「わたしたち、終わりにしようか......」窓の外を見ながら、あいつがポツリとそうつぶやいた。僕の顔をチラリとも見ずに、そして無表情に......
決意は固いのか、まだ迷いがあるのか、ほんの気まぐれで出た言葉なのか、僕にはあいつの横顔からは何も見て取れなかった。
あいつは「結婚」という2文字にまだ踏ん切りがつかない僕に痺れを切らせたのだろうか。だけど、ふたりの将来についての話しを先送りにしている僕だって、このままで良いとは思っていないさ。
もうちょっと、もうちょっとだけ仕事にも自分にも自信がついたら僕はあいつにプロポーズするつもりだった。そんな矢先の唐突なあいつの言葉に頭の中が真っ白になった。
「少し外で頭を冷やしてくる」僕は部屋を出て、何処に行くあても無く、真冬の夕暮れの街を歩きだした。外の風は冷たく、空は今にも泣き出しそうにどんよりとしている。
東京の外れにある中学校で2年間クラスメイトだった僕達は何故かいつも席が近かった。不思議と気が合い、音楽や小説、映画やテレビドラマの好みも一緒で、休み時間にはいつもそんな話で盛り上がっていた。
「お前達さあ、そんなに仲が良いんなら付き合っちゃえば?」
「うーん、この人と話していると楽しいけれど恋愛対象はべつかな」クラスメイトにからかわれるたびにあいつはそんな事を言っていた。僕は満更でも無かったんだけれどね......
中学卒業後、僕達は別々の高校に進学した。卒業後の1年間くらいは、時たま電話で近況報告や他愛の無い話をしたけれど、時が過ぎるとそれぞれの友達が増えたりして次第にその回数も減り、いつしかあいつの存在が僕の頭から離れる様になっていった。連絡も途絶え気味になり、ふたりとも部活も忙しいそれぞれの高校生活を送っていた。
僕たちが付き合いだしたのはふたりが25歳の夏頃からだ。街で偶然に会ったあいつは、思っていたほど昔と変わっていなくて、なんとなく僕はホッとした。その時、あいつも僕を同じ様に感じたらしい。話し始めると、すぐに気の合う昔のふたりに戻った。それからちょくちょく連絡を取り合い、自然な流れで付き合う様になり一緒に暮らす様になったのだ。
最初の出会いから15年以上の月日が流れた。僕はこのままあいつと結婚する事が自然な流れなのだと漠然と考えていたし、あいつも同じ想いでいると信じていた。僕の仕事に対する気持ちもあいつは理解してくれているとも思っていた。けれど、気がついたらふたりとも、もうすぐ30歳になるところまで来てしまった……
想いを巡らせながら歩いていると、頬に冷たいものがハラリと触れる。見上げると、ほんの少しだけど雪が、今年の初雪が舞っている。ぼんやりとその雪を見ていると、あの場面の記憶が僕の中で蘇えってきた。
それは中学2年の2学期がもうすぐ終わる冬休み前、12月のある日のことだった。休み時間に窓の外を眺めていたあいつが急に大きな声で叫んだんだ。
「あっ、雪だ! 雪が降ってる!」別に雪なんて珍しくもない、他のクラスメートはさして気にも留めなかった。
「ねえねえ、雪だってば、雪が降ってるよ!」あいつは子供のようにはしゃいで、僕の手を取り窓のそばまでひきずり寄せた。
「なんだよ、雪なんて珍しくねーじゃん」それは、すぐにやみそうな、ほんのチョッとの雪だった。
「はつゆき……」あいつは小さな声でポツリとそうつぶやいたんだ。
「ああ、そうだね、今シーズンの初雪だね」
「違うの。そう言う意味じゃなくってね、私、生まれてはじめて見るんだよ、本物の雪!だから私にとっては人生の初雪なの!」
2年生になる時に雪が降らない南の県から転校して来たあいつ。転校の理由は両親の離婚だった......
いつも明るく振舞っているけど、時たまふと寂しそうな表情を見せるあいつ。
「ねえ、また降るよね雪。今度いつ降るのかな……」すぐに降り止んだ雪の空をいつまでも楽しそうに見つめていたあいつ。(こいつの嬉しそうなこの笑顔をずーっと見ていたいなぁ)あの時、僕はぼんやりとそう思ったんだ......
僕のオヤジが死んだ時も、仕事をしくじって落ち込んでいた時も、あいつはいつもそばに居てくれた。あいつが辛そうな時は僕がそばに居た。あいつのわがままは何故か許せてしまい、それが全然苦痛じゃない。僕のわがままもあいつはそれとなく受け止めてくれる。映画を観る時も、大好きなイタ飯を食べる時も、あいつがそばに居ないと何だかつまらない。
いつもそばに居てくれる事に当たり前のように甘えていた僕。ちらつく初雪を見ていたら、中学の時に見たあの横顔を思い出し、僕の胸の中でのあいつの存在を再認識した。そして僕は決心したんだ。今のこの気持ちを大切にして、それをあいつにぶつけようと。
部屋に戻ると、あいつはまだ窓の外を見ていた。
「ただいま。なあ、雪降ってるぞ」
「うん、ずっと見てたよ……」
「一緒に見ようか、今年の初雪」
「えっ?あぁ、うん......」あいつはちょっと怪訝そうに、戸惑いながらそう答えた。
僕はあいつの隣りに座り、一緒に窓の外を見ながらそっと肩を抱き寄せた。
「これからもさあ、毎年ふたりで見ような、初雪」
あいつは、はっとした様子で僕を見つめた。そして、初めて雪を見たあの時とまるで変わらない、とびっきりの笑顔で大きくうなずき、僕の胸に顔を埋めた。 fin
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