むかしむかし、欧州や亜細亜(アジア)に暮らすヒトは、水平線や地平線のはるか彼方(かなた)には、自分たちと同じヒトが暮らしているなんて夢にも思わず、廻りに暮らすヒトだけがこの世に生きていて、それがすべてのヒトであると考えていたかもしれない。
広大な丸みを帯びた海の向こうに見える水平線、砂塵が舞い踊る砂漠に見えた地平線、その先には切り立った崖があり、たどり着くと地獄の底に落ちてしまい、永遠の業火に身を灼(や)かれてしまうと信じていたのだろう。
でも、ヒトは時代の制約を突破し、旅を始めた。
永遠の業火とは、どのような現象なのか。
地獄に通じる崖から身を乗り出し、自分自身の目で確かめたい。そのようなヒトが”むかしむかし ”に登場した。
好奇心に突き動かされたヒトは、長い長い旅を続けながら、どこまで行っても地獄の崖は見つからず、地獄の業火にもめぐりあえず、気づけば、自分と同じようなヒトが大体同じような生活をしている村落に何度も入っていること、言葉がまったく通じなくて戸惑いもあったが、この世はなんて広いのだろう、なんてことを実感を持って驚嘆する。
おそらく三蔵法師が、大唐の長安からインドへ行く前、マルコポーロがイタリアのベニスから北京にたどり着くよりは、ずっと何千年も前から、無名のヒトは、灼熱の砂漠を越え、氷雪に閉ざされた山脈を越えて、旅をしていたのだろう。
ヒトの内面にある好奇心とは、恐ろしくもあり、かつ、すてきな習性とも言える。
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