あなたの好きな世界

  • 超短編 1,874文字
  • 同タイトル

  • 著者: ミチャ寺
  • 海に行きたいと、姉ちゃんは言った。

    * * *

    「海って……今?」
    「そう、今、海に行きたい。幸弘ってもう免許取ってたでしょ?連れて行って?」
    作家をしている姉の亜紀は、時折突拍子もないことを言い出す。
    今回は、さて夕食は何にしようか、と冷蔵庫の中を漁っていた瞬間のことだった。
    「……良いけど、寒いよ?」
    「寒いから、良いのよ」
    分からないなぁ、と言いつつ、冷蔵庫を閉めて外出の準備をする。
    今年は寒くなるのが例年より早くて、もはや秋の順番を飛ばして冬が来たような感覚だった。
    「ちゃんとコートとかマフラーも持って行くのよ?きっとそうとう冷えるから」
    「言われなくても。エンジン温めてくるね」
    海辺まで行くとなると、それこそ真冬のような寒さが待っていることだろう。
    エンジンをかけて、車内の空調を暖房にする。こいつはいざというときの寒さシェルターになることだろう。念入りに温めておかなければ。
    「あ、幸弘。コンビニ寄ろう?肉まん買いたい」
    「自由だなぁ。了解、了解」
    海に行く前にコンビニで肉まんを2つ購入。上京するまで知らなかったけれど、関東のコンビニでは肉まんに酢醤油がつかない。
    「不思議よね、同じ日本なのに」
    「関西の方が調味料の発達が早かったから、だっけ?」
    「諸説あるけどね。…せっかくだし酢醤油を別に買っちゃおうか?」
    「ダメだよ、予算オーバー」
    予算なんてものは無い。
    海辺は予想通り、いや予想以上に寒かった。肉まんの入ったレジ袋を頰に当てて暖をとる姉ちゃんを見て、コッソリと真似をする。
    「カイロって、食べられるようになったら良いと思うのよ」
    「また、唐突だね。どうして?」
    「だって使った後は捨てちゃうでしょ?勿体無いなぁっていつも思ってた。でね?この前コンビニで肉まん買ったときに思いついたの」
    「肉まんみたいに食べちゃえば良いんじゃないかって?」
    その通り、と言わんばかりの表情で、姉ちゃんは僕を指差す。
    「原理的に無理じゃない?」
    「そこはまあ、理系の偉い人に頑張ってもらって…」
    「うわぁ、すごい他力本願」
    海に着いても、姉ちゃんは何をするでもなく僕と話している。他愛ない会話をするだけなら、わざわざ海に来なくても自宅で事足りるだろうに。
    流石に寒くなってきた。
    「そろそろ車に戻らない?寒くなってきたのですが」
    「うーん、肉まん食べてから」
    おー、ほっかほか。と肉まんを取り出す姉ちゃん。指が寒さで少し震えているというのに、それでも海風に身をさらすつもりだろうか。
    「車の中でゆっくり食べた方がいいと思うけどなぁ」
    「寒い中で食べることに意味があるのよ。コタツの中で食べるアイスと同じ」
    「ロマン補正?」
    「そんな感じかなぁ」
    はふっはふっ、と肉まんを頬張って、ずいぶん美味しそうに食べている。僕も促されるまま肉まんを口に運んだ。
    「この寒さもネタにするの?」
    「したいなぁ。この肉まんの美味しさを読者に伝えたい。私、基本ファンタジー書かないからきっとみんなマネするよ」
    「社会現象になっちゃうね。『冬の海に行くという奇行が大流行』」
    「その勢いで風邪が大流行しちゃうと私の責任になっちゃうのかな。やっぱり書くかどうかはちょっと保留で…」
    肉まんを食べ終わって、ふと海を眺める。まだ肉まんの熱が体内に残っているからだろうか、少しの間冷たい潮風が心地よく感じた。
    「……そういえば、さ。姉ちゃんはどうしてファンタジーを書かないの?」
    「どうしてって?」
    「読んでる本は大体ファンタジーだったじゃん。てっきり書く本もファンタジー系になるのかと思ってた」
    あぁー…そのことか、と言ったようにクスリと笑って、姉ちゃんは残った肉まんのカケラを口に放り込む。
    「……この世界が、好き過ぎるからかな」
    「世界が?」
    「ファンタジーを書いてる人が現実嫌いだぁって言いたいわけじゃないんだよ?単に、私が現世オタクなだけ」
    ものすごい言葉が飛び出てきた。現世オタクって……
    「この世界にはさ、面白いことと、楽しいことが思ってるより転がってるものなのよ。現に、今こうして寒い海辺で悠々と肉まん食べてるのも楽しいでしょ?
    寒いよーって言いながら熱いもの食べるって、くだらないけど楽しくて、幸せな気分になる。
    そういうところが大好きだから、きっとファンタジーまで手が伸びないんだね」
    「楽しくて…幸せ……」
    自分が今、まさにそのくだらなくて面白いことをしていることに、改めて気がつく。
    姉ちゃんの誘いを断ろうと思えば簡単に断れただろう。元々この人は押しの強いタイプなわけではない。
    それでも僕がついて行ったのは、僕が、姉ちゃんの好きな世界が大好きだからかも知れない。

    【投稿者: ミチャ寺】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      なかまくら

      おお!
      舞台っぽい感じですね。途切れることなく丁寧にお姉さんをおっていて、「いま楽しいことをしているんだ」のあたりでその魅力に、読者も一緒に気付く。
      良作でした。


    2. 2.

      けにお21


      ファンタジーは、読者を、独特の世界観に引き込み、リズムに乗せなきゃならないから、とても難しいジャンルですよね〜

      リアルも十分楽しく、姉はリアルな世界が好きで描いているってことですね〜


    3. 3.

      ヒヒヒ

      肉まん買いたくなりました。

      そこらに転がってる面白さ、それを拾い上げる力のある人っていいなぁ、友達として楽しいだろうなぁ、と思って、ちょっと憧れます。


    4. 4.

      ミチャ寺

      なかまくらさん、コメントありがとうございます。
      挙動豊かな人物を描くのって、一度書き始めると止まらなくなっちゃうくらい楽しいです。今回はその手を止めずに走るまま書いてみました。

      けにおさん、コメントありがとうございます。
      ファンタジーの世界観は一度読み手に飛び込んでもらえれば広げやすいですが、一度入り口付近でその世界での常識を理解してもらう必要があるというのが大変ですよね。
      でも書きたくなるのが、ファンタジーのロマン(笑

      ヒヒヒさん、コメントありがとうございます。
      「視点や考え方を変えると見えてくる世界が変わる」と頭では分かっているのですが、実行するのは難しいですよね。
      最近自分の貯蔵ネタが枯れ気味なので、新しい視点を模索中です。