眼前に佇むは星空、胸中に広がるは暗黒。
僕は、星の輝きを奪った人間たちが許せない。
許せないと力強く思う反面、今を生きている人間に対して赦している。
そんな自分の曖昧さに対して、僕は僕に叱りつけることも無く奔放とさせてきた。
けれど、星を眺めている時だけは強く思う。
星の輝きを奪った人間たちが許せないってね。
夜光に身を委ねながらフラリと酔ったような足つきで立ち上がった。
もう我慢できない。殺してやる。
僕は、走った。
誰でも良いから殺そうと。
僕は、走った。
誰でも良いから自然のために殺してあげようと。
僕は、走った。
誰でも良いから星の輝きを奪った人間共に報復してやろうと。
そして、見つけた。
僕は其奴の首を両手でガシッと掴んで爪で肉を抉るように絞め殺してやった。
眼前に佇むは星空、胸中に広がるは光明。
僕は、きっと許さない。いつまでも、いつまでも。
コメント一覧
>秋水さん
解説ありがとうございます。ちょっと分かったような気がします。そういう物語だったんですね。私には難解でした(笑)。
私の初読では、彼、が誰かになりたかった職業とか、欲しかった名声といった類いのものを奪われ、それを奪い返した話なのかなと思いました。
最初に >人間たち と言っているところの人間とは、彼自身を指すと言うことだと理解しました(合ってますか?
そうすると、人間"たち"、と書く意図があるのかなぁ、と思いました(そこは分からず・・・
>ヒヒヒさん こんにちは。
私は実際に其れを読んだことが無かったんですが、彼のいう言葉に凄く共感が持てます。
以前、その様な事を題材に書いていたりしたことがあったので、自然と其れを匂わせる文言になっていたかもしれません。
私自身、考察好きなので考えさせるような作品を意図して作っている部分は多くあります。
しかし、今はまだ拙い文言、文章でしか表現することが出来ていないので、読者からすれば本当に意味が分らないという点が少なくないと思うのでこの場を借りて努力させて頂く所存です。
コメント有り難う御座いました。
ただの奪い合いですね。善いも悪いもない。
星を増やすことが出来るはずなのに。
>>なかまくら
奪い合いとなってしまっている既成事実に対して主人公は、どうも煮え切らない様子だったのですが星の光を浴びていて
強く決心したんです。何故、煮え切らないかったかというと許せないと思う反面、どうしようも出来ないことなのだと認めていたからです。
なかまくらさんの意図は分りませんが、今作品は、星の”数”ではなく”輝き”に着眼しています。
数が多ければ、主人公が満足していたのかというとそうではありません。
森などに行くという行為をすれば、確かに星の光を存分に味わうことは出来ます。けれど、昔は星を綺麗に見たいがタメに「森へ行こう!」とはならなかったと思うんです。そんな既成事実に対して為す術も無く、ただただ鵜呑みとするのではなく彼は、自らの納得すべき道に対して強く生きようとしたって話です。何故始まりが暗黒で、終わりが光明なのか考えれば簡単だと思います。
人間として属するが故の産まれながらの罰に対して、彼は裁きを下したんです。
何故、彼の胸中が光明なのかといえば誰かを殺したからではありません。
自らを殺したからです。死後光明に包まれたのか?と問われれば其れも違います。
死ぬ間際地べたで空を仰ぐのですが、自らの曖昧さを払拭できたことによる”カタルシス”という光明にひたることが出来たんです。
>なかまくらさん
すみません、私ごときの力では文章で意図を伝えるのは難しいです・・・(汗
日進月歩という言葉を胸に、精進させて頂く所存で御座います。
最初の文章の、人間たちというのは彼を含めない言葉です。
けれど、人間たちであるならば彼を含める言葉でもありますので、彼は其処に気が付いていなかったんです。此の時点では。
だから、走っているときふと気付くんですよ、彼は。
人間であるが故に持つ罪を持っているのは、自分も同じであったと。
