天気雨が降っていたけれど、天気雨という言葉も、狐の嫁入りという言葉も、しっくりとはこなかった。
僕は折り畳み傘を開いて、営業用のスーツを守る。
そのまま住宅街をあちらこちらと歩いていった。
どこもかしこも晴れているのに、ただ雨粒だけが傘の布を叩く。
どうにも妙な心地がした。恐怖でも危機感でもなく、ただ違和感。
角を曲がってまっすぐ行けば、きょう訪問する予定になっている一軒家が建っているはずだった。
そのとおり、角を曲がった。
瞬間、ふわりと舞い上がった、白。
驚いて目を見張る。
白は、服の、ワンピースのスカートの生地だった。
着ていたのは、十歳程度の童女。
童女はこちらに気付いていないのか、愉し気に、実に愉し気に、雨の中くるくると踊るように回っていた。
スカートを閃かせ。細い両腕をいっぱいに広げて。
髪に、肌に、水が降る。透明に煌めいて、弾けるように散る。
悟りがあった。
天気雨も、狐の嫁入りも、しっくりとはこなかった。
これは、この少女のための晴れと雨なのだ。
僕が感じたのは、自由、そのイメージだった。
回る少女は愉快そうで、そして眩くうつくしかった。
僕にはとても真似など出来やしない。
しばし見蕩れていた。童女がこちらに気付くまで。
「あ」
彼女が発したそのひとことで、今まで見ていた世界は、閉じてしまったように思えた。
「な、ないしょだよ? わた、わたし、こういうお天気好きで、くるくるしたくなっちゃうんだけど、おかあさんたちにおこられるから、」
「……うん」
言えるものか。あんな眩い瞬間を、誰かに分けてやれるものか。
「じゃあね!」
童女はサンダルで走り去ってしまった。一本道の、突き当たりの家に向かって。
僕は、ああ、と溜息をついた。
こういうのは幻のように一瞬だから浪漫なのに。
今から僕があの家に行く目的は、ひとり娘の家庭教師業務の遂行なのだ。
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