彼女は、自分が泣く理由が分からない。
* * *
「奏、なにか悲しいことでもあった?」
俺が家に帰ってきたとき、たまに恋人の奏は泣いていることがある。
なにか嫌な事でもあったのかと思ったが、本人は不思議そうに首を傾げた。
「思い当たる節は無いです」
自分の涙の理由が分からないとは何とも不思議なことだが、彼女は本当に分からないらしい。
「ただ……2つ目なら心当たりがあります」
「2つ目か…どこが痛いんだ?」
「先ほどタンスの角に足の小指をぶつけました。今も少しジンジンします」
おっと、痛いやつだ。
「それだな…痛かろう」
「やや……」
奏の言う2つ目とは、俺と奏がまだ付き合い始める前、よく話すようになった頃奏に提案した『3つの涙』の法則に則った意思表示だ。涙を流す理由は大きく分けて3つ。1つ目は辛いこと、悲しいことがあったとき。2つ目は痛い思いをしたとき。3つ目は、嬉しいことがあったとき。例外としてあくびと目薬などもあるが、それは割愛している。
『3つの涙』を提案したとき、奏は目を輝かせて俺の話を聞いてくれた。
奏自身も悩んでいたのだろう。自分がどうして泣いているのか分からないという感覚は俺に理解することは出来ないが、きっとすごく不安になるのだろう。
その悩みを打ち明けられ、どうにか慰めようと提案したその時も、少し涙を零した。
「……今のは、なんとなく分かりました。3つ目、ですね」
泣いているからか、少しぎこちない笑顔になった彼女を見て、おそらく俺は初めて異性として意識していたことを自覚した。
コメント一覧