なので、躊躇無く殺したのです。
きっと、その辺の下りに何か一文付け加えた方が良かったなと、今になって反省しています・・・。
拙い文章でございましたが、キチンと読んでくださって本当にありがとう御座います。
秋水さんこんにちは。
作品とコメント欄のやり取りを読んで中島敦の「李陵」に出てくる司馬遷を思い出しました。
彼は無実の同僚をかばったために皇帝の怒りを買って惨い刑を受ける羽目になるのですが
何が悪かったのかを自問した末に「自分が自分であったことが悪いんだ」と言う結論に至ります。
彼の場合、歴史を書き残すと言う目標があったので、死ぬに死ねなかったのですが。
秋水さんの作品を読んで、なんだかいろいろと考えさせられました。
①出だし、星空は見えていて、胸中が暗黒だった。
②間、星空の輝きを奪った人を殺した。
③最後の方、星空は見えていて、胸中は光明に変わった。
④最後、でも、まだ輝きを奪った人を許せていない。
と言う構成。
あとがきで、次に怒っていて、本作にそれを込めているとご説明されている。
⑤「既成事実に対して反感を覚えると社会不適合」
⑥「仕方の無いことだってあるんだ。などと、十分な説明もされずにあしらわれてきた。」
⑦「コミュニタリアニズム」
⑦のコミュニタリアニズムとは、社会が中心の考え方なのかな?
となると、本作での「星空の輝きを奪った人」とは、「社会が中心の考え方」を指すのかな。
となると、主人公が「社会が中心の考え方」を部分的に殺した。反発したのかな? 何かしらの行為で、社会が中心じゃないことをして、社会を乱したのかな?
それで、胸中は光明に変わったってことは、主人公は少しは気が晴れたのかな。
でも、結局満足できず、未だに許せないと言うことは、今の世の中、社会ありきの考え方が蔓延しており、反発したところで、社会ありきの世の中は変わらず未だ不満、と言うことなのかな。
僕個人としては、コミュニタリアニズム(社会ありきの考え方)は嫌いだが、表向き社会に染まっていた方が楽に生きていくことが出来そうなので、とりあえず右に倣えしておきたい。
>けにお21さん
⑦のコミュニタリアニズムの考え方ですが、集団の信条に従うことを真の自由とする主義思想です。
どういうことかというと、とある10人のグループがあるとします。
其処で、人殺しはいけない!!っていう方が8人いたとします。
残りの2人は、人殺ししても良いよ!!って言うとします。
ですが、此の主義に従う以上残りの2人は半ば強制的に前者の意見を重んじることが必要とされるわけです。
しかし、此の主義に倣う以上この2人に不満など一切ありません。
人それぞれ、という相対主義とは異なる考え方ですね。
故に、此の社会のどんな節であるとしても疑問違和感を持ち抱えて反発することは、この主義の観点からすると悪とされます。
まぁ、不完全であるが故に、政治家が居たりする訳なのですがね・・・。
其れでも、圧伏されかねないほどに誹謗中傷または社会不適合と罵られたりする現在の社会に対して、結果的に彼は彼の道を進んだというわけですね。
最後の「許さない~」は、けにおさんの言うとおり不満を抱えています。
その不満というのは、何故自分に産まれてきて、自分が自分を殺さなければ自分は幸せになれなかったのかと違和感を覚えているからです。ですが、彼は彼の道へ生きることができて幸福にひたることが叶っています。
生きていれば、そんな考え方というか、そんな自分からも逸脱することができるのですが、自らを救うために自らに死ぬということを選択してきた人達も少なからず居ます。
けにおさんの言うとおり、楽に生きることが出来るのは表向き社会に準じて生きていくことです。
衝動的に込み上げて殺してしまうんですね、それほど堪えていたのでしょうか。
殺してあげようや、近くに人間がいたことから、環境や心情が伺えますね。
僕は許さない。いつまでもにきっとが使われていることから、やはり揺れているのでしょうね。
考えさせられました。