「あんたなんか、死んじゃえ」(4)

  • 超短編 2,074文字
  • シリーズ

  • 著者: 1: 鈴白 凪
  •  花壇の中で、芋虫らしきものにアリがたかっていた。数十匹の小さなアリが、逃げようともがく芋虫の周りを這い回っている。びくびくと暴れる芋虫は、やがて大人しくなり、観念したように沈黙した。その出来たばかりの死骸を、アリたちがどこかへ運んでいく。その一部始終を、私はじっと見ていた。
     そういえば、朝捨てた蜘蛛の死骸はどうなったのだろう。まだ花壇にあるのだろうか。それとも、今の芋虫のようにアリに運ばれてしまったか。何にせよ、花たちの栄養にはなりそうもないな、と思っていると、上の方からからバシャッという聞き覚えのある音がして、私の上に再び水の塊が襲い掛かってきた。しかも、今度は妙な臭いがする。
     おそらく、雑巾を絞ったバケツの水がかけられたのだろう。死骸を運んでいたアリたちが、落ちてきた水の流れに蹴散らされ、芋虫の死骸はどこかへ流れていった。
     もう頭上を見上げなくても、誰がやったのかは分かっていた。何のためにやったのか、それだけがどうしても分からなかった。
     もはや滴を払う気も、服を絞る気も起きない。屋上に干してある制服がそろそろ乾いているだろうと思い、勝手に掃除を中断して屋上へ向かうことにした。
     下駄箱を開けると、黒ずんだ上履きの上に蜘蛛の死骸が置かれていた。蜘蛛の死骸はぐちゃぐちゃにつぶされていて、上履きは蜘蛛の体液まみれになっていた。思わず私は目を瞑る。
    美奈は、蜘蛛が苦手だったはずなのに。
     グロテスクな上履きを洗う気にもなれず、濡れた靴下のまま廊下を歩く。途中ですれ違った生徒がぎょっとしていたが、私は取り繕う気にもなれなかった。勝手に驚けばいい。勝手に嫌えばいい。そんなの私が気にすることじゃない。
     滴をぽたぽたと垂らしながら、周囲の異質なものを見る視線を受けながら、まっすぐ屋上へと向かう。
     そこに美奈がいた。いつもと同じように、屋上のへりに腰かけていた。その隣には、グレーのバケツが置いてあった。
    「美奈…」
     その言葉に振り向いた美奈は、昼とは打って変わって、笑顔を浮かべていた。無理をしているのはすぐに分かったが、それでも一か月ぶりに見る美奈の笑顔と呼べるものだった。ずっと見たかった顔のはずなのに、この状況においては、ひどく不気味だった。
    「美奈、どうして…。」
    「ねえどうしよう遙。私、気づいちゃった。」
     私の言葉を遮るようにして、美奈が言う。
    「遙の心を折る方法。」
     私には分からなかった。その言葉が、偽りなのか本当なのか。
     美奈は淡々と、干してあった私の本に手を伸ばす。
    「一か月もかかっちゃったけどね。ほんと、手ごわい相手だったよ、遙は。」
    「やめて!」
     つい声を荒げてしまい、はっとする。美奈は、私の反応に満足げな笑みを浮かべていた。そして、手にとった本を大きな音をたてて、何度も破った。
    「どうして、どうしてこんなことするの…?」
    「言ったでしょ?遥の心を折るためだよ?」
     けらけらと楽しそうに笑いながら、美奈は言い放った。
     ──私の心を折る?そのために、美奈は私を攻撃していたの?
     ──何で?私なにか悪いことした?
     ──私だって、私だって我慢して我慢して、美奈のために耐えてきたのに…。
     ──待ってたのに。信じてたのに。
     ぴったりと閉じた貝殻に、隙間ができていく。無理やり押し込めていた貝殻の中身は、もはやとっくに腐っていた。ずっと閉じ込めていたドス黒い感情は、隙間ができた途端、そこから勢いよく溢れ出そうとする。その勢いは、自分ではもう止められなかった。
    「ふざけないで!今まで美奈を信じて我慢してきたけど、私だっていつまでも平気なわけじゃない!そうやって自分を振りかざして、いつもいつも私を振り回して──
     私の貝殻は、開いてしまった。悲鳴のような、残酷な音を立てて。
     ──あんたなんか、死んじゃえ。」
     その言葉が漏れ出した瞬間、美奈の口角がおぞましいほど上がった。にい、と歪な笑みが浮かびあがる。今までの無理に作ったような笑顔とは、明らかに質が違った。しかし、歪に上がった口角とは対照的に、眉尻はひどく下がっていて泣きそうなようにも見える。その奇妙な表情を崩さないまま、美奈の唇はゆっくりと動いた。
    「やっと、言ってくれたね。」
     それは、愛おしさがねっとりと張り付いた、愛の告白のような一言だった。その言葉を最後に、美奈の体は屋上のへりを越え、ゆっくりと落下していく。
     彼女の顔には奇妙な笑みが張り付けられたままだった。耐えきれない苦しみからようやく解放されたような、満足げでどこか寂しげな笑顔だった。
     その姿が見えなくなっても、下の方から何かが潰れるような音と悲鳴が聞こえても、最後に見た彼女の笑顔が、最後に放った言葉が、私の頭にこびりついて離れなかった。





     どれくらいそうしていただろう、彼女がついさっきまで立っていた場所に、何か白いものが落ちていることに気がついた。
     それは、私と美奈が授業中に交換していたような、小さく折りたたまれた可愛らしい手紙だった。ふらふらとそれに近づき、手紙を開く。そこには、美奈の独特な丸っこい字で、こう綴られていた。
    『今までごめんね、遙。ありがとう。』

    【投稿者: 1: 鈴白 凪】

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