夏の暑さも迫り、入学式直後の緊張が桜と共に散るころには、教室には新たな生態系が作られている。
短いスカートはナイフの切れ味、囲まれ囁かれる陰口は銃の撃鉄を起こす音。
人間が動物らしくその場所では生きる。社会生活の抜け穴を学び、競争意識は劣等感となり鈍器の重さを帯びる。
人は武器を持つ、獣には牙と爪、なら虫は何を持てばいい?
朝起きて、「おはよう」と両親に挨拶をする。母は焼きじゃけと卵焼きと数品の冷凍食品をお弁当に詰める。
父は新聞紙に顔を埋めながら、最小限の動きで返答してくれた。
トーストを砂糖多めのコーヒーで流し込み、靴を履き、新品かつ傷だらけの鞄を背負い、家を出る。
通学路、身体は縮む、羽が生える、蝶に成れればよかったというのに、それならば羽音もしないだろうに。
蝶ならば死んでも美しかろうに。
足は浮き、小さな羽音が僕の全てとなる。後ろからバッファローが群れて走り抜ける。身体を浮かしやり過ごす。
騒音が羽音をかき消す、彼らが近くにいる間、僕はこの世界にいないのだ。
門をくぐる。下駄箱、横を見る、二つ隣に何かの吐しゃ物のような粘液を持つ液体がかかった靴を見て立ち尽くす蝶がいた。
彼女は美しすぎたのだろう。
真ん中は決して歩かず端を歩き教室へ、猿と犬あるいは人、僕の机に座り吠えたける。
羽虫は荷物をこっそりおき、自分の羽音すら出さないように、ひっそりとトイレへ向かう。
個室に入ると、次の瞬間にはレッテルを張られるので適当に見えない角度の小便器の後ろで時間を潰す。
吐息が漏れる。それが僕の羽音。
ベルが鳴る。60秒前に教室に戻る。猿も犬も人の皮を被っていた。
羽虫の席の左後ろの蝶の席に下品な印がマーキングされていた。
朝礼、気をつけの声、彼女だけは立たず俯いていた、教師が声をかける、心配した様子の
人の皮を被った蛇が這いより、声をかけながら自分の袖で印を消しているのをみた。
静かな教室、少しだけ、小さく聞こえる僕の羽音と密やかな嘲りの笑い声。
教師がもう一度声をかける。蛇が蝶の足を踏みながら、保健室に連れて行くと宣言した。
ついでに、こいつが今したことと下駄箱のことを声に出す。いないはずの羽虫の声。
凍る教室、激昂する蛇、観察している犬と猿。
多分この後僕は潰されて、羽をもがれてズタボロで、それを想像してみても、多分今とそれほど変わらない。
つまり、単純な話である。本当に本当に辛いから叫ぶのだ。それを見過ごす虫で居続けることを僕は我慢できなかったから。
蝶はしばらく後に僕を嘲る獣になった。それが楽だったのだろう。
ただ僕に陰口の銃を突きつけたかつて蝶だった彼女は、とても悲しそうだったから、僕はそれでいいよと、
人間らしく言って、そう言えた僕を誇らしく思った。
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