コロナ禍で出会った青い鳥【PiANO】

  • 超短編 1,000文字
  • 日常

  • 著者: 3: 寄り道
  •  私は親の影響で幼少期の頃からピアノを習わされていた。
     ピアノを弾くこと自体は好きであったため、ピアノ教室がある日を楽しみに日々過ごしていたが、それとは裏腹に、ピアノを弾けることがこれから先なんの役に立つのか疑問であった。
     小学校の頃はピアノを弾けるだけで、クラスメイトからは「すげえ!」と称賛の声を浴びたが、練習すれば誰でも弾けるようになるし、高学年くらいになってからピアノを弾くことよりも、プロのピアニストの動画を観る時間の方が増えた。
     いつだかのコンクールでは、審査員の人に「あなたのピアノには独創性がなく、譜面通りでつまらない」と言われ号泣したことを鮮明に憶えていた。
     毎日のように弾いていたピアノだが、いつしか勉強で悩んだときや、頭の中を整理したいときに弾くくらいで、中学に入ると部屋にあったピアノはオブジェと化していた。
     しかしそんな日々を変えた出来事が起きた。
     中学二年の夏。学校の掲示板に “楽器を弾ける人募集中。一緒に文化祭に出ませんか? という広告を見つけ、久々に「面白そう!」と思った.
     すぐに応募し、集まったのが企画者でもあるアコギを弾く松井君と、私と同様に応募したドラムの林君。
     松井君のリードのもと、まず初めにやりたい曲を各々出し合い、私はその当時好きだった男性アイドルを出した。
     松井君は、一回くらい音楽番組で観たことあるようなシンガーソングライター、林さんはロックがいいとのことだったが、エレキもベースもいないことが分かり、なんでもいいとのことだった。
     三者三様な意見で、私と松井君の弾きたい曲を入れ、iTunesランキング上位の曲も三曲入れて、五曲構成で練習し始めた。
     今の時代ネットで検索るれば、コード表は簡単にヒットする。それらを駆使し、放課後練習していると学校の先生から、文化祭のトップバッターとして会場を盛り上げて欲しい、と伝えられた。
     全員で「無理です!」と断ったが「いいから。いいから」と軽くあしらわれ、文化祭は学校の一大イベントであるため、三人じゃ少ないとのことで吹奏楽部からサックスとバイオリンの演奏者も加わり、改めて五人で練習を始めた。
     歌がないのは淋しいとのことで休校日に全員でカラオケに行って、松井君が一番歌が上手かったため唄わせようと、四人で松井君に交渉し「どうなっても知らないぞ」と言いながら渋々受け入れた。
     そして文化祭は大成功でいいスタートが切れ、最高の思い出となった。

    【投稿者: 3: 寄り道】

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    コメント一覧 

    1. 1.

      なかまくら

      彼は松井くん、ということになりそうですね!?
      文化祭で一緒にやったのに忘れてしまうとは、情けないぞ! 松井くん!
      しかも、美人なのに!