文字の降る町

  • 超短編 1,100文字
  • 日常

  • 著者:1: 3: ヒヒヒ
  • 5年に一度の頻度で、黒い雨が降る。

    文字の雨。

    本屋は店を閉め、家族総出で字を集める。

    地に落ちて踏まれた文字は売れないから

    バケツとシートで作った特製の文字取り器を

    街のあちこちに仕掛けて回る。


    雨合羽をかぶって、雨の町を走る本屋の家族。

    そのうちの一人と目が合った。

    フードに半ば隠れた、切れ長の瞳と

    墨のような長い髪。


    本屋の長女は寡黙な子で

    暇さえあればいつも文字を紙に貼っていた。

    幼いころ、店の本から勝手に文字を盗って

    自分のノートに並べたことがあるそうだ。


    一度だけ、彼女と話したことがある。

    中学の時、国語の課題で調べものをしたとき

    ふとした気まぐれで、漢字の図鑑を手に取った。

    石に、木に、紙に、あるいは人体に

    古代人が刻んだ文字の群れ。


    ただの線でしかないのに

    ただの線ではありえないもの。

    ずっと見つめていると、声をかけられた。


    「字、好きなの?」


    何と答えたのかは、覚えていない。

    図書館の真ん中、紙とインクの匂いの中で

    椅子に座り、本を持って、話をした。


    「文字は変だ。

     普通、生き物が絶滅するとしたら滅ぶのは天然の方。

     なのに文字は、人工の方が滅んだ」


    今では、すでにある本をバラバラにするか

    何年かに一度降ってくる文字を集めるか

    そのどちらかでしか、文章を作れない。


    「書く、と言う文字がある」と彼女が言った。

    彼女は人差し指を口に含むと

    その先の皮膚を噛み切った。

    白い指をノートに押し付けて

    赤い血で線を引く。


    横の線は八本。

    縦の線は三本。

    彼女はきわめて正確に線を引いたのに、だけどそれは、ただの線だった。

    文字ではなかった。


    人がなぜ、字を書く力を失ったのか。

    理由は知られていない。

    もともとそんな力はなかった、と言う人がいる。

    平成時代に残された、おびただしい量の文字作品。

    それらは実は全て天然の文字で作られていたのだと。


    切れ長の目の、寡黙な娘は黙って首を振った。

    「書くという字は、欠くと同じ音で読む」

    だから? と聞くと、彼女は、ノートの紙面を撫でた。

    「あの時代、人々はいつも文字を書いていた。

     それ以前に生きていた人たちが一生かけても書ききれなかった量の文字が

     たった一日で書かれて、ろくに読まれることもなく消えてった」

    図書館の真ん中、文字が取り巻く輪の中で、彼女は自分の引いた線を眺めていた。


    窓の外を見ると、文字はまだ降っていた。

    雨合羽姿の本屋の家族が、あちこちで文字を集めている。

    集めた文字を一週間かけて分別して、並び替えて

    小さな袋に詰めて売る。

    それを文章好きの人々が買って

    またしばらくの間、本屋に新刊が並ぶ。


    だけど、他人が書いた本を、彼女が読むことはない。

    彼女は今も、白い指で、空白をなぞり続けているのだろう。

    欠けたものの埋め合わせを探して。

    【投稿者:1: 3: ヒヒヒ】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      鉄工所

      2次元の交差文字で何か書けないかと思った事があります。

      しかし、これを読んだら3次元に立体文字のイメージが…

      文字の可能性はまだまだ有りそうで〜

      追伸
      文字の川は凄そうですね。


    2. 2.

      ヒヒヒ

      鉄工所さん感想ありがとうございます。
      交差文字は面白そうですね。縦にも横にも読める言葉。単語なら簡単そうですが、文章となるとどうなるか……。
      街を覆いつくす文字の濁流! かっこいい。それも書いてみたいですね。


    3. 3.

      なかまくら

      文字は人工物か、天然物か・・・。
      面白い発想です。文字を文字と読み取るって、すごく不思議ですよね~~。