしまっているというものだった。次に、同じ症状の電脳風邪が流行った。電脳風邪は、脳に有機演算素子を埋め込んだ富裕層を狙ったコンピュータウイルスによるものであった。
    「せめて、人工太陽で日照量が増えれば、症状の進行を抑えられるって、医者の先生が」
    「風邪の設計者がいるはずさ・・・早く捕まるといいんだが」 その頃にはリドカリはすっかり捕獲できなくなっており、休職状態だった梅坂は、高いアパートを引き払って、5階層まで降りてきていた。鳶蜥蜴のミルバスの体温はなるべく頻繁に計るようにしていた。新種の風邪が人間以外に感染することだってあるだろう。
    いったい誰が、何の目的で破壊行為を始めたのだろうか。免疫を攻撃するウイルスと、電脳ウイルスが同じ症状だということは、デザインされたウイルスに違いなかった。不満はある。一向に航路が変わらない人工太陽。最近乾いた地面を見たことがない。それに加えて、上昇する物価、仕事の減少、作業員の滑落事故の増加。暦屋は人で溢れ、安芸様にも会えていなかった。話しておかなければならないことがあったのだが。

    政府の発表によると、この電脳ウイルスのワクチンプログラムを構成するカギとなるプラットホームは、“リドカリ”という生物にある、と思われる描写がタペストリーに出たというのだ。リドカリから抽出される光。それをビンに詰め、発症者を照らすと症状が改善すると思われた。政府はただちに100体の“リドカリ”の回収を各回収業者に命じた。

    もちろん梅坂のところにもその知らせは来ていたが、応じるつもりはなかった。最早、リドカリがこの地区に生息していないことは知っていたし、人間の都合に嫌気がさしていたとも言えた。ただ、梅坂は、旧3階層に残されてしまった・・・いや、残してしまった、一匹のリドカリをどうするべきか、悩んでいたのだ。

    梅坂は思案を巡らしていた。リドカリの存在を知るのは、戸栗と安芸様と自分だけである。
    安芸様は何も話されないだろう。暦屋は何かを聞くものであり、話すものではないから。では、戸栗は。居を移してしまってからは、一度、訪ねてきただけで、その後は一度も会っていない。戸栗も妙に忙しそうにしていて、それっきりになってしまっていた。戸栗のことだ。別の仕事を見つけてうまいことやっているのだろう。だが、どうだろう。リドカリに懸賞金が付いたとして。それが喉から手が出るほど欲しい金額だったとして。秘密は守られるだろうか・・・。



    梅坂は、下層へと下っていた。日の光は遠く、コケに覆われた足場を慎重に進んでいった。その一部が踏みしめられていて、それは誰かが自分よりも先に通っていることを表していた。梅坂の歩調は自然と早くなっていた。

