無意味

  • 超短編 2,555文字
  • 日常

  • 著者: たかしか
  •  どうやら私の命は残り3日のようだ。悲しくはない。この世に悔いもない。苦しまずに逝けるとの事なので、そこは幸運だったのかもしれない。
     なんにせよ医者とはすごいものだ。誰がいつ死ぬかななどということは神でさえも把握していないだろうに、目の前の医者はあっけなく「君は死ぬ」と言う。どのようにして死ぬのかと聞けば、三日目の朝、寝たままに気づけば死んでいるという。僕は20年とそこそこの年月をこの世に生きてきたが、死を司る神を見たのは初めてだ。死神は白衣を着て目の前に現れる。
    「何か最後にしておくことはあるか」と死神が聞くが生憎自分には死の前後に慌てふためくほどに真剣にこの世を生きてきたつもりはなかった。生きがいもなく、宛てもなく、日々を過ごしてきたがために、最後だと言われてもてんでするべきことが思いつかないのだ。
     ああそうだ、嫁はいないが母親はいただろうか。もうしばらく会っていなかったが、彼女に言葉の一つでも残せばこの死神は満足するだろうか。実家に電話をしてみると、彼女は死んでいた。三年前に心臓を患い、苦しんだ挙句に最期、天井にまで届かん勢いの血を吐いて死んだそうだ。つまりは最後の繋がりであった肉親すらもうこの世にいないということになる。
     僕は余命まであと2日と半分を残してもう手を打ち尽くしてしまった。いや、3日目の朝には死んでいるとの事だから正確には1日と半分になるか。
     病室のベッドでうつらうつらしていると、医者の格好をした死神が時間を告げた。「外でも散歩してきたらどうですか」猫背と後ろ手にメガネを傾ける死神の目の色は灰色だった。生を白、死を黒とするのならば、そのちょうど中間の色合いをしていた。硬いベッドの上でまんじりともしないのも飽きたところだ。
     外は青く、澄んだ空に緑が照らされていた。芝生の上に足を踏み入れ、ばたつかせる。走る。跳ぶ。不思議なことだ、僕はこんなにも元気だというのに死神は背中越しに言葉を投げてくる。「明後日あなたは死ぬんです」「明後日の朝にはころりと布団に転がるのです」
     僕は僕が3歳の時に死んだ犬を思い出した。その犬は死んだと思ってもまだ生きていた。最後の一週間も何をするわけでもなく眠り続けていた。そして動けなくなってから一年して、ようやく死んだ。
     それに比べて僕はなんだいピンピンしている。それでも明後日には死ぬらしい。犬はこんなに動くことができたら何をしていただろうか。ボールでも持って公園に行き、孫子供と戯れた後に死んだだろうか。犬でさえそうだというのに僕はただ外に出ただけでこんなに億劫だ。部屋に戻ろう。外に出たところで動いたところで疲れるだけだ。ベッドから繋がれた命綱を伝うように僕は部屋に戻った。
     病室には一人女がいた「誰だ」と言ったら殴られた。なんでも彼女は僕の知り合いらしい。きーきーとやかましく僕と死神を罵る。なぜすぐに呼ばなかったと僕に、なぜ助からないそんなことがあるかと死神に、それぞれの襟首をつかんでぶんぶんぶんと唾を飛ばす。ああ、喧しいことだ、知らん知らん。布団に潜ろうとすれば彼女に布団を剥がされる。
     その夜女が僕の布団の上で裸になり「抱け」というので抱いた。最中女はずっと僕の名を呼び続けていたが、それが果たして僕の名前だろうかとずっと考え続け、気がつけば女は眠っていた。日は登り始めていた。どうやら僕は明日死ぬようだ。特に悲しくもなかったが、女が泣くのを見て少し泣いた。
     女が帰ると僕は文字を書き始めた。何かを残したかったわけではなく、なんとなく今までを振り返ってみたかったのだ。それでは最初の一文を書く。「僕は後3日で死ぬ」いやまて、それは一昨日の話だろう書いているのは今なのだから文章も今の時系列に合わせるべきだ。つまり「僕は明日死ぬ」
    「僕は明日死ぬ。自殺行為などではない。確かに夢も希望もないこの世にはほとほと呆れてはいるが、自ら死ぬほどではない。第一面倒だ。だがしかし、僕は死ぬ。自らの手ではないとすれば他者の手によって?病原菌とやらを人に例えるとするならそうなるだろう。僕は明日殺される。医者が言うには病原菌に。ならば、その病原菌とは一体何なのかと問われても僕は何も応えることができない。なぜなら全ては医者の格好をした死神に言われたままのことだからだ。1日前に『お前はあと3日で死ぬ』と言われ、それを信じているだけだ。聞けばきっと応えるだろう。だかなにぶん僕には学がないため理解はできないだろう。ならば、僕は誰に殺されるか、なんと呼ばれる病原菌に殺されるか、などというつまらないことに思考を巡らせるのではなく。唯僕は明日の朝死ぬという事だけ把握しておけばいいのだ。そのほうが少ない頭の使いみちも出来てくるというものだろう。」
     ここまで書いて、僕は紙をクシャクシャに丸めた。意味がないことに気がついたからだ。どうせ渡す相手などいない手紙を書くことなど、意味はない。意味などないのだ、生きることには。だからこんなにも死を自然と受け入れられているのだろう。生に意味がなければ、死にも意味はない。ただ、やってくるもの。病室の向かいの壁に丸めた紙を投げつけた。もう一眠りすれば明日になる。明日になれば死んでいる。楽なものだ。苦しむこともなく、自動的に死へと向かう。自殺者には知ってもらいたいものだ、死はどうせ避けられぬものなのだから、自ら首を釣らずとも、寝ていれば勝手に死んでいる。まあ、死んでいるものに手紙を書いても無駄なのだが。
     僕は眠りにつくことにした。無駄に無駄なことについて考えるのはひたすらに無駄なことだと思ったのだ。何も考えたくないので眠る。明日の死を期待して眠る。どうやら僕は死後の世界とやらに期待をしているようだ。今までを死後の世界のことなど考えたこともなかったが、なかなかどうして気になってくる。死の直前という経験は初めてだ。死を体感するのも初めてだ。どの様に視界が変わるのだろう。どの様に意識が途切れるのだろう。それとも意識は途切れず幽霊のように漂うのだろうか。そんなこんなで考えていると、結局時計の針は深夜を指していた。不意に眠気が来た。まぶたの重さに耐えかねて目を瞑ると

    「ああ、なるほど、死とはこういうことなのか」僕は理解をし、死んだ。


    【投稿者: たかしか】

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