天城幸太郎(あまきこうたろう)は、味気ない煙草に火を点ける。
肺まで入った煙を口から吐きだす。
この瞬間が好きだった。
先ほどまでしていた仕事を一時中断し、屋上で風を浴びながら吸う、このひと時が。
すると、会社用の携帯電話が鳴り、恋を寄せている事務員の木嶋真衣(きしままい)から、先方から電話があった、と知らせてきた。
「すぐ行く」と伝え、まだ半分くらいしか吸っていない煙草を、携帯灰皿で揉み消し、タブレットを2粒奥歯で噛んで、屋上のドアを開けた。
先方との電話は10分少々で話が付き、吸い足りないせいか、また屋上に行こうとすると「先輩!」と声をかけられる。木嶋真衣だ。
「先輩。どこに行くんですか?」
「ちょっと屋上にな」
「ああ、またこれですか」木嶋真衣は、右手で閉じたピースを作り、口に付けたり離したりを数回繰り返した。
「まあな」
「煙草は百害あって一利なしなんですからね」
「いやいや、一利はあるよ。リラックスできる。仕事の片が付き、休憩がてら頭を休めさせるために、外の風を浴びながら煙草を吸う。そしてまた、仕事に取り掛かる。それが僕の仕事のスタイルだし好きな時間だ。あとそれに朝、入社してきて、木嶋さんが淹れてくれるコーヒーを飲んで気合を入れるのも、好きな時間の1つかな」
そう言い残し、屋上へと歩みを進める。
退社時刻になり、残業もなく、USBに今日やってきたことを全て入れ、パソコンを閉じた。
このまま帰路に就くのもいいが、また屋上に上がり、夜の街の景色を一望しながら、煙草に火を点ける。
二口吸い終わると、屋上のドアが開き、木嶋真衣が現れた。
「よう。木嶋さんが屋上に来るって珍しいじゃん」
「初めてです」
「なんでまた?」
「先輩のお気に入りの場所はどんなんだろう、と思って来てみました」
「んで、来てみた感想は?」
「ちょっと肌寒いですね」
「ははは。まあそうだな。でもこれを見てみろよ」
光り輝く街を指差した。
「へー。会社の屋上から、こんな綺麗な景色見れたんですね」
話に夢中になっていて、肝心の煙草が根元まで来ていたため、新しい煙草を取り出し火を点けようとした瞬間、木嶋真衣に煙草を取られた。
「何すんだよ。返せよ」「いやです」「返せって」「いやです」
押問答を繰り返していると、ちょっとした弾みで木嶋真衣を転ばせてしまった。
「ごめん」すぐに手を差し伸べる。
木嶋真衣はその手を握り立ち上がる。
天城は木嶋真衣が立ち上がっても、手を放そうとはしなかった。
木嶋真衣は手を離さない天城の気持ちを分かっていた。
「先輩。先輩の気持ちは十分分かります。だから、1つだけ条件を出していいですか?」
「え?」
「もし先輩が、煙草を止めてくれるなら、毎朝、コーヒー淹れます」
「ん?」急に条件を出され頭が回らなかったが、少し考えて「だって毎朝、淹れてくれるじゃないか」といった。
その言葉と同時に、手が離れる。
「そうゆうことじゃなくて。毎朝、先輩の家で・・・」言葉途中のまま木嶋真衣は振り返り、屋上のドアに向かって走った。
天城は木嶋真衣を追いかけ、腕を掴む。
「なんで自分で言っておいて逃げるんだよ」
「ちょっと恥ずかしくなって、さっきの私が言ったことは忘れて下さい」
「忘れられる訳ないだろ。木嶋さんのことが好きなんだから。それに、毎朝コーヒーを淹れてくれるなら、煙草を止めるよ」そう言うと、ドアを開き近くにあったゴミ箱に、まだ半分くらい残っていた煙草と携帯灰皿を捨て、ライターをゴミ箱の上に置いた。
「え!何してるんですか」
「だって煙草を止めて欲しいんだろ。それに言ってたじゃないか、煙草は百害あって一利なし、と」
「そうですけど・・・」少しの沈黙が流れたあと「分かりました。でも、今回だけは一利もありましたね。こうして付き合うことになったのは煙草のお陰なんですから」
天城はタブレットを2粒奥歯で噛んで、木嶋真衣と共に退社した。
コメント一覧
タバコにも一利あるのですね〜!
私は禁煙二週間ほど。ただし、本作のようなロマンスではなく、体に良くないと思いやめることにしました。
確かに、意中の人から、タバコをやめたら付き合う、と言われたら禁煙出来るかもですね〜
なら、僕もそう言われるまで喫煙を続けるべきだったかもですね〜
禁煙をやめようかな?
職場のビルの屋上で、夜景を見ながらの喫煙は美味そうたなあ〜
ジュルリ
なるほど、オフィスでの恋愛とは、こう言うものなのですね!
私の父親も結婚を機に煙草をやめたらしいです。
誰かのために、自分を変えられるって素敵ですね。真っ直ぐな物語が素直に入ってきました。
あぁ……素敵です…。
禁煙してから2ヶ月経ちますが、いや、
うーん、いまの気分でベランダに出てタバコ吸ったらいい気分だろうなあ…。
あはは、禁煙やめそうです。