天才少女 と 壊れた AI -アイ-

  • 超短編 1,995文字
  • 日常

  • 著者: たかしか
  •  私が生まれたのは豪邸の一室だった。
     私を作った少女は、機械油に塗れた顔で一つ、命じた。
    「手を繋いで」
     私がそろりと右手を差し伸べると、少女も右手を差し出し、手を結んだ。
     二、三度感触を確かめるように私の手を握ると、此方を見上げ、笑った。
    「貴方の名前はAI(アイ)よ」少女は私に名前を与えた。



     少女は毎日私に命令を出した。
    「朝食を作って頂戴」
    「紅茶が飲みたいわ」
    「寒いわ。暖めて」
     私は少女の召使いとして作られたのだと理解した。
    「焦げてるわ、やり直して」
    「これじゃただの色水ね」
    「貴方にも体温があれば良いのに」
     私は日々学習していった。そういう風に作られていた。

     朝食を作るときは火から離れてはいけない。学習した。
     紅茶の淹れ方。茶葉のブレンドから、少女の気分によって何が飲みたいのかまで、全てを記録し、学習した。
     寝る前には少女と手を繋ぐ。学習した。
     少女は外に出かけない。学習した。
     この家には少女一人しかいない。学習した。

     少女はいつも、部屋に籠っていた。
     色とりどりのインクにまみれた、人間であれば「目がチカチカする」と言うに違いない少女の自室。その色が塗料によるものではなく、数々の薬品によるものだという事を私は知っていた。
     少女の行動パターンは実に簡単だった。
     本を読み、何かを作り、眠りにつく。それの繰り返しだったからである。
     もっと細かく言及するのであれば、「何かを作り」の部分は、更に細分化することができる。
     何かを入れ、何かを熱し、最後には決まって爆発する。部屋の眩い色たちは、この過程を経過することによって構成されているのだった。

     それともう一つ。私はよく、少女と会話をした。
    「私はね、この色が好きなの」
    「不思議よね。青と黄色を混ぜると緑になるの」
     私はうまく言葉を返すことができなかったが、それでも少女は私に言葉を投げかけ続けた。
    「全く違う色同士が合わさって、また別の色を作る」
    「不思議ね……なぜそうなるのかしら」
    「……何の意味が、あるのかしら」
     その時、が発した言葉。その言葉は今でも私のメモリーに記録されているが、その言葉の本当の意味を、彼女が本来理解してもらいたかった思いを、この時はまだ理解していなかった。

     今日は彼女の誕生日だった。彼女がぽつりと呟いた言葉をやはり私は記録していた。
    「お父様、お母様。私はなぜ生まれたの?」
     その言葉から、あの日が彼女にとっての誕生日であった、という事を判断したのはそれから数年が経った後だった。それは喜ばしい日である、という事を理解したのは、さらに数年後だった。

    「なによこれ」そう言って彼女は笑った。
     私が差し出したのはおよそ花束とも呼べぬ、数本の花々。しかしそれらは彼女の好きな色で構成されていた。
     彼女の笑顔を見たのはこれで二回目だった。言葉はそっけなかったが、その笑顔は彼女が喜ばしい感情を表に出しているのだということを私は知っていた。

     それからは毎年、彼女の誕生日に花を送った。彼女の部屋は、表情は、心は、色に溢れていった。
     さらに数年後、その年も同じように花を贈ると、彼女は言った。
    「あなたにも何かプレゼントを」
     その日は私にとっても誕生日であった。
     私も誕生を祝われる存在であったことを、その時に初めて知った。

     彼女は私に体温を贈った。彼女に触れると暖かさを感じた。
    「人肌って、良いものだったのね」
     私の手の甲に頬を擦り、彼女はまた笑った。彼女の笑顔の数は、数え切れないほどになっていた。彼女の顔の皺もまた、数え切れないほどに増えていた。

     今日も彼女はいつものように床に入り、右手を差し出した。私も、いつものように彼女の差し出す手を握った。数十年前より潤いは減ったが、暖かさは変わらなかった。
    「AI。命令よ」彼女はベッドの天蓋をひたと見つめながら言った。
    「私が目を覚ますまで、手を握っていて」そう言って彼女は目を瞑った。

     朝になっても彼女は目を覚まさなかった。手の平は徐々に温もりを失い、私の体温だけが残った。微笑むように眠る姿は、今まで記録したどの表情よりも美しかった。

     それが死であると知ったのは昨晩のこと。幾つもの昼と夜が過ぎ、彼女の亡骸に育った大樹の実が地に落ち、朽ち果てたのを見た時。



     私は今も、彼女の手を握っている。
     豪邸が朽ちて野晒しとなっても、
     戦争が起こり辺りが火の海になっても、
     彼女の手が灰となり指輪だけが手のひらに残っても、
     私は彼女の目覚めを待つ。
     
     それが彼女の言った、言葉であったから。



    「AI」

     彼女の声が聞こえた気がした。

    「AI」

     私の身体はもう残っていない。

    「AI」

     私は彼女の為に何かできたのだろうか。

     彼女の寂しさを紛らわせることが出来たのだろうか。

    「AI」

    「おはよう、AI」



     とある星の、とある国。
     郊外の町からさらに離れて、
     そこには一つの壊れたロボット。
     大樹に寄りかかるその姿は、
     もう人型とは言えないだろう。
     動かなくなった彼の足元に、
     小さな双葉が、芽を出した。


    【投稿者: たかしか】

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