みっつの涙

  • 超短編 2,994文字
  • 同タイトル

  • 著者: 20: なかまくら
  • 教室で、肘をついて聞いている私。もうすぐ死ぬ。こっちを見る先生。あっと言う間に死んでもらうことになる。先生だけじゃない。世界中の人間は、もうすぐ死ぬ。親友の鞆ちゃんも、私によく吠えついてくるブランドンも、みんな、みんなだ。



    「お迎えにあがりました」
    ガスマスクに背広、そしてゴーグルという完全に怪しい石田さんがいた。最早ギャグでやってるとしか思えない。いや、そうなのだ。この石田さんは、この危機的状況を和ませるために派遣されたに違いない。意味が分からなかった。
    「えっと、あのさ」 私は、怒りにも似た笑いをこらえながら後ずさる。
    「ルイちゃん! 一緒に途中まで行ってもいい?」 振り返ると、鞆ちゃんが膝に手を当てて大きく息をしていた。ガスマスクが苦しそうだ。
    「うん、一緒に帰ろ」 私もくぐもった声で答えた。

    扉を開ければ、トンネルだった。
    「行きの通路、使えないの?」 いつもと違うコースだった。
    「ブランドン、悲しむね」 鞆ちゃんが隣を歩いている。
    「・・・浸水です」 石田さんがボソリと答えた。
    鞆ちゃんが立ち止まる。私の足も止まっていた。
    「またなの!?」 叫んでいた。それは随分と遠くまで響いたように感じた。



    あの日、南極で何かが見つかったらしい。それを奪い合ったとも、それを破壊するために、各国がコバルト爆弾をこぞって撃ち込んだとも言われるが、少なくともその結果、蒸発した氷塊は猛毒の雲となり雨となり、降り注ぐことになった。政府は、洪水対策用の地下水路を国民に開放したが、老朽化も進んでいた。水がしみ出せば、隔離、隔離、そして隔離・・・。

    「追い詰められたネズミだよね、私たちってさ」 鞆ちゃんの声でハッとする。
    通路に声はもう響いていなかった。鞆ちゃんがブランドンの死を悼んでいる。一方私は怒っていた。私の父は、何をやっているのだ。首相第一秘書とはその程度なのか。その程度なのだ。ああ、そうだ。娘を放り出し、何日も帰ってこない。離ればなれになって行方不明の母も探し出せない父親だ。それが、この国の、一番前のほうを走っているのだ。

    「ねえ、石田さん」 私は呼ぶ。
    「なんでしょう」
    「もう、皆死ぬよね」 私はため息をついた。諦めてはいけない立場なのに。
    「お嬢様、とにかくこちらへ」 そう言って私を小部屋へと引っ張り入れる。
    「ねえ、死ぬんでしょ」
    「それは・・・」
    「私、調べたんだ。ウランの半減期って7億年なんでしょ?」 隣で鞆ちゃんが息をのむ。
    「お嬢様、しかしですね、ウランの大部分は爆発時に崩壊しているので・・・」
    「でも、死の灰は降ったのよね」 空は確かにどす黒い雲に覆われたのだ。
    「降りました、ですが・・・」
    「放射性物質には催奇性があるって聞いたわ。頭が2つある人間とか、脚が3本ある人間とか、これから生まれるんだわ」
    「確かに生まれるかもしれません・・・しかし・・・!」 石田さんの顔が真っ赤になっていた。事実なんだ。図星をつかれると、人は真っ赤になるんだ。私は私を止められなかった。誰も教えてくれなかった。私も、首相第一秘書の娘として、やれることがあるのではないかって、調べた。調べれば調べるほど、闇は拡がっていった。膨れあがった闇は、もう自分の中に押しとどめておくことは、出来なかった。
    「だから、もう、みんな死ぬんだよね!」
    「ルイちゃん!」 鞆ちゃんが私を抱いていた。温かかった。鞆ちゃんがいると、私は少しだけ落ち着いていられる。目を閉じようとして、涙が大きく零れて頬を伝っていった。
    「大丈夫、大丈夫だから・・・」 祈りのような言葉。鞆ちゃんの身体も震えていた。

    「我ら、チクワの子。“地上の 苦しみから 分かたれん” 安心してください」 石田さんも落ち着いたのか、胸につるした筒のようなモノを握って、そんな意味不明なことを言っていて、私は少し笑えた。



