どうでもよかった。生きていたくなかった。
無理して入った女子高。友達が出来ない。授業についていけない。
だから、自分めがけて、車が猛スピードで突っ込んできたとき、ちょっと嬉しかった。心の中で、「やった!」って。
でも、誰かが、私の身体を掴んで後ろに放り投げて、放り投げた誰かが、逆に前に飛んで行って、車とぶつかるのが、なぜかスローモーションだった。
助けてくれたのは、知らない五十歳くらいのおじさんだった。私は近くに行ったものの、なんて言っていいのか分からずに黙ってた。そしたら、おじさんが私に気付いて、
「怪我は無いかい? 痛いところは無いかい?」
って、言ったんだ。
私は、
「うん」
って、言うのが精一杯だった。
おじさんは、
「そうか。よかった。よかった」
それだけ繰り返して死んでしまった。
おじさんの家族も、みんないい人で、誰も私を責めなかった。奥さんも、息子さんも、娘さんも、誰も私を責めなかった。それどころか、私が無事で良かったって言った。
息子さんは、私より少し年上で、私にお守り袋をくれた。
「どうしようもなく辛くなったら、中を見て」
って、言って渡してくれた。
おじさんの家族は、ときどき、私を食事に呼んでくれた。
明るくて楽しい食卓だった。
それがプレッシャーだった。
明るさが、暖かさが、幸せが、優しさが、善意が、私に襲い掛かってくる。
誰も、私を責めない。
おじさんの命を背負ってしまった私は、死ぬこともできない。
死にたかったなんて言えない。
謝ることもできない。
謝る価値もない。
辛い……。
「どうしようもなく辛くなったら、中を見て」
その言葉を思い出した。
お守り袋を開けてみる。
中には、小さな白い紙。
ボールペンで、殴り書き。
「クタバレ、クソ女」
私は泣いた。
笑いながら、泣いた。
生きようと思いながら、泣いた。
コメント一覧
「クタバレ、クソ女」にはドキッとしましたw
主人公の女性の身代わりになって亡くなられたおじさん。
おじさんの家族は、決して主人公を責めないが、やはり心の中では「クタバレ、クソ女」だったのかな。
悲しいですね。
しかし、そう言ってくれて、主人公は救われたのかも知れない。
悪かったとの気持ちがあって、それを責められなかった場合、恐縮するし、萎縮もするし、さいなまれる。
「クタバレ、クソ女」とハッキリと言ってもらった方がスッキリとはしそう。
おじさんの家族は、主人公を責めないことで、主人公に罰を与えたのかも知れませんね。
そう考えると、恨みは相当で、怖い!
深い…
人生ってこう言うところで
力がみなぎったりしますね〜
良い人が本当に良いとは
限らないですからね。
おおーー! うまくまとめられて小品ながら、素敵な作品ですね。
なんでみんないい人だったんでしょうね・・・私がもっと明け透けにものを言う性格だったら、
最後のオチがもっと生きるのかも、って思いました。
複雑ですね……
タイトルとなるお守りの中身には思わずゾクッとしました。
これだけの文字数でここまで心に食い込んでくるのは凄いですね……
最後の裏切り感、必要のない救いに悩まされて、最後は家族全員が怖くなるのでしょうが、彼女はそれで生きようと思った。
読めて本当に良かったと思います。