時は2040年。とある地下シェルターに、小さな女の子がお父さんと二人で暮らしていました。女の子はもともと首都に住んでいたのですが、とある事情でそこを締め出されてしまって以来、もう何年もシェルター暮らしを続けているのでした。
「ねぇパパ」ある日女の子は聞きました。「わたしはお家に帰れないの?」
お父さんは首を振りました。「そんなことないよ。いつかきっと帰れる」
「じゃあ、どうして家から追い出されちゃったの?」
「手違いがあったんだ」
戦争が終わったのは五年前のこと。父親は、戦時中にはぐれた妻を探すために、女の子を連れて無許可の救助活動をしていたのです。
ですが二人が家を離れている間に、首都で大きな政策転換が起こっていました。「戦争で焼けた国土を人力で復興することはできない。かくなる上は、これ以上の傷を広げないよう、自然が大地を癒すのを待とう」首都は巨大なドームで覆われ、その入り口は固く閉ざされてしまい、親子は締め出されてしまいました。
未使用のシェルターを見つけると言う奇跡に巡り合わなければ、親子はきっと、廃墟の中で倒れていたことでしょう。
「わたしは帰れないの?」ぐずり始めた女の子の声を聞いて、アンドロイドがやってきました。彼女はシェルターに備え付けられていたアンドロイドで、子どもの扱い方をよく心得ていました。
女の子がアンドロイドに聞きました。「わたしはちゃんと、お家に帰れるよね?」
アンドロイドは答えませんでした。彼女は嘘がつけないよう、人間にプログラムされていたのです。
それから数年後。今にも降り出しそうな空の下、廃ビルの屋上で、一人の少女が何かを待っていました。見た目の年齢は高校生くらい。赤いワンピースは埃まみれの風にさらされて、少しくすんでいます。
彼女が見下ろす通りは、見る影もなく荒れ果てていました。穴だらけになったアスファルトの上に、死んだ虫のように転がる自家用車。通りに並ぶ建物は、窓が割れ、骨格がむき出しになっているものもありました。
ふと、何かとどろくような音が聞こえてきました。がれきを乗り越えながらやってくるのは、一台の装甲車でした。
少女ははじかれたように走り出しました。崩落しかけた階段を駆け下り、割れたガラス片を踏み越えて地下に降りた彼女は、金属でできた分厚い扉を開きました。
ドアの向こう、太く短い柱に支えられたその薄暗い空間は、どこか地下鉄の駅を連想させます。かつてこのビルを所有していた大手企業が造った、社員用の地下シェルター。
「ベッカ!」ワンピースの少女が呼ぶと、柱の背後から、青いブラウスを着た少女が姿を見せました。綺麗な金髪を三つ編みにしたその子の顔には、口の両端から顎にかけて、黒い線が走っています。
「お迎えの車が来た」と、ワンピースの子が言いました。「荷物はまとめた?」
ベッカと呼ばれた子は首を振りました。「まだです、ミリー」彼女は首の後ろに手をやると、そこについていたものを“取り外して”手に持ちました。それはアンドロイド用の充電ケーブルでした。
「何をふざけているの?」ミリーは苛立っています。「早く荷物をまとめて」
「嫌ですミリー。その命令には従えません」ベッカは一言一言区切りながら、ゆっくりと言いました。
「ベッカ。お遊びは止めて。やっと家に帰れるのに」
「でも、アンドロイドは首都に入れないのでしょう?」
ミリーは『移住許可証』の文言を思い出しました。『アダム・ブラウン殿。ご自身と、ご家族一名の移住を認めます』首都を締め出されてからはや五年。とうとう首都に帰る許可が下りたのです。
ですが、一緒に暮らしていたアンドロイドを連れて行くことは許されませんでした。
「それは、あんたが荷物をまとめない理由にはならない。散々話し合ったじゃない」
ベッカはゆっくりと、錆びかけたブリキ人形のように首を振りました。
「ミリーとわたしは友達です。友達なら一緒にいるべきです。ここで一緒に暮らしましょう」
「お父様はどうするの?」
「パパもここにいればいい」
「わがままを言ってないで、荷物をまとめなさい」
「わたしたち、たった一人の友達でしょう?」
ミリーがベッカの手首を捕まえると、ベッカは充電ケーブルを投げつけました。端子がミリーの頬に当たって、金属同士がぶつかる硬質な音がしました。
ベッカが、しまった、と言う顔をして目を見開きます。
ミリーはベッカを引き寄せて、相手が嫌がるのも構わず、顔に走る黒い線を指でなぞりました。するとベッカの口から顎にかけて入っていた線が、薄れて消えました。