    その後、野生化した犬が地下に押し寄せ、その駆除と狂犬病の隔離によって、人はさらに減った。学校に来る人も日に日に減ったけれど、私と鞆ちゃんは欠かさず通った。きっとそれはおかしくならないための儀式だったんだ。
    ある日、首相による緊急発表が行われた。それは、宇宙船による脱出計画だった。『落涙』『涕涙』『浄瑠璃』の3機の宇宙船にて、テラフォーミングが進む火星を目指すこと。燃料には限りがあるため、ホーマン軌道を通り、約8ヶ月の旅になること。すべての人間を連れて行くことは出来ないこと。コールドスリープの適正のない人間は抽選から外れることが発表された。
    「いい名前だよね」 鞆ちゃんがそんなことを言った。
    「え?」 ニュースを一緒に見ていた私には意味が分からなかった。
    「宇宙船の名前」
    「そうなの? 私、本とか読まないからなあ・・・」 降参、とばかりに手を振って見せた。
    「涙ってさ、目に入ったゴミを洗い流すんだよ」
    「うん・・・」 たぶん、それはゴミだけじゃない。行き場を失った感情だって、溢れるんだ。私はあのときのことを思い出していた。鞆ちゃんがギュッと抱きしめて、大丈夫だと言ってくれた、あの出来事を・・・。

    「だからさ、涙に載って、この地上の苦しみから分かたれん、とするんだよ。私たちは」

    「・・・ええ?」 私の記憶にチリチリと何か一瞬、亀裂が走った。
    「だからね、我ら、チクワの・・・」 そう言う鞆ちゃんの、胸の辺りに握られた手には、
    手には、筒のようなモノを握っていた。
    「かして!」 奪うようにそれをつかんでじっと見る。それは、少し茶色く焦げた後のある・・・白い練り物を樹脂で作ったモノ・・・。
    「チクワの子なの、私。石田さんに誘われて、チクワの子になったのよ。私は助かるんだわ。あなたの席はきっと最初からお父さんが用意してる。・・・だから、私たち、またずっと一緒にいられるね」 鞆ちゃんの声に、心がざわめき続けていた。
    「違う・・・こんなの、間違ってるよ。間違ってる!」 私にはどうすることも出来なかった。親友の鞆ちゃんの相談に乗ってやることも出来なかった。一緒にいたのに。おかしくならないための儀式を毎日ずっと、一緒に繰り返していたのに。なのに、いつの間にか、鞆ちゃんは、おかしくなっていたんだ。いや、ちゃんと順応していったんだ。現実に向き合っていたんだ、私と違って・・・。
    「・・・ねぇ」

    そのときの私は、なにもかもがグチャグチャだった。だから、私は誰も彼もを失って、追い詰められたネズミのようだったのかもしれない。ネズミが隙間に入り込んで、何もかもをめちゃくちゃにして、最後に猫を噛むように・・・。

    結論から言うと、私の反抗は失敗した。気が付いたときには宇宙船の窓から外の景色を眺めていたし、扉には外から鍵がかかっていて軟禁状態だった。当たり前だ。もう一機の脱出用宇宙船の存在を暴露し、ハリボテで動かない『浄瑠璃』に政府要人をすべて残すチクワの計画を公表し、そして、父をチクワから解放するつもりだった。あのとき、
    「お父さん!」 宇宙船のデッキからこちらを眺める父の顔。疲れた顔だった。久し振りに見る顔だった。その顔のまま、胸に下げた筒を口に当て、音のない笛を吹いた。途端に四方八方からガスマスク達が現れ、私は意識を失ったのだ。
    「さて、まずは鞆ちゃん、それからお父さん・・・かなぁ」
    私はティッシュペーパーを耳に詰めて、胸に下げられていたチクワのひもを引きちぎった。
    出来るかは分からない。無理かもしれない。

    だけど、諦めたくはなかった。

    【投稿者: 20: なかまくら】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      でんでろmk2

      うぅっ、私が勝手に産むだけ産んで、なかまくらさんに押し付けて姿を消してしまってから、どれだけの週日が過ぎたでしょう?

      こんな、こんな、立派でたくましい子に育つなんて!

      なかまくらさん、ありがとう。


    2. 2.

      なかまくら

      >でんでろmk2さん
      感想ありがとうございます。いつも自分の都合のいいように、書きやすいように書いているものですから、
      やっぱり書きやすいように書いてしまった感があります。
      本当は、田倉見の高度な政治的駆け引きとか、描けたら良かったのですが、その筆力はまだありませんでした・・・^^;
      それに気づけたこともいい勉強になったなあと、思いました。ありがとうございました。


    3. 3.

      鉄工所

      ルイちゃんは

      泪 の ルイ だったのですね〜

      最後のシーンは
      飛行機に搭乗時にある、非常時の説明に於けるフライトアテンダントのジェスチャーに見えてそれらが…払拭出来ないです…


    4. 4.

      なかまくら

      >鉄工所さん
      感想りがとうございます。フライトアテンダントのジェスチャーですか。意図してなかったですねえ。あの、救命ボートで吹く笛ですよね。確かに面白い解釈です。

      あ、あとルイちゃんはミスリード、狙ってました('ー ' *)