●「君、生きるとはどういうことだと思うかね」
○「さあ、見当もつきません」
●「私はね、君、恥をかくことだと思うのだよ」
○「何故ですか?先生」
●「恥をかくと嬉しかったことよりも記憶に残るだろう?」
○「そうですね。ですが、それならば生きることとは記憶を残すことという事でも良いのでは?」
●「ふむ、そういった見方も出来るね」
○「しかし、記憶を残したとしても人は死ねば記憶を残すことはできませんよね」
●「だからこうして話をしているんじゃあないか、君」
○「他人の中に生きる、という事でしょうか?」
●「そうだね。つまりはそういうことになる。人が死ぬときは人から忘れられた時さ」
○「先生にしては珍しく尤もなことをおっしゃりますね」
●「なに、引用さ、私の好きな漫画の一節でね」
○「あぁ、なるほど。少し先生を褒めたことを後悔しています」
●「何故だい?引用した文もまた、私の知識の一部だ。それは教科書に載っている公式を扱うことと相違はないだろう」
○「確かにそれはそうなのですが、それは尤もなことなのですが、その引用の言葉をまるで先生自身が編み出したかのように読み上げることが問題なのです」
●「そうかね?ならば君、1足す1はいくつだね」
○「2、ですが?」
●「それは君が考えたことかね」
○「計算した、という意味ではそうでしょう」
●「しかし足し算という方法を編み出したのは君ではない、遥か太古の学者だろう」
○「まぁ、それはそうなのですが」
●「つまりは引用もそういったことの延長という事にはならないかね」
○「ならないのではないのでしょうか」
●「ふむ、そうかね。では、なぜそう思うのかね」
○「足し算は私も先生も知っております。しかし、先生の引用を私は知りませんでした。つまり、少なくとも先生は私を 騙した、という事になるかと私は考えます」
●「私にその意思がなかった、としてもかね?」
○「ええ、詐欺です」
●「それは困った。君の見聞が狭いばかりに私は詐欺師になってしまった」
○「私を先生の詐欺行為に加担させないで頂けますか」
●「ああ、済まない言葉が過ぎたね。いやそれにしても元々これはなんの話だったかな」
○「先生が生きるとは何か、と仰って始めた会話です」
●「そうか、なるほど。つまり生きるという事は生産性の無い会話の様なものだと」
○「そうですね」
●「そして互いを探り合い、時には詐欺行為までとってしまう。それが生きることだ」
○「そうなのでしょうかね」
●「なんだい、君、投げやりになったじゃあないか」
○「いいえ、先生との生産性の無い会話に没頭してしまった自分自身に辟易しているのです」
●「ははは、良いじゃないか、こんな時間も」
●「さて、そろそろ時間だ。準備を使用じゃあないか。ええと、レジュメはどこに置いたか」
○「ここに」
●「ああ、済まないな。それでは君、また」
○「ええ、また」
―静―
○「生きることとは」
○「生きるとは」
○「恥をかく、事である」
○「頬を染める、事である」
○「そうなのでしょうか」
―終―
○「きっとこの会話は私の記憶に残るだろう」
○「なぜなら私は」
○「私の頬は」
コメント一覧
屁理屈を言う二人の軽妙な会話がいいですね。
なんだかんだ君も先生のことが好きなんだろうなと言う喋り方だなと思いました。
ありがとうございます。
屁理屈ばっかり言う飄々とした先生のキャラクターが気に入っています。
禅問答な作品。
僕も「生きるとは」のような答えがないような質問を、自問自答するのが好きで、以前はたまにやっていました。
結果的には堂々巡りで不毛な時間つぶしに過ぎませんが、やっていると、真理が見つかりそうな気がするもので、それなりに楽しかった気がします。
さて、本作での登場人物は先生と生徒の二人のみ。シーンも一つだけ。シンプルな設定。起承転結もないような。それで小説を作ると言う試みに、意欲を感じました。
少し生意気な生徒、はぐらかす先生、のやりとりが楽しかったです。
人と動物の違いは恥じらいを持っていることなのか、なんて思っています。
このお話は始まりが恥だったので、ぐぐっと引き込まれました。
「先生」がいると、夏目漱石が浮かびますね。