「これ……クレヨン?」ミリーは呆れ果てました。「こんなのつけたって、あんた全然アンドロイドなんかに見えないのに」
「うるさい!」ベッカは目に涙を浮かべながら、手を振り回してミリーを叩きましたが、全然効いていません。それもそのはず。ベッカはアンドロイドのふりをした人間で、ミリーは正真正銘のアンドロイドなのですから。
「アンドロイドのふりしてここに残ろうと思ったの? そしたら泣いちゃだめよ。そんな機能ないんだから、ロボットには」
「うるさいうるさいうるさい! 何でミリーは!」ベッカはミリーのワンピースを掴んで喚きました。「一緒に来てくれないの?」
「それは何度も話したでしょう。政府がアンドロイドの入場を認めてない。私が爆発するかもしれないと思ってるのね」
「ミリーはそんなことしない! わたしみんなに教えてあげる。絶対大丈夫だって」
ミリーは残念そうに首を振りました。「お父様がずっと交渉してだめだった。これ以上、この話をして、移住を遅くしてはだめ」
「やだ。ミリーが来ないならわたしもいかない」ベッカが駄々をこねて顔を振り、長い三つ編みがぶんぶんと揺れます。
ミリーにため息をつく機能があったら、とても深いため息をついていたことでしょう。ベッカは高校に入れるくらいなのに、いつまでたっても子供っぽいままなのでした。
ミリーはシェルターの入り口に目をやりました。がれきを超えるのに時間がかかっているのでしょうか、迎えの人々が来る気配はありません。ですがそれは、必ず来るはずなのです。お別れの時は。
「あのねベッカ。年長者として教えてあげる」ミリーはベッカの頬に手を添えて、言い含めるようにいました。「人間には人間の友達が必要なの。いつまでもシェルターに閉じこもって、ロボットと友達でいちゃいけない」
「ミリーが作られたときは、わたしもう生まれてたもん」
「精神年齢はかなり低いみたいだけどね」
ベッカがわっと泣き出しました。「ミリーはどうするの。シェルターに置いてけぼりにされて、辛くないの」
ミリーはベッカの手を握りました。ミリーの手には温感センサーがあって、人のぬくもりを感じることはできました。出会ったときには、あんなにも小さかったベッカの手。
「わかった。じゃあ、一緒に荷物をまとめましょ」
「なら約束して。これからも一緒に暮らすって」
ミリーは言葉に詰まりました。
「言って」
ミリーは言えませんでした。嘘がつけないよう、人間にプログラムされていたからです。
「法律が変わったら。いつかは」
「なら、それまでここにいる」
「それはだめ」
「ミリーは、本当は」ベッカは涙の浮かんだ目で、悲しそうに言いました。「わたしのこと、嫌いだったんでしょう」
「ねぇ、ベッカ」ミリーは手を伸ばして、ベッカの髪を撫でてやりました。毎朝、朝が来るたびにブラシで梳いてあげた、綺麗な色の髪。「私も泣けたらよかったのに」
今にも降り出しそうな空の下、廃ビルの屋上に、赤いワンピースを着た少女が立っていました。
友達を乗せた車は廃墟の向こうに消えて、とっくに見えなくなっていたのに
いつまで待っても、雨は降らないのでした。
コメント一覧
描写が丁寧ですね。
>彼女は首の後ろに手をやると、そこについていたものを“取り外して”手に持ちました。
は、ああ、SF小説ってこういう表現するなぁ、と飛火疲さんの読書量といいますか、こういう憎い表現をするなぁといいますか、それにニヤリとしてしまいました。
後半になって、キャラクターがすごく立体的に立ち上がってきて、ミスリードに見事に引っかかりました。そのうえで、ミリーの心情を描ききっている・・・。お見事でした!
プログラムされていることを自覚しているロボットって、悲しいなぁと思いました。ううーーん。
いいですねー、人間の少女とアンドロイドの友情。
機械的なアンドロイドのはずが、人間並みの心があり、通じ合うことが出来る。
そんな未来が来るのかなあ、と。
確かに、みっつのがないw
なかまくらさん>ありがとうございます! ここで””つけないとフェアじゃないなぁ、と思ったので付けました。ミスリードに引っかかっていただけたようでうれしいです(笑
ロボットが自意識を持った時、それを自覚させるべきかどうかって、結構大きな問題になりそうですね。
けにおさん>今のまま技術が向上すれば、いつかはそうなるんじゃないでしょうか、ただしその前に人類滅亡しなければ(笑