    「待てっ!」 建物に入った瞬間、梅坂は叫んでいた。
    「武器を捨てろ! それからゆっくりと離れるんだ」 人工太陽の光も届かない薄暗闇の中、両手を肩の高さまで上げた影が、弱く発光するリドカリの隣でのろのろと動いた。そして、雲の一瞬の切れ間から零れた光が顔を照らして、すぐに消えた。
    「・・・やっぱりそうなるのか、戸栗」 梅坂はうめいた。
    「悪いな・・・、政府は血相変えて探してやがる」 戸栗が静かに佇んでいた。
    「お前、どうした・・・?」 梅坂は思わずそう聞いていた。
    「知ってるか? リドカリはな、もうずっと前から、この博波地区にしか出てなかったらしいぜ」
    「・・・そうじゃないだろう!」 梅坂は思わず怒鳴った。声が反響し、建物を出たところで、外の雨に溶けて消えた。
    「お見通しかよ・・・」
    「捕まえてお金にするつもりじゃないんだろう」
    「ああ」
    「なぜ、テロなんて始めたんだ・・・」 梅坂には理解できなかった。
    「なぜ、気づいたんだ?」 戸栗はそうやって薄く笑った。
    「質問しているのはこっちだ」
    「質問しているのはこっちもだ」 戸栗はからかうようにそう言った。
    「・・・安芸様を訪ねた時に、問題の本質は俺にある、とお前は言ったな」 梅坂は、リドカリの姿を探していた。見当たらないのだ。
    「ああ・・・」
    「それがな、あとから思い直せば、わざわざ安芸様の言葉をさえぎってまで、そう言って、思えば思うほど不自然に思えてきたんだよ」 梅坂は、階段を目線の先にとらえていた。
    「・・・それは、そうだろうな。あれは、失敗だったよ。せっかく、うまくやれてたのにな」
    そう言うが早いか、戸栗は缶を放って駆け出していた。
    「戸栗!」
    缶は猛烈な勢いで煙を噴出させて、視界を奪っていく。梅坂も、戸栗の消えた階段へと向かった。銃声。立ち止まる梅坂。
    「人類は、かつて作った建物を次々と放棄し、壊すこともせず、上へ上へと作り続けた」
    声がした。戸栗の声だった。
    「人口が増えたんだ、仕方がなかった!」 梅坂は会話をつないだ。
    「一度壊し、片づけ、見直し、改めて作る、というプロセスを怠った」 声は、らせん状になっている階段に反響し、ずっと上のほうから、あるいは下のほうから聞こえるようで、どこにいるのか見当はつかなかった。
    「それは、そうだ・・・」 梅坂は、戸栗が何を言いたいのか、なぜこんなことをしているのか、図りあぐねていた。この仕事を始めた時には先輩で、今では良い相棒だと思っていた。そんな男が何故、こんな恐ろしいことをしているのか。
    「先生は、それではいけないと、再開発の資金をやりくりしようとしたんだ!」
    「先生・・・?」
    「そうだ、先生は横領して、私腹を肥やそうなんて考えていなかった。それが何故わからない!」
    「先生とは、・・・戸栗、あんたは議員さんの支援者だったのか。だったら、もう一度、次の選挙で・・・!」
    「先生は・・・死んだよ。だから、我々は、一度壊すことにしたんだ。このリドカリを一匹殺せば、それで可能性は消える。先生を破滅に追いやった世の中が生き残る可能性が」
    銃声。
    「やめろ・・・」 梅坂は銃を撃っていた。
    「次弾も引き金を引くだけで撃てる」 構える手は汗で濡れ、おぼつかなかった。
    「やめとけよ、そんな無責任な」 戸栗は少し馬鹿にするように、どこからかそう言った。
    「無責任・・・?」 梅坂はその意味を図りかねて聞き返す。
    「お前には決められないだろう? 俺を殺したところで、このリドカリを助けて人類を滅ぼすのか、このリドカリを殺して人類を救うのか、お前にそれが選べるのか?」
    なるほど、そういうことになるのだ。梅坂は混乱していた。
    梅坂は混乱した頭で、思いついた言葉を口にしていた。
    「俺はな、時々、思い出すんだ。蜘蛛のことだ。デカい蜘蛛だ。みんなで囲んでる。デカいといっても、俺たちよりはずっと小さい。やめたらどうかな? という言葉が喉の奥までこみあげてきているんだが、混乱でうまく出てこないんだ。もはやどうしようもないのだという言葉も」
    「何を言っているんだ・・・」 梅坂には、3つ上の階の居住施設のベランダに戸栗の姿がうっすらと見えた気がした。隣には、リドカリの姿も。ひとつ息をのんだ。
    「あの時の蜘蛛は自分とは違う異質な存在で、気味が悪くないといえば嘘だった。ただ、どうだろうか。もし仮に、蜘蛛が飛びかかってきたら。迷わず攻撃するだろうさ。そんな想像をするくらいには、飛びかかってくる恐怖を理性で押さえつけているんだよ。理性的であろうとすればするほど、おかしなことになってくる。それが人間というものだとも思う。けれども! ぐしゃりと潰れた蜘蛛から少ない体液がにじんでこなくて、ホッとしてはいなかったか! 自分の魂を汚さずに危険を払ったことに安堵する心はなかったか!」
    「梅坂、お前はずっとそんなことを考えていたのか」 小さな声が聞こえた気がした。
    叫んで、銃を構えた。居住施設のベランダだ。煙の切れ間に見えたら撃つのだ。自分の魂を汚して、欲しいものを手に入れるのだ。いいや、欲しいものを手放すために、手に入れるのだから、梅坂の手元には何も残らないのだが・・・。
    梅坂にはもはや、分からなくなっていた。ただ、自分の身体がさっきから妙に冷たく、妙にぼうっとするのを感じ、反対に何とか生きなければならないという衝動を心臓が絶え間なく送りだしていた。

    そして、迷わず撃った。
    空薬莢(からやっきょう)が、金属の床に落ちて響いた。

    【投稿者: 20: なかまくら】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      鉄工所

      ウチはリドカリが結構棲んでいるんですよ〜
      たまに腹の上を通過したりして…
      でも、彼等のミッションも立派なので共生しています。

      因みに似た様なゼリーの薬効は?内緒です!


    2. 2.

      なかまくら

      >鉄工所さん
      感想ありがとうございます。理度仮住んでますか~~。腹の上を通過しても軽いから気づかないかもしれないですね。
      私の近所には、その生き物があまり見つけられません。ゼリー、置きすぎかもしれないです(笑