「マリーさんはな、こんじまりとした個人なんだ」
室長が口につけたコーヒーカップをカチャリと置いた。
「・・・」
なんと応えたらいいのかわからず、佐々木は沈黙を返した。
街の大通りに面して作られたカフェ。そのテーブルの横に座っているのが室長であった。彼の活躍を人に聞けば、たちどころに口をつぐみ、裸足で逃げ出すというのが世の習わしであった。後には靴だけが残るというのが世の不可思議なところである。
「あるときのことだ。路地裏でお客様が襲われるという事件が起こった」 室長が、急に語りだした。
基本サービスとしては、持ち込みは禁止、というのがうちのホテルの原則。初めから抱えてきた負債は、自らの手で始末を付けて来なければならない。しかし、そのお客様の場合は、政府からの特別なご用命であった。
*
少女の名は、マリー。れっきとした日本人で、太い眉と、黒いゴワゴワとした髪の毛が特徴の小さな女の子だった。彼女は一匹のウサギのぬいぐるみを常に持っていた。フリルの付いたワンピースを着た姿は、写真でしか見たことがないが、それはまるでおとぎ話の中から出てきたようであった。彼女は、優れた洞察力と観察力、そして人を小馬鹿にする態度をもっており、そして恐ろしく賢かった。彼女を住まわせていたホテルの一室は、あっという間に数式と図形で埋め尽くされた。
「新しい部屋を所望するわ!」 彼女は、クレヨンを片手に息巻いてフロントへ現れた。ホテルマン達は、周囲に素早く目をやり、マリーをフロントの裏へ引きずり込んだ。
「あなた! 自分の立場が分かっていますか?!」
「ええ。何かあったら、ホテルマンであるあなたの指が消し飛ぶわ」
今はまだ5本満足な指で元気な拳を形成し、ワナワナと震わせる。
「ゲンコツ!? 世界最高の頭脳に対して、ゲンコツ!? これで、何かあったら、あなたがホテルマンであるこのホテルが消し飛ぶわ」 自信満々に言い放ったマリーの視界で火花が飛んだ!
「あいっ・・・!!」 目を白黒させながら自分に影を落とす人物を見つける・・・と、それが、若かりし頃の寺東室長であった。
「何すんのよーー!! 私に何かあったら・・・」
「そのときは、俺が守ってやる。だから、こっちにこい・・・」
ひょいと持ち上げられるマリー。その瞬間に、マリーの脳裏に思い浮かぶ残酷な未来。
「いやあああ! 助けてー! 天才少女誘拐事件よ! 誰かー!!」
その声に、何人かが振り向くが、寺東室長の横顔を見たものは、その場に靴を揃えて置くと、一目散に出口を目指して疾走する。そして入り口に並べられたスリッパを履くと、通りの人ごみの中へと消えていった。
「いいですか、みなさん! おしりぺんぺんは犯罪です!!」 そう言い残して、マリーは、ホテルの一室に消えていった。確かに、若干、犯罪の匂いがするのだが、整然と並んだ脱ぎ捨てられた靴の存在感の前に霞んで消えた。
*
マリーには、家庭教師を招き、勉強をさせた。興味のおもむくままに彼女は勉強を続け、彼女が保護プログラムで、このホテルに匿われている本当の意味が室長にも理解できるようになった。
「マリー」 室長は、廊下を闊歩している女性を呼び止めた。
「呼び捨てとは失礼ね、寺東さん。私、これでも17才の立派なレディなのよ!」 そういって、手を広げてクルリと回ると、スカートの裾がふわりと持ち上がって、廊下が一瞬、華やかに見えた。初めてここにきてから、8年の歳月がたっていた。
「おっと、これは失礼」 寺東室長は、両手を挙げて、降参のポーズをとった。
「あなたの降参のポーズはそれではないわ」 マリーがやれやれ、と大仰に首を振って見せる。
「だって、もちろんその袖にはスライド式の短銃が仕込まれているんだもの」
寺東室長はクツクツと笑い、マリーはわざとらしくため息をついた。
「ほら、マリーさん。言ってごらんなさい!」 マリーは、いたずらな顔をして、それを求める。17才となり、自分の立場、目の前の、兄のように慕ってきた男の立場というものが見えるようになっていた。
「やれやれ、降参だ。マリーさん、なんなりと」 寺東室長がそう言うと、マリーはにっこりと笑った。
「私に外の世界を案内して頂戴」
*
ホテルマンを何人も配置し、厳重な警備だった。そんな中でのショッピングを彼女は楽しんだ。そして、一瞬の隙をついて攫われた彼女。路地裏で、彼女は襲われた。
無事だったことだけが、何よりの幸いだったが、その過程で、一人の男が撃たれた。それが佐々木という男だった。最初のカフェで出てきた男であり、いま語っている・・・これは俺である。そう、室長が眺めているのは写真だが、俺は、生死の境をさまよい、いま写真に乗り移っていたのであった。たぶん頑張れば写真の口元を少し動かすことだってできるはずだ。
「マリーさんは、ごく普通の女の子なんだよ。そうやって扱ってやれないこと、生きていけないことをどうしてやれるだろうか」 寺東室長は、そう言って、コーヒーに口をつけた。俺は、写真ごしに室長を眺め、なんと応えたらいいのかわからず、佐々木は沈黙を返した。
*
そのときだった!
「室長!」 後ろから血相を変えて、ホテルマンがカフェに入ってくる。
「た、大変です! あの小娘が!!」
「マリーがどうかしたのか」 室長は、立ち上がると同時に歩き出し、カフェの扉を大きく開いた。そこでふと気づく。ホテルマンの顔は、どちらかといえば、怒りに振り切れている。
「いえ、それが、その・・・「ようこそ1号」が・・・」
「はい?」 室長の素っ頓狂な声を聴くことができたのは、後にも先にも今のところ、この時だけだ。
マシンガンの一斉掃射が行われる中、動じないにこやかな顔。
「ようこそ、ようこそ、ようこそ・・・」
「な、なんだこれは・・・」 室長のうめき。
「あ、寺東さん!」 立てた丸テーブルの後ろ側に、マリーの姿があった。
「あー、これはいったいどういうことかな?」
「あっ、ちょっと、失敗しちゃって・・・ホントはね、もう誰も傷つかなくていいようにって、ガーディアンロボをと思って作ったんだけど、AIが、暴走しちゃって・・・てへ!」
「後で、おしり洗って待ってろ・・・」 寺東室長の完全に犯罪にしか聞こえない発言に、しかし、その瞬間に、マリーの脳裏に思い浮かぶ残酷な未来。
「ひえっ・・・」
続くマシンガンの掃射。何人かは裸足で逃げ出した。
俺・佐々木は幽体を活かして、決死のロボ乗っ取りを敢行しようと準備運動を始めた。
最前線にいるホテルマンの一人が撃ちまくりながら悲鳴を上げる。迫りくる笑顔。
「室長! 『ようこそ』が止まりません!」
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