デスクで昼食をとっていると、部下の今村から突然、「今晩晩飯食べに来ませんか」と誘われた。今村とは数年前から家庭ぐるみで付き合いがあり、毎年夏には旅行やバーベキューに行ったりもする。そんな仲とはいえ、突然押しかけて邪魔するのはさすがに気が引けた。何度か断ったが、結局今村の押しに負け、夕食をいただくことになってしまった。
今村の家は長い坂道に沿った住宅街の中腹にある。会社からは坂を下って家に向かうことになるのだが、仕事の疲れか年のせいか、下りであっても足が重く感じる。こりゃ帰りの上りがきついな、とぼんやり考えていたところで、今村宅に着いた。
今村がドアを開けると、「おかえりー!」の声とともに奥さんが現れた。相変わらず化粧が濃く声がでかい。今日は突然すみません、と言うと、
「いいんです!全然!清水さんも遠慮しないで早く上がってください!」
とまたしても大きな声で急かされ、私も今村に続いて玄関に上がった。
リビングに入ると、テーブルにはすでに料理が並べられていた。今日のメインはシチューらしい。今村が背広を掛けてくれるというので、背広を渡して私も席につく。
「どうぞ、召し上がってください!」
と言われ、早速いただこうと下を向いたところで、違和感を感じて顔を上げた。今村と奥さんが、じっと私の顔を見つめている。それもひどく暗い目で。なんなんだ急に...私のとまどいに気づいたのか、2人ははっとすると、また元のにこやかな表情に戻った。
「冷めますから、早くどうぞ!」
と促される。2人は食べないのかと聞くと、
「上司が先に食べてくれないと、こっちも手つけられませんよ!」
と笑われてしまった。会社の飲み会じゃあるまいし、そんなこと気にしなくても、と言いかけたところで、チャイムが鳴った。
出てくるわね、と言って奥さんが玄関に向かう。ドアを開く音がした直後、
「あらあ、清水さんじゃないのー!」
と声が聞こえた。清水?まさか妻か?気になって玄関に向かうと、そこには確かに妻がいた。晩飯を今村宅で頂くとメールで伝えはしたが、妻を誘ってはいない。聞けば今村の奥さんも誘っていないという。どうしたんだ急に、と聞くと、妻は突然、奥さんを睨みあげるように見つめて、
「晩ご飯はうちで間に合ってますから、夫の分は結構です。」
と言った。が、既に料理は奥さんが用意してしまっている。ここまで来て断るのは返って失礼だ。突然来て何を言いだすんだと注意しようとすると、
「帰るよ!」
と強い力で腕をぐいっと引っ張られた。思わずよろけて、上がり框から落ちてしまった。と、今度は反対方向からさらに強く引っ張られた。驚いてそちらを見ると、今村と奥さんが私の腕を抱え込んで引っ張っている。2人とも顔がいやに怖い。妻を睨んでいるのは分かるが、目に光がない。まるでさっき、私が料理を口にするのをじっと見つめて待っていたときと同じような...
「今日は、うちで、いただいて、もらい、ますから」
抑揚のない声で、奥さんが言った。奥さんの手にさらに力がこもる。今村と2人で、絶対に私を放すまいとしている。
ここにきてやっと、何かがおかしいと気づいた。私には前にも同じことをした記憶がある。今村に晩飯に誘われ、家までついて行ったものの、料理を食べようとしたところで妻が現れ、なぜか3人で私を取り合って、その次は...
「行くよ!」
突然の妻の大声で、何かが切れた感覚がした。途端、今村たち2人の手をかなぐり捨てるように振りほどき、急いで玄関のドアを開くと、妻に引っ張られるようにして家の門を出た。
「これで3度目」
呆れるような妻の声を背中で聞いた直後、私の体は坂の上に向かってもの凄い力で押し出された。
気がつくと私は家にいた。目の前には妻の遺影を飾った仏壇がある。観光バス事故が起こったあの日から、今日で3年。一緒にいた今村と奥さん、そして妻は事故で死んだ。あれ以来、毎年この日が来ては、こんな奇妙な体験を繰り返している。今村の家は、そもそも坂の途中なんかにはなかった。
私が黄泉比良坂の伝説を知ったのは、それから数日後のことだった。
コメント一覧
その作家の作品は読んでいませんが、黄泉の国の出入り口か、なんかだったような気がします。
神話では、イザナギが亡くなったイザナミを黄泉の国に追いかけて、逆に追いかけられて、逃げ出して、出入り口である黄泉比良坂を岩で塞いだはず。
ちなみに、聖闘士星矢とか言うアニメでは、ゴールド聖闘士のカニ座の奴が、使う技の名前が黄泉比良坂で、その技を使われると、黄泉比良坂に飛ばされ、黄泉の国に引き込まれるはず。
さて、この作品、死者である今村さん夫婦が、生者である主人公を、黄泉の国に引きずり込もうとする。
しかし、今村さんは、どうして主人公を黄泉の国に引きずり込もうとしたのかな?しかも二人掛かりで。
とにかく、お亡くなりになった奥さんが、今村さんの魔の手から、助けてくれた訳ですね。
主人公は、仏壇を拝まなくてはならないですね!